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NOPEにくらったNOTE その②

その①はこちらから

映画史、じゃん

これが『NOPE』を見終わった私が一番に感じたことであり、『NOPE』を一言で表して、と言われたらこう答えると思う。

そもそも、主人公OJの家は、ハリウッド映画やCMの撮影ために馬の貸し出しや調教を行っており、そんな自分たちの先祖は、映画や写真を少しかじったことがある人ならピンとくるであろう(あの!!)『動く馬』で、馬に乗っている騎手であるという。

私はこの『動く馬』を見てゾエトロープが思い浮かんだ。

CMの撮影現場で、エムがそんな先祖の話をしても、スタッフは興味を示さない。私も、あ~あしらわれている。と思ってみていたが、(ここが黒人と映画産業の差別や歴史的な意味を含めるのは言わずもがな)どちらかというと、馬のことが頭から離れなかった。

すると、映画中盤、OJが”それ”に追われ、馬が逃げる姿を小屋越しに見るシーン。
これがもう、ゾエトロープにしか見えなかった。というかメタファー的な表現じゃないんですか???え???

小屋の壁の板の木の隙間が、ゾエトロープの筒に開いたスリットになり、その向こうでは馬が駆けているのである。これ、まんま『動く馬』じゃん。

そもそも、この映画、映画に関するものが出てきすぎる。先に述べたように、OJの家業は映画産業に関わるものだし、『動く馬』への言及はもちろん、『NOPE』そのものの主題がもう『未知との遭遇』なのである。

と、考えると、先の、ゴーディが暴れるところからは何が思いつくだろうか。私のまだまだ浅い映画鑑賞の引き出しからは、猿つながりで『猿の惑星』やテレビ番組のショーが壊されるところから『ジョーカー』が思い起こされた。

ジョーダン・ピール監督は、『NOPE』に影響を与えた作品に『ジュラシック・パーク』と『キング・コング』を挙げているらしい。

いや、予想大外れか~い!!!!

やはり、私の鑑賞と考察の引き出しなんてそんなもんなのだと痛感しながら、たしかに、この2作を考えてみると、ゴーディや”何か”を自分のものにして金を稼ごうと思うところ(馬の調教を家業にしている部分も含めてもいいかもしれない)は、2作で言うところの恐竜やコングであり、誰も成し遂げたことのない”それ”の撮影に闘志を燃やす描写なんかは『キング・コング』の主人公デナムの監督魂的であると思う。

上2作、とりわけ『ジュラシック・パーク』と違う点としては、『NOPE』でのOJたち主人公も、結局”それ”を撮影し、地位や名誉を得ようとしている点で、まったく正義ではないという点だろうか。ジュープとやっていることは大差ないのである。

ここまで考えて、そもそもこれは善悪を描いた物語ではないと気づく。

ただ、幼いころに「悲惨な現場を目撃したにも関わらず、その元凶と心を通わすことができた(のか?)」ジュープのこの描写は、すごく映画的というか、ハートフルなSF映画だったら、こちらが主人公でもおかしくないだろう。
ゴーディがこのシーンで撃ち殺されるのも、そんな楽しいSFじゃありませんよ。と言われているようで、あ、私は『E.T.』を見ているんじゃなかったんだ、と気づかされる。

また、エムのバイクが『AKIRA』の金田のバイクみたいに止まるシーンはまんま過ぎて笑ってしまったし、使徒みたいな出で立ちの”それ”にも、『ヱヴァンゲリヲン』??と思わせる、これはオマージュだ!!と想像に難くないシーンづくりには、もともとコメディをしていた監督の手腕なのだろうなと思った。

あと、家に血の雨が降るあのシーン。私が見た数少ないホラー映画『キャリー』で、主人公キャリーが豚の血を浴びるシーンと重なった。雨というと、『シャイニング』の血の洪水の方も当てはまるかもしれない。
また、“それ”の口からカラフルなフラッグガーランドが出ているところは、なんとなく“排水溝から出ている赤い風船“っぽいなと思いました。見ていませんが…

映画史、じゃん②

映画史、じゃんという感想は、単に映画史に残る名作の数々をいろんなところに入れているという意味でもあるが、この映画内で、結局”それ”の映像がフィルムの連番として書き出され、冒頭に出てくる『動く馬』と同じになるところに最も表されていると思う。しかも映画自体は一部最新鋭のIMAXカメラで撮影しているんだから、もう、してやられた以上の言葉が見つからない。

そして、注目したいのが、この連番を書き出したカメラなのだが、ジュープの運営していたテーマパークの井戸型のポラロイドカメラ。これ、『白雪姫』じゃん。

『白雪姫』は、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが作った世界初の長編アニメーション映画である。
手法として、ロトスコープという、実写映像をフレーム毎にトレースしてアニメーションする技法や、マルチプレーン・カメラの使用で、奥行きのある映像になっており、その後のアニメーションの歴史に大きな影響を与えた作品である。

みたいなことは、ここで私が改めて言わんでもわかっとるわ、という感じなのだが、
ロトスコープという、連番をトレースしてアニメーションにする技術は結局、連番で書き出された”それ”の写真と紐づけられるし(井戸から出てくるのはカラー写真だし)、空の描写、雲が動いてない/動いているとか、広い峡谷を舞台にしているところは、レイヤーを何層にもわけ、奥行きを出しているマルチプレーン・カメラと紐づけてもいいのかなと思う。

少し逸れるが、”それ”が来た際に、電気系統がダウンすることで、流れてる音楽がゆっくりになったり、エアダンサーが徐々に倒れていったりすることで、画面の距離感やレイヤーを描いているの、かっこよすぎと思いました。

①で述べた、ゴーディのシーンの、観客席→襲われた人→ソファ→視点のような奥行きのある画面構成もそうかもしれない。(マルチプレーン・カメラは2次元のアニメーションを3次元的に表現しようとしているので、逆説的ではあるが…)

既に、静止画から動画へ、という映画史に大インパクトを与えた『動く馬』を最大限にフィーチャーしておきながら、ここで『白雪姫』を持ち出してくるのが、くらいもくらった所以である。

ちょっと調べたくらいでは、監督が『白雪姫』を取り入れたかどうかは分からなかったが、「Winkin Well(瞬きの井戸)」と「Wishing Well(願いの井戸)」で掛けているところや、井戸をのぞき込むエムの仕草から、そうじゃないかなと思う次第である。

「絶対に空を見てはいけない」

カメラの話が出てきたところで、最後に「見る」という行為について考えたい。これがこの映画のキーポイントになってくるのは、得体の知れない”何か”を見てしまってから、主人公OJがそれをカメラに収めようとする最大の目的と一致する。

監視カメラやOJのガラケーのカメラ、ホルストのお手製のフィルムカメラ、井戸のカメラ。CMの撮影現場にあったカメラ。ジュープの「星との遭遇ショー」で観客がスマホのカメラを空に掲げていた気がする。

監視カメラやガラケーのカメラなど、いわゆるホームビデオ的な部分はホラー映画の要素としてうまく使っているなと感じつつ、撮影現場のグリーンバックに海が合成された映像がチェック用のモニターに映っていたり、終盤エムがOJの動きを家からモニタリングするところは、映画内にある画面として「見られている」という行為を上手く表していると感じた。

「見る」ことは簡単だ。自分が起こした能動的な行為だからである。しかし、「見られている」というのは難しい。見られている自分は受動的で、その行為の発端は自分ではないからである。自分は「見られている」ことに気づかなければならない。

撮影現場で馬が自分の姿の映った球体に驚いたり、一度”それ”に襲われたエンジェルが、その後自分の周りを異常に警戒するそぶりは、「見られている」という行為に対する、自分の力の及ばない領域への恐怖であることを示しているのではないだろうか。

そして、これが『NOPE』で描かれている恐怖であると私は考察したい。
「チンパンジーの惨劇」でもなく、『未知との遭遇』でもない。

「見せ物」として、ゴーディを扱っているとき、ゴーディから自分たちが「見られている」ことに気づかなければならなかった。
”それ”の正体が、結局宇宙船なのか、宇宙人なのか。”それ”の映像は取れたのか。というのは大した問題ではないのだと思う。

「絶対に空を見上げてはいけない」がこの映画のキーフレーズとして使われているが、OJたち、とりわけOJは、何年もこの空を見ていた。
のに、気づかなかったのである。
しかし、自分が”それ”を「見た」ことは、すなわち”それ”に「見られている」ことに気づくことができた。

「I'm watching you」を表すジェスチャーは、「見られている」こと、自分ではどうしようもできない絶対的な恐怖に打ち勝つための、一種のおまじないなのかもしれない。

あとがき

なぜ急に、見た映画のレポを書こうと思ったのかは、ここまで読んでもらえればわかるように、自分のこれまでの(まだまだ浅い)映画体験をこれでもかという風に刺激されてしまったからにほかなりません。
ゲームクリエイターの小島秀夫さんが『NOPE』に寄せたコメントで

映画愛という懐かしさを想起させる“既知との遭遇”でもある。

https://nope-movie.jp/news/2022/08/26/comment/

と言っていて、まさにその通りだったし、なんて上手い例えなんだ!!!と感じました。天才か。

そして、ある意味で、靴が垂直に立つ”奇跡”を目撃し、チンパンジーによる惨劇を生き残り、その元凶と意思疎通できたことで、自分はどこか特別ではないか、主人公になれるのではないかと思っていただろう、ジュープのように、”それ”をおさめた映像でバズって有名になり一儲けしようと思ったOJのように、私もこの映画に使われたオマージュを見つけられた自分、こんな考察ができた自分、すげぇしやべぇのでは!!と思いたくてこの文章を書いている部分は否定できません。
まさしく、自分の力の及ばない”それ”をどうにか自分のものにし、何かしらの利益を得ようとする愚かな人間像、そのものだなと思います。

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」で『NOPE』を取り上げた回でも、見る/見られる構造に関して触れられていました。

「全然怖くなかった!!!」は半分嘘、半分本当で、3回ほどびくっとなりながら、危なそうなところは若干薄目で見ていたものの、後半は目ガン開きで鑑賞できました。
『ゲットアウト』と『アス』も見たいです。

以上!!!!

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