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NOPEにくらったNOTE その①

まえがき(読まなくてもいいが、『RRR』はみて下さい)

先日グランドシネマサンシャイン池袋へ、ジョーダン・ピール監督の『NOPE』を見に行きました。

『NOPE』自体の公開は2022年8月(アメリカでは7月)。もうすでにダウンロードでの先行発売も、円盤も発売されている状況。私も、去年別の映画を見に行った時の予告で何回か目にしていました。当時見に行った周りの友達も面白かったと言っていて、「気になるな~気になるな~」と思っているうちに、気づくと映画館での上映は終わっていました。

年末、Twitterで #2022年映画ベスト10 をチェックしていると、またもや『NOPE』の文字がちらほら…。

「ガァ~~~やっぱ面白いんじゃ~ん!!!!」

世の中の面白いものはすべて見ておきたいミーハーの頂点に君臨しているといっても過言ではない(いややや過言かも)私が、なんでここまで来て見ていないかというと、単にホラーが苦手だからである。(かわいい~)

昔から怖いものは苦手で、『ほん怖』の予告をたまたま目にしてしまうたび、前置きがほしい!!!!と憤りを感じ、友達の家の犬のぬいぐるみの首が夜になると一回転する話とか今でも覚えてるし、ディズニーのホーンテッドマンションも高校生になって初めて乗ったくらい。『クレヨンしんちゃん』の夏になるとやるちょっと怖い回や『怪談レストラン』が見れてやっと。今まで見たことあるホラー映画(ホラーのジャンルではないかもしれない)は、
・『キャリー』
・『シックスセンス』
・『ミッドサマー』(途中まで)
・『OLD』
である。(ミッドサマー、確かあと20分くらい)見ろや!!!

ジョーダン・ピール監督の過去作品『ゲットアウト』や『アス』の評判も耳にしてはいるものの、ホラーが苦手な私は、もちろんこの2つも見ていないし、『NOPE』のネタバレも見ずに過ごしていました。

年が明け、グランドシネマサンシャイン池袋では、巷で話題の『RRR』のIMAX復活上映が決定。前の週にアップリンクにて、”ナートゥ”をご存じになった私は、いやこれ、IMAXで見ないわけに行かないっしょと、2回目を鑑賞。

※IMAXの続映決定しているので、見ていない人は見た方がいいです。

話がそれましたが、そんなこんなで、家から近いこともありTOHOヘビーユーザーだった私が、グランドシネマサンシャインをチェックすることに。(グランドシネマサンシャインのIMAXが関東で一番デカいのは知ってたんですけどね…)

すると、中の人が動いてくれたおかげで今度は『NOPE』のIMAX復活上映が行われるとのこと。

こりゃさすがに行くしか~????

ということで、冒頭に戻りますが、『NOPE』を見てきた次第でございます。

長ぇまえがき読んでくれた人、ビックラブです。

『NOPE』とオタク

そうは言ってもホラーが苦手な私は、お友達と行こうと思っていたのに予定が合わず、断念(号泣)(また復活上映したら行こうね)。
怖いならネタバレ見ておけば、と思うかもしれないが、それはオタクの性に反するというか、まずそれもちょっと怖いので、見れない…。

念には念をということで、『NOPE』を既に見ている人に「一人でも行けるか」「怖いのか」を再三確認し、緊張の面持ちで座席にピットイン。いいものはいいところで見たいので、座席は臨場感MAXのど真ん中をとりました!!!!

見終わった瞬間、こりゃやべえ、完全にくらってしまった、なんとも言えない感情に。手汗でべちょな指を走らせ、忘れないよう急いで携帯にメモをとりつつ、速攻帰宅。Noteにログイン、キーボードをカタカタさせている、という状況です。

『裏窓』とオタク

意味深な聖書の一節から映画は始まり、テレビから聞こえるコメディ番組と思わしきの出演者の声。どうやら"ゴーディ"の誕生日を祝っているようだ。
賑やかな声は突然、悲鳴に。

場面は変わり、目の前には垂直に立った靴と、ソファの向こう側から伸びる女の人と思われる脚。撮影所のセットと思われるが、垂直に立つ靴とは裏腹に、現場はめちゃくちゃに散らかっている。観客がいたと思われる座席の上では、「Applause(拍手を!)」のランプが虚しく点灯していた。

奇妙な光景に、あ~、、、なんかやだな~と思いながら見ていると、ソファの影から血だらけのチンパンジーが出てくる。
ここで、この現場を荒らした犯人であり、ソファの向こう側で倒れている女の人は、このチンパンジー、ゴーディに襲われたとわかる。被っていたパーティーハットを投げ捨て、毛づくろいをしながら辺りを見渡すゴーディ。(こちらに気づくなよ…)という観客の思いも空しく、彼と完全に目があったところでシーンが切り替わるのであった。

この、ソファの使い方、えぐくない??

私は、撮影現場のシーンということもあり、自分は観客なのに、ソファの向こう側(観客席)ではなく、こちら側(セット)にいることに疑問を感じていた。
観客席からであれば、ソファの向こうで起きている状況の把握ができ、その後ろで怯えている人(この映画でいうとジュープ)がいることも一目でわかり、がうまく逃げられるのかひやひやしながら見ることができただろう。現場で起こっていることは、あくまでも自分とは無関係かつ作られたものであり、こちら側(観客)は安全であるはずだから。

しかし、なぜか自分はソファで仕切られた見えない恐怖に怯えないといけない。どうやら、この出来事は私にも関わりが十二分にあるらしい。
後半で、この一人称視点がこの番組に出演していたジュープのものだとわかり、なるほどと思うのだが、恐怖の元凶が、そのソファを越えてこちらに来る描写。そしてそれと「目が合う」描写は、観客を物語に引き込むには効果バツグンだし、この作品で最後まで描かれるテーマを端的に示していると思う。

個人的にヒッチコックの『裏窓』を思い出した。というのも、学生の時に『裏窓』における映画体験を考察し、レポートを書いていたからだ。もうそろそろガタの来ているPCからそのPDFを見つけて今読んでみると、そう深いことは書いてないが、やっぱり似たようなことを当時の自分は考えていたらしい。

「映画を見に行く」という行為は、人が見たいと思って行動するところから自発的な行動であり、能動的なものだと考える。映画館で観たい映画のチケットを買い、座席につく。 そして、 上映される映画を見ることになるが、 この 「映画を見る」 という行為は、果たして能動的だろうか。
映画における観客の視点は、スクリーンに映った映像以上になることはない。今見ている映像の裏で何が起こっているか知る由もないし、 たとえば この登場人物には興味がないから他の人を見に行くということはできないのである。 つまり、観客は流れている映像を、受動的に見ていると言うことができる。 私は、「映画を見る」という行為は、 一見、能動的な行為に思えるがその本質は受動的な行為に近いのではと考えた。 今回のレポートでは、『裏窓』における映画体験について考察する。

こんな感じから始まるレポート

『裏窓』では、一枚の窓を通して、窓の外(あちら側)で起きたかもしれない殺人事件を、部屋の中(こちら側)から推理していく主人公ジェフの視点で描かれている。あくまで、殺人と無関係のジェフの一傍観者としての視点。しかし、一部で三人称の視点が挟まれ、そもそも本当に事件は起きたのか…とジェフ自体を疑うこともできる観客の視点も得ることができる。

怖い話、もうそのレポートよりこのNoteの方が長くなっているわけだが、『裏窓』と『NOPE』では、この画面内を分断しているもの(窓・ソファ)を通した観客の視点・立ち場は逆である。ソファのこちら側にいる我々は、この悲惨な現場の当事者である。

一傍観者として事件の行く末を見守りたかった私は、それを許されず、安全だと思っていた窓(ソファ)を超えてきた、それに”見られてしまう”のだから。

Noteの記事って3000字前後がいいらしい

こんな感じで、映画の流れに沿って、あれがすごかった、これはこうじゃないかと言っていくと、永遠に文字が続いてしまいそうだし、自分の記憶も危うい(ここまで書いてきた上記の冒頭部分が本当にあっているか若干不安です。DVD借りて見ながら書けという話なんですが、それをやると、この書きたい熱も、時間もなくなってしまいそうなので…)
今までずっと書こうと思っていたNoteで、自己紹介的文(途中まで書いた)より前に、それをやってしまうと、もう二度とNote書けない気がするので、もうあとは思ったことつらつらします!!!!!!!

つづく。(本気?)



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