記憶に残した男の話
僕は中学時代柔道をやっていた。うちの学校は世間の評価的に言えばそこそこ強い部類だったと思う。先輩たちの最後の試合。地区大会を見事に勝ち抜いて、県大会まで行った。結局県大会も後少しというところで、負けてしまい。彼らの青春は終わった。
中学生3年生になれば僕たちは年長者だ。毎年必ず沢山の生徒たちが門を叩く。そしてその生徒達は誰もが身体も、身長も小さくて戸惑った。この子達で大丈夫だろうか?と。1年生が集まった所で、全部員が顧問に呼び出されて、軽い自己紹介をする。顧問の表情が若干曇り気味なのが気になったが、生徒たちは皆ハツラツと自己紹介をしていく。
その中でも取り分け小さい生徒は、失礼かもしれないけど文化部向きだった。身体は愚か何処かよそよそしい、そんな印象だ。僕は本気でこの子が柔道をやれるのか心配だった。
合流後1発目の稽古は体力測定だ。とは言っても体育の授業の様なものではなく、筋トレを主体にして、スタミナ、運動神経、そして根性を見るといううちの鬼顧問式だ。普段日常生活では優しそうな表情を取り作っているが、僕たちからすればただの鬼であるw実際うちの妹はとても優しい先生だと勘違いしている。表では大きな優しいパンダであるが、部活動では百戦錬磨をくぐり抜けて来た猛獣である。僕も廊下ですれ違う時は小さくなっていたものだ、悪いことは一切出来ない環境であった…。
続々と生徒たちが体力測定を終わらせていく。身体は小さいが意外と根性がしっかりとしている生徒が多く「こりゃ鍛えがいがあるぞ」とニヤリと笑う顧問を見て、僕はお気の毒にと生徒たちに手を合わせた。
最後の走り込み。全部員が武道館周りを走らされる。地獄のトレーニングだ。勿論運動をして来ていない1年生はゼーゼー言いながらついていくのがやっとであった。そのずーっと後ろをほぼ歩くようについてくる生徒が1人目についた。問題のあの生徒だ。仮に彼をS君と呼ぶ。
僕は何度か彼を鼓舞しようと声をかけるが、何やら目が虚ろだった。こりゃまずいなと思い顧問に「彼、ちょっとヤバそうです」と告げると、はぁーというため息をついて、彼を休ませる事にした。流石に初めての稽古、なれない道着を着込んで走り込むのは地獄だろう。でもこんな所でへばっていたら、これからの地獄をどうやって切り抜けるのだろうか?先が思いやられた。
部活もシーズン中盤になると、徐々に1年生も形についてくる。厳しい稽古に必死に食らいついて、時折先輩を気遣う姿が可愛くて、そんな後輩たちを皆で可愛がっていた。徐々に試合にも参加して、勝ちも負けも経験して少しづつ皆が成長していく。思えば僕たちもそうだったなぁ。僕たちの先輩も皆可愛がってくれた。先輩と呼ばれるのは少しむず痒いが悪い気はしない。
生徒数が多ければ、試合に出れる生徒も限られてくる。僕たち先輩は個々に後輩を指導する事も多く、彼らの能力を顧問に報告する。顧問の目と、生徒の目を参考に試合に出る生徒たちを決めていく。そして問題のS君は練習試合には参加出来るが、公式試合には出ることがない。身体が小さければ声も小さい為、応援に熱が入っていないと叱られる事もしばしばだった。僕は気の毒だったので極力気を使って来たけど、どう頑張っても彼は変わらなかった。
そして僕たちの最後の青春。いつかは顧問に全国の地を踏ませてあげたい。という僕たちの熱い気持ちが、より一層練習に熱が入る時期だ。受験勉強も兼ねて、部活動の練習もハードになっていく時期で、少し皆ピリついている。そんな先輩たちの気持ちを和らげようと、後輩たちはおどけたり、話しかけたり彼らなりの愛情を振る舞っている。
そして最後の僕たちの晴れ舞台が始まった。地区大会も見事に勝ち抜き、僕たちは慣れて県大会へ出場を決めた。せめて先輩たちの記録を抜いてやる!!という熱い気持ちにより一層熱が籠もっていた。それに比例して練習も激しさが増して来る。鬼顧問の怒鳴り声が武道館に響き渡り、目の前を通る生徒たちは皆早足で逃げていく。そんな中顧問とマンツーマンで練習に汗を流す生徒がいた。S君だ。
なぜだか彼はここのところ、練習に熱が入っている。小さい体をヒグマの様な顧問にぶつけて、投げられては立ち上がり、投げられては立ち上がり、見ていて気の毒になるほどだった。彼の必殺技である背負い投げでどうにか顧問を倒そうとする気迫が、今までの弱気だった彼とは想像がつかなかった。
練習終わりにはボロ雑巾の様に倒れ込んで動けなかった。挙句の果てには着替えすらもまともにできなかった為、僕たちで着せてやった程だ。彼に何度かその気合の理由を聞いてみたのだが、ただ勝ちたいです。絶対に勝ちたいんです。というだけだった。
そして県大会当日。僕たちは個人戦を終わらせて、団体戦へと移る。個人戦は勝つ者も多いが、僕はてんで駄目であった。上背があるせいで、ウェイトを増やすように指示された僕は重量級まで身体を大きくした。今では想像できないが体重も90kgを超えていた。不幸にも重量級には上限がない。上には上が限りなくいるので、どう見ても大人だろっていう生徒も多いのだ。そんな中でも僕は小柄な部類なので、勝てはするものの、負けることもしばしばだった。
早々に個人戦は諦め、団体戦に専念する。その間にもちょこちょこ後輩たちの試合が消化されていく。やっぱり1年生の試合は何処か初々しくて、見ていて微笑ましいものだ。
次々と試合が消化されていき、負けて悔しがる生徒も、勝って喜ぶ生徒も、皆実績を残していった中、今大会1番の名勝負をした生徒が1人いた…。
試合前からガチガチと身体を震わせるS君。正直言うが、彼が勝っている試合を見たことがない。いつも試合前はこんな調子で、まともに試合が行える様な精神状態では全く無かった。
試合の時間が来て、彼は畳に向かう。名前を呼ばれた声が裏っ返り多くの失笑を集めた。そんな中顧問だけは目を見開いて、彼の背中をバシンと叩いて鼓舞する。静粛な間が空いて僕たちは固唾を飲んだ。試合が始まったと同時に彼は一目散に掴みにかかる。「おい!それじゃ駄目だ!!」うちの熱血部長が叫ぶ。そんな束の間小内刈りで彼の身体は浮いた…。彼の敗戦パターンだ。猪の様に突っ込み、足を掬われたカニの様にひっくり返る。だが彼は体を捻って、どうにか持ちこたえる。審判は有効のコール。ああ…。という安堵の声も束の間、相手はそのまま身体を畳に押し付けて押さえ込む。
彼は最も寝技が苦手であった。上から抑え込まれたら、食われる前のシマウマの様になってしまうのだ。誰もが彼の負けを確信したその直後、彼は全身の力を込めてひっくり返した。有効を取られて合わせて技ありになる。もう後には引けない展開。判定では先ず勝つことは無理だ。彼に残された手は…。
僕は彼と試合前に話した内容を思い出していた。
「僕がどうしても勝ちたい理由。先輩たちは何だと思いますか?」彼はいつもの自信なさ気な雰囲気で僕たちに問いかけた。
「好きな子で出来て格好つけるためかー?」とか「勝った事がないから勝った気分を味わいたいから?」等と皆で彼をおちょくっていた。
でも彼は真っ直ぐな目で僕たちを睨み。
「先輩たちの為なんです。どうしても勝って先輩たちの勝利へと繋いであげたいんです!」と彼は強く言い放った。
僕は薄々気がついていた。彼は誰もが思う様な気弱な生徒ではないと。きっと内側には熱い想いがあるのだと。現に彼はずっと部活動を続けている。無理だの何だの言われようが、一心不乱に食いついていく。気が弱かったらそんな事は出来ないはずだから。
今まで茶化していた仲間たちが皆真剣な顔で、彼の肩を叩いて。彼の熱意をたたえていた。「俺たちが結果を見せないといけなくなるじゃんか。」「それじゃ負けらんないから責任重大になるだろうが」と僕らは笑ったのだ。
そんな彼がこんなに死に物狂いで頑張っている。今まで見せた事がない試合展開をしている。僕たちの応援の熱がより一層を強くなる。気がつけば会場イチ盛り上がっているので、他校の生徒たちも皆覗き込んでいた。
試合もそろそろ終盤。なんとか技をかけるも中々決まらない。でもここで止まるわけにはいかない。下手すれば指導を食らうからだ。「手を出せー!足を使えー!動きを止めるなー!」団体戦が始まる前だというのに既に声はガラガラだった。顧問もお尻が浮いて、半分立ち上がっている。
そして奇跡が起きた…。
試合も残す所後数10秒。誰もが諦めかけたその時、身体が中を舞った。それは見事な放物線だった。スパーンという畳を叩く音と共に「1本!」のコールがかかる。勝者は膝から崩れ落ちた。汗と涙がまみれた顔で膝をついていた。
幾度も幾度も繰り返し打ち込んだあの技。何度も倒れては立ち上がったあの精神力。その努力の粒が今1つになってそれが弾けた…。
その直後会場は割れんばかりの歓声に包まれる。礼を終えて戻ってくる彼を皆で祝福した。中には感極まる生徒もいたほどだ。顧問の厳しい表情が緩んで、少し口の端が震えている。生徒たちに頭を小突かれ、背中を叩かれ、彼は右腕を天に掲げていた。
「次は先輩たちの番です。僕はやるだけの事をやりましたから…」
そうして僕たちの青春は終わった。結局僕たちは先輩たちを超える事が出来なかった。悔しかったが仕方がない。S君に皆で謝った。彼の気持ちに応える事が出来なかったからだ。でも彼は笑顔で「先輩たちとってもかっこよかったです!僕もいつかは先輩たちみたいになりたいです!」と彼は祝福してくれたのだ。そんな中、無責任な部員の1人が、「お前たちが負けたせいでユニバーサル行けなかったじゃんかよー」と補欠にも入りやしないやつが言いたいこと言いやがって、と思ったがそればかりは言い返せなかった。(後日彼を乱取りに誘って皆で処刑してチャラにしたのだがw)
僕たち部員が未だに覚えている試合。それは間違いなくS君の勇姿だった。相変わらず負ける事も多く、彼は2年生の間は結果が出せなかったらしい。それでも彼は大きな記憶に残した。彼の試合前の全てを覚悟した目。試合中の諦めない必死な顔つき。そして全てが決まった後の彼の嬉しそうな顔。
僕はオリンピック等で多くの試合を見てきた。でもそのどの試合も全てS君の姿が重ねられてしまう。入部当初からおどおどして、頼りなかった背中が、一層大きく見えたあの試合。過去のどんな名勝負よりも素晴らしい試合だったと僕は自信を持って言えるだろう…。
世の中、記録を残す事というのはそこまで大変ではない。いや大変だとは思うけれど、やればやるだけ記録に近づける。でも人々の記憶に残せるものというのは限られている。何年経っても忘れる事が出来ない事。強烈に心に刻まれる記憶というのは何処でどう起きるのかわからない。
それは勝ちでも負けでもない。何か人の心を揺さぶる。人が感動できる。そんなものというのは簡単な事ではないのだ。
僕たち現代人は常に記録ばかりを意識している。記録を残すために何かに努力をする。結果ばかりを追い求めて、人は挫折を知る。そして記録を手にできないまま人生を終えてしまう事もある。
僕は自分を見失いそうになった時に、あのS君の姿を思い出している。彼が見せた試合。決してスマートでカッコ良いわけでもなかった。でも必死に食らいついていく姿、絶対に勝つという強い信念。僕は何かに諦めそうになった時僕の気持ちを奮い立たせてくれた。
貴方は今まで人の記憶に残る為に生きて来ましたか?それは時に泥臭く見えるときもある、下らないって指をさされる事もある。でもどんな行動も、言動も誰かの記憶に残ると言うことを知っていますか?誰かにとって生きていくための勇気になれると言うことを知っていますか?
記録なんて時間が経てば忘れていく物です。物なんてどんどん劣化していく物です。でも貴方の胸に刻まれた記憶は絶対に色褪せしません。寧ろ時間が経つに連れてどんどん光輝いていくのではないでしょうか?
そしてもし僕が人生において一つだけ、格言を残せるとしたら。僕はこう言いたいです。
記録よりも記憶に残る生き方をして欲しいと…。
誰にでも良いんです。誰かの記憶に残せる生き方こそが僕たちの生きる使命なのではないかと思っています。それこそが僕たちに与えられた生き方であり、生きる為に与えられた力なんですよ!
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卒業を終えて数年後僕の友人はOBとして武道館を訪れました。初々しかった生徒たちももう3年生。程よく貫禄がついて、彼らもまた僕たちと同じ地を踏むのだろうか?その為にまた鬼のような特訓に励んでいたそうです。
「今回もまた良いのが揃ってたぜ!?」
顧問もまた小さくため息をついていたそうです。年々小さくなる生徒たち。いやはや団体戦、大将は誰にしたらいいのかなぁとタバコの量が増えていたそうな…。
そんな小さな生徒たちの前で、厳しく指導する、1人の生徒がいた。相変わらず小さく、頼りないがそれでも生徒たちに必死に指導をしていたそうだ。そんな彼を見つけ「調子に乗るなバカ!!」「たった1勝したくらいでよ!」と彼を小突こうとした後ろから、大きなゲンコツが飛んだ。
「馬鹿野郎。今じゃアイツは団体のメンバーだ!」「お前らが想像できないかもしれないが、結構やれるぜ?」
だそうだ…。人生何があるかわからないな…。と友人は興奮したように僕に話していた。「時が経てば人は変わるものだよ」「彼は元々は強いやつだったんだから…」
それもそうだなと彼は笑った。その真実を知っていたのは僕だけじゃなかった。誰もがその内に秘めた強さに気がついていたいたのだ。
そんな時ふと、あの時の風景が目に浮かんだ。
ボロボロになって走る姿。呆れる顧問の顔。
あああれは本当に酷かった…。ある意味あれも記憶に残る出来事だろうな…。
そして今日もあの時と同じように、太陽の光がさんさんと照りつけていた…。目を閉じると沢山の声が聞こえてくる
そんな中気の抜けた小さな声がその音を割って入り、僕は吹き出した。
いい男になれよ…。良いも悪いも記憶に残した男よ…。
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