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僕の患った痛みと苦しみ

最近なんか嫌なことが続いて
何となく書いてる内容もネガティブでダークな気がしている。でもいつかはこの事を吐き出しておかないと僕の精神衛生上あまり良くない気がしている。
それは僕が書かないとと思い立ったもの
理由よりも先ず頭に浮かんで来たからだ。

僕は産まれた場所は埼玉の田舎の方だ
とはいえ大通りが通っており、車の通行が多い
お陰で少し空気が悪かった。
そのせいもあったのか、その当時は喘息持ちで身体が弱かった。今では想像が出来ない
僕は早生まれなので何をするのにも一足遅い
それが僕のイメージ。
歩くよりも歩行器を乗り回し、お陰で独り歩きする時期が遅れてしまった。
幼稚園へ行っても、ほぼ一回り年齢が違う他の友達とは初めの頃は馴染めなかった。
とはいえ、愛嬌があったので直ぐに友達が出来た

幼稚園から小学校へ
僕はこのまま一生この場所で育っていくものだと思っていた。
親父は何故か家を空けがちだった
妹と、母と僕の3人
勿論仕事が終わると帰ってくるのだがふとたまにいなくなる家の親父。
今でも忘れない、クリスマスの夜
僕は母親の乗る自転車にまたがり、買い物かごの近くの席には妹が座りプレゼントを買いに行った
今はなきハローマック
僕の最も好きな場所だった。
決まって僕のお気に入りはティーンエイジミュータントタートルズのフィギュア
僕はそれを買って貰えるんだと心を踊らせていたのだが、何処となく悲しそうな母の横顔
父親のいない初めてのクリスマスの夜は楽しかったがやはり寂しかった。
いつの日か父は小さな子会社の会計士を辞め
新たな事業を起こすと僕は聞かされた。
ただ、僕にはそんな事などわかるはずもなく
知りもしない新たな土地へと旅立つ事になってしまった。
人前ではガキ大将で僕と二人になると繊細な一面を見せる僕の親友
僕といるときにだけ弱音を吐き、実は誰よりもセンシティブな彼は、僕が居なくなると知って悲しんだだろう。
慣れ親しんだ場所を離れ新たな地へと移り住むという決断を強いられ。寂しいようなドキドキするような感覚になった

新しい学校にも何不自由無く馴染むことが出来たのは僕の天真爛漫さのお陰であろう
偏見もなく誰とでも合わせることが出来た僕は
直ぐに友達が出来た。
両親ともに朝から晩まで働き詰めの毎日
家を空けがちなので僕は俗に言う鍵っ子だった

友達が家に遊びに来ることがほとんどなく
家に帰って毎日同じ時間に迎えに来る従業員を待つ毎日。
職場へついて仕事が終わるまで仕事場でずっと何かをして時間を潰した。
僕の一番仲の良かった友人は毎日のように僕の家に遊びに来ていいか聞いて来た
だけど、遊びに来ても直ぐに仕事場へ行かないといけなかった僕は遊びたくても遊ぶ事が出来なかった。
結局その学校も離れ、また学校を職場の近くの所へ引っ越す事に

出会いがあれば別れがある
僕は二度もそんな経験をしなければいけなかった
新たな学校も居心地が良かったのだが
人生で始めて経験した謎のイジメ
新参者に対する宣戦布告なのか?いわゆるバイキンごっこの始まりだった。
嫌でたまらなかった僕を助けてくれた親友
彼のお陰で鬼の如くブチギレた担任の怖さのせいか次の日からぱたっとそれが無くなった

普段通り仲良くしてくれたのだが
心には小さな傷をその頃から負ってしまった
なんにも問題が無いはずなのだが、自分は何処か違うのだろうか?という疑問を持つことになる
確かに、僕の顔は少し立体的だ
日本人とは少し違うような何処か異国な雰囲気があるらしい。
僕はその顔が嫌だった
人と違うという障害は若ければ若いほど辛いものでなんでそんな顔に産まれたのだろう?と疑問を持ち始めた。
初めに断って置くが僕には異国の血は入っていない
それこそ両親は純日本人だ
強いて言うならば、家の母親の母
いわゆる僕にとってのお祖母ちゃんは、母が幼い頃に男を作って消えた
母は彼女の顔を知らない、どんな性格だったのかもだ
再婚した祖父は素敵な女性を連れて来た
僕の知っている祖母だ
子供の頃から疑問だった、何故母と祖母は似ていないのだろうと
その意味を知るようになったのは丁度成人してすぐの頃だったと思う。
母が突然その真実を話したのだ
祖母が本当の祖母ではないという驚きと、まさかそんな事が実際にあるのだという現実に少しがっかりしたが、でも僕にとって祖母は僕がよく知っている祖母で間違いはない。
ただ、祖父はずっとその記憶でさえも忘れようと彼女のもの全てを廃棄したのだそう
ただ一つだけ残っていたもの
小さな家族写真が入ったアルバムだった。
そこにいた女性は、顔が角ばっており背が異様に高い特徴的な顔だった
そして彼女の容姿は日本人というよりは韓国系だった様に感じた。
祖父が亡くなり途方にくれてた僕らに更に追い打ちをかけるような衝撃。
思えば祖父はしきりに韓国人の方を嫌っていた様に感じた
韓国人が経営する職場にも就いていた時期もあったらしいので、恐らく僕らの勘は当たってると思う。
そうなると僕はクオーター?
そんな事も想定できる。

どんな過去があろうとも僕は僕であり母は母であるが、正直驚いた。

話しを戻すが、僕の顔は韓国系ではなく
良く言えば中東系みたいな感じなのだろうか?
所謂堀が深めなのだ
ただその痛みが歳を重ねるごとに大きくなり
僕は醜態恐怖症まがいの病気に陥ってしまった。

毎日鏡を見て、写真を撮って
親からは問題ないと言われても満足いかず
僕の顔なんて潰れてしまえばいいのにと思うほどだ。
でも口は災の元とはよく言ったもので
ある18歳のお盆の頃。
海外留学を終えた後、僕は地元へ帰って来ていたのだが、なんと僕らの乗った車は酷い交通事故に遭ってしまった。
母はシートベルトのせいで腸が圧迫されて腸が一部潰れ内出血が酷かった。
僕はと言うと、シートベルトをしておらずぶつかった衝撃と共にフロントガラスに直撃した。
顔の半分はぐちゃぐちゃになり、見たことがないほど出血をしていた
それこそ血の味がするなんてものではなくシャワーを浴びている様な感じだと思ってほしい
そして車のバックミラー越しに見た僕のおでこはやけに白い部分が目立っていた
そう顔の皮膚が剥がれかけ、頭蓋骨が一部露出していたのだ
その後急に辺りが暗くなり、視界を奪われた
僕はパニックになった

ああ僕はこのまま一生光を感じる事が出来ない人生を歩むのだろう…

そんな不安を消してくれるかのように
僕の肩をさすり声をかけてくれたおじさん
誰かも見ることが出来ないのでわからなかったが
後続車の方だったとあとから知った。
そして酷い出血のせいで顔が真っ赤だったために
僕の目の周りを拭いてくれたのだが
徐々に光が戻って来て
僕は泣きそうになった。

ああ目が見える…
それだけでも僕は大分安心が出来た
救急隊が駆けつけ、僕らは別々の病院へ運ばれる事になる
比較的、回復が早かった僕は
若さもあったのか、入院生活3日目には怪我をしてないんじゃないかというくらいに元気になり
終いには部屋にすら帰らない程に元気になった
お陰で採血の時間さえもサボろうとする僕の態度に看護婦は呆れていたのだそうだ
「彼の食事だけ塩分を幾分減らした方がいいのかしら?」と医者に話していたのだそうだw
元気がないのも良くないが元気すぎるのも医者からすれば手を焼くのだろう。
結局予定よりもなんと1週間早く退院が出来
お陰様で顔の怪我なんて言われなければ誰もわからない程になった。
唯一あるとすれば目の下の縦線の傷の跡
人造人間キカイダーみたいで少しお気に入りなのは内緒w

でも肝心の母は様態がかなり悪かったらしく
今夜が山だと言われる程の症状だったらしい
一ヶ月も身動きが取れない毎日
水も食事も取れずまるで修行僧みたいだったと当時を振り返る母。
一向に良くならない事に日々悲しみを感じていた妹。目を赤く腫らして僕の病院へ来る姿は痛々しかった。
いつも病院内でふざけまわる僕の姿を見て大笑いをし何とか気分を紛らわせてくれたらと常に僕はピエロを演じていた。
そのおかげで家に帰る頃には何とか気持ちが落ち着いていたのだと当時を振り返る妹。
今になって思うのだが、本当に妹ではなくてよかったと強く思う
そんな傷を残して花嫁姿なんて想像できないからだ。

そんな傷のおかげで僕は醜態恐怖症をある程度克服出来たと思っている
ただその長い孤独の生活は僕をいつしか対人恐怖症という新たな障害へと変わってしまい。
人と極力関わらない生活を送るようになった

自生業だった事もあり
外へ配達などする以外は職場と社宅への移動の毎日
恋愛もしたが、僕には外の世界が嫌だった
何故か分からないが僕はいつしか自分の内側へ篭ってしまっていた。
本当の僕というものを内側のガラスに閉じ込めて
自分ではない自分を演じる
天真爛漫ではあるけど何処か棘のある、陰のあるそんな印象
そして誰も自分の事などわかる事はない
いつしか僕は世間と自分との間に大きな壁を作ってしまっていた。

音楽にハマり
僕の心を癒やしてくれた
非現実的な激しい音楽は、そんな心を埋めてくれた。
いつしか現実世界に背を向けて、空想世界に閉じ籠もった
スピリチュアル的なもの、宇宙的なもの等
決して目に見えない世界というものが僕にとって心地の良い場所であったのだ。
人間の真意、産まれた意味、この世に存在する事の理由など。そんな事を調べては自分を納得させようとしていた。

それに追い打ちをかけるように
自営の会社が無くなり、家を無くした
悲しい反面、ホッとした気持ちもあったのだが
人の不幸に対して、こうも非情になれる人間がいたのだという現実に怒りを覚え
対人恐怖症というものが悪化してしまった。
怒りというよりはそんなものだろうという気持ち
多くを期待しなくなる何処か冷めた気持ちの方が強くなった。
人は敢えて言わないだろうが、僕の顔は大分変わったと思う
前よりも笑わなくなったし、冷めた様な目をしていると言われる事もあった。
当時はストレスが原因で過食に走り
自己最高体重まで増加してしまっていた
測ってはいないが恐らく100kgはいっていたと思っている。
その後頭に来るような出来事のせいで、今度は食欲が無くなりあまり食べない生活をここ2年ほど続けたら過去最高のスタイルになってしまったw
好きな服が着れる。服が似合うというだけでここまで気分が高揚するものなんだなと改めて思った
お陰で幾分欲が減った気がするんだけど…
見た目は割りと良くなってはいても、内面的なものは少しずつ向上しようとしているが中々上向かない日もある。
そして僕は過去の友人の事をふと思い出す事がある。

彼らはどうしているだろうか?
元気にしているだろうか?
それと同時に不安に襲われる
僕とまた出会って今まで通りに接してくれるのだろうか?僕はあの頃のままでいるのだろうか?
僕の元を離れてしまうのではないか?
等、変な不安に襲われる事があり
どうしても踏ん切りがつかないでいる。

こうなったのは誰かのせいだとは言わない
そうなるのは必然だったからだ
そうなって僕は学んだ事は多くある。
痛みを経験し、痛みを理解できた
その痛みのお陰で誰かの痛みを理解できる様になれる。そして非力ではあるが手助け出来るはずだろうと思える様になれた

天真爛漫で何不自由なく生きていた人生ならば
到底人の痛みなどを理解できる様になれなかっただろう。
僕は恐らく人並みよりも痛みを経験した方ではあるかもしれない。
今では少しその過去の経験を感謝している。
多くの事に気が付かせてくれた事もあったからだ

とは言っても僕は聖人ではない
間違いは普通に犯す、それこそまだまだ未熟であるし、自分を崇拝することなんてないだろう
ただ少しだけど人の痛みに気がつける
そんな程度である。

苦しみ痛みはそのまま取れば苦痛であるが
裏を返せばまた違った側面を見せるものだ
そんな苦しみも痛みも僕を成長させてくれた経験値となってくれた事に今となっては感謝をしている。

ただ今は現在進行系で対人恐怖症という闇と闘っている
それを完全に克服するのはいつになるか分からないが、僕の体験談を元に
ためになるかわからないような記事を書いていけたらいいなと思う
たった一割の人間でも僕の記事のお陰で心が楽になれたと感じて貰えるならばそれ以上の幸せはないと僕は思っています。

真面目なのかふざけてんのかよくわからない
誤字脱字だらけのこの記事を見てくれる方々
いいねやコメントまでくれる方々
毎日その通知を見ては励みになっています。
いつしかその経験を踏まえて、本格的なものを書けたらいいなと小さな夢ではありますが持っています。

ネタが中々思いつかず、ついにはネガティブなものにまで手を出しいよいよネタ切れか?なんて思うかもしれませんがこれからもよろしくお願い致します!

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