今までもきっとこれからも、分かれない言葉
受験が近づいてくると、眠れない夜が続きます。深夜4時、もう寝るのは諦めました。安眠サプリメントをポチって、それからいにしへの下書きも、ついでにポチッとしてみます。世界史頑張る。
「もう少し大人になったらわかるよ」
と何度言われたことか分かりません。幼いころから好奇心旺盛だったわたしは、祖母が読むような難しい本に手を出し続け、そして小学生には理解し難い言葉にぶつかり続けていました。
正確には、言葉の意味がわからなかったというわけではありません。分からない言葉があるなら辞書を引きなさいと教えられていたわたしは、幼いながら一生懸命紙辞書を引いていました。たしかに言葉の意味はそこに書いてあって、何となく大意はわかるのだけれど、なんというか「そういうこと」ではなかったのでした。わたしが分からなかったことといえば、「お別れしたくないのにお別れをしてしまう関係」だとか、「涙を流しながら愛を伝える場面」だとか、そういう状況だったのです。
これってどういう意味なの、どういう場面なの。と尋ねても、祖母は笑って「もう少し大きくなったらわかるよ」と言っていました。その時わたしは小学1年生だとか2年生だとかで、ハリーポッターと死の秘宝下巻、スネイプ先生がダンブルドア先生に、リリーへの愛情を告白する場面ですら、何だかよく分からないという気持ちを抱いていました。(ハリポタファンに届いてほしいこの場面)
私は高校3年生になりました。あれからしばらくして、あの時首を傾げていたスネイプ先生の言葉に悶絶できるようにもなりました。松岡佑子さんの訳では「永遠に」となっている部分も、原作では"Always"だったというところに心を抉られるような思いを抱くことができる年齢になりました。もう少し大人になったらわかるよと言われていた意味も何となくわかって、自身の成長を嬉しくもどこか寂しく感じるようにもなりました。
小学生か中学生ぐらいの時に観た映画で、「一週間フレンズ。」という映画がありました。私はその主題歌が大好きで、何度も再生していたのを思い出します。特にラスサビの歌詞は印象的でした。
私はこの曲が大好きで、もちろん曲自体も大好きだったけど、それよりも、今まで小説を通して経験してきたような「もう少し大人になったらわかるよ」という経験を、この曲のこの歌詞でもできるのではないかとワクワクできるから、という理由で好きでした。いつかこんなふうに誰かを想える日がくるのだろうと思って、ミュージックビデオのコメント欄で「私にもこんなふうに思っていた学生時代がありました」などと残す社会人の方に憧れたりしていました。
わたしは2023年の4月に高校を卒業します。どうやら、この歌詞のことはまだよくわからないまま卒業式を迎えるようです。
漠然とした不安は前からあります。大したことではないけれど、周囲からよく言われることです。「そういう恋愛は学生時代しかできないからねえ」「いいな〜、懐かしいな、わたしにもそんな頃があった」「いい思い出になるわよ」とか。
わたしは普通に人を好きになって、というか結構大好きになって、そうして過ごした高校生活でした。これがそうやって「学生時代の青い思い出」として片付けられてしまうことにもどかしさを感じつつ、もうこんな風に人を想うこともなくなるのかと思ったり、これがきっと最後の、いわゆる純愛なのだろうかと考えたりしていました。
春からはきっと大学生になります。環境が変わって、出会いが増えると思います。私は歌詞の意味がよく理解できないまま、青春時代を終えてしまいました。ちょっとだけ心残りだなと思います。私も、眠い目を擦って布団に縋る朝とか、そんな私を急かすように眩しく光る太陽とか、悔しくて苦しくてどうしようもなくて、結局誰にも打ち明けられなかった涙とかを全部輝かせてみたかったな〜〜と思います。確かに大好きな人はいたけど、この曲を聴いて思い出すのはこれに憧れていた頃の私だし、別に彼のことを好きな私を重ねるわけでもないのです。高校生活、あれやっとけばよかった、これやっとけばよかったというような後悔をしないように精一杯やってきたつもりだけど、やはりそれだけは少し引っかかってしまっています。
この3年間を振り返るとどうしても、「もう少し大人になったらわかるよ」と微笑む祖父母の顔が目に浮かびます。ばあちゃん、わたし、これ以上大人になると、もう得られないものもあるんだねって、17歳になってやっとわかったよ。
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