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HSP思考の私が傷つく言葉


今日は友達が帰ってきたのでめちゃくちゃ久々に飲みに出た。


私は彼女の中で「ポエマー」として扱われているらしい。

私は今日そこまでの弱音は吐いてないように思う。


言われすぎて嫌になった言葉

HSP思考の人が絶対に生きてる上で一回は言われたであろう言葉。


「考えすぎや」


私はこの言葉を言われる度に心が削られる。


最近考えすぎる自分が顔を覗かせて、そこからなかなか家に帰ってくれないことは自分で重々承知している。


考えすぎることが募っていくと、どうしようもなくなって、誰かに助けて欲しい気持ちになる。


多分「考えすぎ」と言われることをわかっていても、誰かわかってくれる人がいる、誰かがそんな私を受け入れてくれると願って、話をしてしまう。


そんな時に毎回言われる「考えすぎ」


今日もそこまで考えすぎたことを言ってるわけでもないのに、「考えすぎや」と言われた。


正直、私はこの言葉を「めんどくさい」と捉えてしまうし、考えすぎる自分をさらに否定されたような気持ちに至ってしまう。


私も人を選んで話をしてるつもりなのに、そのみんなに「考えすぎ」と、ほとんどの確率で言われてしまう。


でもそれが私なのだ


実際、考えすぎじゃないかと言われると全く否定は出来ない。確実に考えすぎだよ、と自分で何千回と思ったことだろう。


あらゆる考えが脳内をぐるぐると回って、行き着く先もなく、容量を埋めてしまって、結局希死念慮の念が募る。


友達はちゃんと話を聞いてくれたはずなのに、どうしてもわかってくれてないという気持ちになってしまう。


結果、家に帰った今、彼女は私の心にズカズカと入り込んできて私を慰めるような言葉(爆弾)をバンバンと放ってきた挙句、最終的に自分の自己肯定感をあげたんだろう。と思っちゃう。


そう思った決定的な言葉が「考えすぎ」だったから。


私は考えすぎることが長所


だと思うことにする。


きっと何日か後には、また短所として扱ってしまうんだろうけど。


考えすぎることで誰かが救われることもあるだろう。


同じような境遇で、今これを読んだ人が、少しでも、「考えすぎ」であることを自分で肯定してくれればいい。


あなたの「考えすぎ」は決して悪いことではないと思う。無理に止める必要はない。


その思考回路が出来ない人もいる世の中で、あなたは特別な「考えすぎてしまう」という才能をもった人間であることを、少なからず、私は肯定したい。


そしてそんな自分も肯定できるように、明日も、あさっても、「考えすぎる」ことによって、新しい何かを発見できたらいいと思う。


いつかその「考えすぎ」が、プラスの方向に働くことを願って。

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