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これも、何かの縁、ということで。【前編】

思い起こせば、きっと何かの縁があったのだろう。

すごい名文を書けるわけではないけれど、
「書く」ことへの縁があったのかも。
そんな風に思うきっかけが2つあった。

本当はダメなんだけど…。

中学3年の秋だった。
恒例の、後期の委員会を決める時期。

私は吹奏楽部に所属していて、まだまだ部活の忙しい最中。朝日吹奏楽コンクールは残念ながら県代表ならず、8月で幕は閉じた。

中部吹奏楽コンクールは秋になって本大会を迎えることになっていた。

まだまだ吹奏楽部に明け暮れる日々。文化祭の楽曲の準備もある。

顧問の先生からは「部活が忙しいから新聞委員にはならないように」と、確か、そんなお達しが来ていた。

新聞委員は文化祭でクラス単位で壁新聞(B紙をいくつか張った大きい紙面になんやかんや、書きまとめる)を作らねばならなかった。新聞委員がクラスのとりまとめとなり、期日までに仕上げなければならない。

ネタに構成にと、紙面づくりはなかなか面倒だ。一人ならず、クラスで一つの紙面を作るのだから、なおさらだ。

はっきり言えば、誰もなり手がいなかった。

もちろん私も手を挙げはしない。

だって、ダメって言われていたから。


他の委員をしていない残りの13人でくじ引きをした。

結果、私が引き当てた。

顧問の先生にはすごい目でにらまれながら練習を抜け、クラスで紙面づくり。

なかなかネタも出ないから、
「こんなんどう?」
「あれはどう?」
といいながら、結局私がやらねばならなかった。

この時は、
「私って、なんて運が悪いのだろう…。先生にもにらまれて…。」

なんて思っていたが、それから数年後、再び悪夢はやってきた。

【後編】へ続く。

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