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日本人と海外の人の働き方を比較されがちだけどさ...

日本人は安い賃金で働く、仕事でも張り切って働いている。それは無駄じゃないか?何故そこまで仕事に命をかけるのか?という某インフルエンサーの言葉。

間違いではないけど、僕はあまりいい表現ではないと思う。じゃあ海外を引き合いに出して、海外ではお金の為に働いている。安い賃金の仕事ではそれなりの勤務対応だ。誰もが働くために生きてはいない。

よく日本人の働き方は奴隷的だと表現するけど、じゃあ海外の人の働き方は機械的だよね?と思う。ガソリンの質や量によってロボットが動くレベルが変わるみたいな。そんな感じ。

僕は別に奴隷的だろうが、機械的だろうが別にどっちでも良いよね?って考えです。どちらでも一長一短あります。でも日本人ガーとか言いながら、めちゃくちゃ日本のサービス使いまくってる癖に何故か口では批判の嵐ではちょっと恥ずかしいよね?って思うな。

一生懸命働くけどでも身体は大事にしたいとか、自分が命をかけても自分の代わりはいないんだよ?とは思います。自分の命を投げうってまでそこまで頑張らなくても良いんだよって。生活は苦しくなるけど考え方によっては楽にもなれる。そういう少し抜ける部分が欲しいよねって思う。

というのも奴隷的だと言われちゃうのが多分そこ。本人は一生懸命働く。とっても素晴らしい。でも自分までぶっ壊しちゃう。そしてそれに気が付かない。それだと良くないって思う。それならば程よく気を抜いている海外の働き方が良いよね?って言われるのも分かる。

でも海外をアメリカに限定すればめちゃくちゃ奴隷社会だと思うけどねあっちは…。多分日本のほうが全然マシ。アメリカではーとかいつの話よ?ってレベルらしい。だからあまり海外を美化する話は聞き入れないほうがいいとは思う。

結局さ東京オリンピック見てもわかるけど、日本のサービスは素晴らしいと思う。パリ五輪なんて酷かったよねあれは。如何にフランスが美化された国なのかわかった。誤審やら不正やらが横行する中で、世界三位まで行った日本勢はマジで凄いと思う。ホントに。

まぁオリンピックって聞こえはいいけど、実際にカモフラージュ的な物で、裏ではアレヤコレヤどっかさんの組織がコソコソ動いているというのは、今ではもはや有名な話になってるけどさ。オリンピックはそういった名目で行われているという話だけどさ。

話しがそれたけど、海外ではー海外ではーっていう話はマジで真に受けない方がいいと思う。確かにいい所も多いけど、悪いこともある。それは日本でもそうじゃない?非常に極論な見解で浅はかだよなって思う。データではとかそういう系。

別に安い賃金だろうが、奴隷的だろうが、結局は本人が働いていて楽しいとか、嬉しいとか思っているならそれでいいんだよね。なんも問題ない。だって楽しいんだもん。それがめちゃくちゃつまらなくて、でも一生懸命やらなきゃって消耗するなら問題だと思う。自分にはここしかないと思ってもまだわからない。もしかしたらもっといい場所があるかもしれない。人生何があるかわからない。

だから奴隷的というのは基本的に、道はこれしかないと思い込んじゃうって事だと思う。一つの道に乗ったら最後まで走らないといけないだろうみたいな。でもその扉がAの部屋だとすれば、Bの部屋はもっと楽しいかもしれない。もっと楽かもしれない。Bが駄目ならばCの部屋はもっと魅力的だったって事があるとすると、じゃあ今のAが駄目でもいいじゃない?っていう選択肢を持つ。

いやいやそんなに人生甘くないよ?っていうのは誰の言葉?貴方が未来を見てきた結果なの?誰かが言った言葉?その人は何処の部屋の人?まさかAの部屋の人じゃないよね?その人はずーっとAの部屋で生きて来た人だよ?

どうですか?僕はあまり奴隷だとかそういう表現はしたくない。そもそも奴隷社会だとか言いながら、結局はその社会に助けられている。公共機関だって使ってる。サービスだって使いまくっている。そんな中で奴隷だよねーって僕は違うと思う。確かに昔はそうだと思った、色々な物に違和感を感じてた時期。僕は世の中がどうしようもなくおかしな物で偏って見えていたから。

でも実際は違うんだよね…。僕の考えが浅はかだった。この世界は沢山の違和感と沢山の闇と沢山の光と沢山の愛で出来ている。何が言いたいかというと全てがバランスで成り立っているということ。

日本では日本の。アメリカではアメリカの。全てが全てその国のバランスで成り立っている。ならば、どちらの国がおかしいとか正しいとかそれ自体が間違ってるんだなって気がついた。

だから奴隷だろうが機械的だろうがそんなものは大した問題じゃなくて、人生をどう歩むかなんだろうな。楽しめるか楽しめないか。僕はそこだと思う。楽しめてるならそこにいればいい、楽しめなきゃ移動すればいい。たったそれだけ。それだけで幾分幸せになれるし、近づける。

だからそういった極論を言ってる動画などは面白いけど、ただ面白いってだけ。いわゆるエンタメね。ただ正しい事も言っている。でも全てではない。結局はデータだもん。専門家が言っていただもん。そのデータや専門家は何処の部屋の人間?それを見つけるのも人生の楽しさじゃない?って僕は思う。

だから人生は楽しんだほうが良いよねって僕は思う。まさかそんな楽しむとかお前寝ぼけてんじゃねえぞって言われても、じゃあ貴方は見てきたの?って思う。全ての部屋を覗いて来たの?ってそれで合わなくてそこの部屋にいるの?って言いたい。

だから人生は辛いものだと言われるけど、案外そうでもないとも思える。人生嫌な事が多いと言われても、でもいいことも沢山あるとも思う。

だから死ぬほど辛いなら、部屋を出ていけばいい。そしてちょっと遠回りでも他の部屋に入って見ればいいのかな?

国によって働き方がそれぞれならば、生き方だって人それぞれだよね?それならさどんな生き方を選んでも文句を言われないはずじゃない?誰に何を言われてもいいと思う。

だって全ては自分の為にあるんだから。それで良いと僕は思う。

それではまた🤝🤝🤝🤝🤝🤝

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