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【映画】和製ドラゴン「倉田保昭」先生

邦人で世界で活躍する国際派俳優と言えば誰を思い浮かべますか?

古くは黒沢映画での功績から海外から多くのオファーを受けいくつかの海外映画に出演された三船敏郎さん、近年ではハリウッドに活躍の場を移している渡辺謙さん・真田広之さん等挙げられますが

私の中では「倉田保昭」先生がまず思い浮かびます
(なぜか先生と言っている💦)

香港や台湾映画を中心とした日本人俳優の海外進出の先駆けであり、元祖国際派アクションスターであります

私が倉田先生を知ったのは、昔(1990年代後半)広島で土曜日の深夜、よくVシネマを放送しており、その中に、漫画「静かなるドン」で有名な新田たつお先生原作の「となりの凡人組」という作品があり、その主役が倉田先生でした

作品終盤に倉田先生のカンフーアクションシーンがあり、日本人離れしたジャッキー・チェンさながらの敵との格闘に「ただ者でない人だ!」と感じ、興味を持った次第です
(ちょうど中学生~高校生くらいの年頃で、カンフーアクションをする俳優さんはとてつもなくカッコ良くみえました)

元々、高校・大学で柔道や空手を習得され、大学在学中から東映俳優に所属をしましたがパッとせず、卒業後も2年間特に何もない状況、とあるプロダクションから誘いがあった香港映画のオーディションに合格し、香港に渡ることで、倉田先生は本格的に国際派アクション俳優の道を歩み始めます

ただ、この頃の香港やその後渡った台湾の芸能界…
私の推測もありますが、特に台湾では黒社会が牛耳っており、常に死と隣り合わせの状況の中、死線をくぐり抜けながらも活躍されます

香港で関係を築く中、あの「ブルース・リー」氏とも対面され、持参していた自分の<ヌンチャク>をプレゼント
よって、倉田先生が<ブルース・リー=ヌンチャク>というアイコンのきっかけを作られたことも偉大な功績です

その後、香港での活躍が認められ、逆輸入の形でテレビ東京系ドラマ「戦え!ドラゴン」に出演。
そして日本でも人気を博したことで、TBS系の刑事ドラマ「Gメン75」の出演が決まり、倉田先生がフィーチャーされた「香港カンフーシリーズ」が目玉になります

しかし、「Gメン75」以外にも新たな挑戦をしたく番組を降板されましたが、現実は甘くなく干される状況となり、その窮地を救ったのが、80年代香港カンフー映画俳優代表格「ジャッキー・チェン」と「サモ・ハン・キンポー」
(彼らとは香港時代に知遇を得ていました)

撮影でジャッキーとサモハンが来日する機会があり、彼らに現状を伝えたら、「香港で一緒にやろう」と言ってくれて、サモ・ハン・キンポーの会社と映画3本分契約となり、倉田先生は何とか救われました

その際、出演した映画の1つが「七福星」という映画で倉田先生が38歳頃
敵役で存在感があり、釵:さい(ψ)を使ったアクションで「ジャッキ・ーチェン」と「サモ・ハン・キンポー」を追い詰めます

その後、「フィスト・オブ・レジェンド」という映画では、「ジェット・リー」目隠しでカンフーアクションをする一流の技を見せており、今でも香港映画、日本映画・ドラマ等、多岐にわたり活躍されています

日本から世界へと言いますか、日本での不遇や干され世界しかなかったと言うべきなのか…

ただそのおかげで、香港映画界での倉田先生の地位は確固たるものとなり、倉田先生の根底にある日本の武道の素晴らしさを世界へ広めました

現在77歳ですが、YouTubeにて、「倉田保昭 Dragon Channel」で元気な姿を拝見できます

末永いご活躍を祈念いたします

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