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44歳で隠居して6年半。50歳のいま思うこと

10月下旬を迎え、肌寒い日が多くなってきました。もうじき味わえる紅葉の風景や柿の実が楽しみです。

さて、いまは薪ストーブの心地よいあたたかさを近くに感じながら、このnoteを書いています。

妻と1歳の息子はドライブに出かけ、ほかのみんなも外出中でそれぞれ自分たちの時間を過ごしています。なのでおうちにはわたしひとり。パチパチという薪の燃える音とともに静かなものです。


そんななか、とくに書きたい内容があったわけではないのですけど、なんとなく書き始めました。


わたしが立ち上げた新しい住まいの形《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》。以前のnoteにも書きましたが、この場がもっとも活性化するのはこうしたシーンとする時間です。

そうしていずれまたやってくる、にぎやかな時間。いろんな物事が一気に動き出し、わたしの隠居の日常をよりいっそう楽しいものにしてくれます。


そんな日々を積み重ねていたら、この6年半で隠居暮らしがどんどん板に付いてきたのを感じます。

とくに昨年の春ぐらいから比較的おちついた空間で1歳の育児と向き合いたくなって少しずつ人数制限を試しながら《多くても6~7名の共同生活+冒険者》という状態にもっていきました。

おかげでわたしの時間をよりいっそう大事にしようと思えるようになりましたし、ほかの一人ひとりとの時間も多くなり、過去にないほど充足感のある隠居生活を送れています。


たとえば、これまでいっしょに暮らしてきた延べ80名余りの元住人たち。最近またちょこちょこ帰ってくるようになりました。息子が生まれたものの感染症予防のためにしばらく気を遣ってくれていたのでしょう。数年ぶりにお祝いを持ってきてくれたりするので喜びもひとしおです。

そのたびにともに暮らした日々をとてもなつかしく思い、なんだか田舎のおじいちゃんになった気分です。


あと、わが家をあちこち片付けました。新しい薪ストーブを設置できたのもその成果のひとつと言えます。共同生活をしてきた元住人たちに加えて6年半のあいだにやってきた延べ9千人近くの冒険者がいろんな足跡を残していったので、とにかくわが家は散らかっていました。

1歳の育児もしながらで大変なことが多いのですが、そんななかでも隠居ですからたいてい在宅なわけでみんなの協力もあって十分に片付けることができました。

こうして一段と整頓されたわが家で薪ストーブにあたりながらゆっくりとnoteを書けているというのはいいものです。


しかもふと見渡せば、これまでの元住人や冒険者が残していった多くの思い出にあふれているのを感じます。

なかなか文章で表現しきれないのですが、いまnoteを書いているわたしはひとりでいるけれども、とても安心感のある温かい気持ちでいられるんです。

そんな空間でひとり静かに。
それは何物にも代えがたい、隠居としての至福の時間と言えます。


わたしにとっての隠居は、社会との関係を断ったものではなく、むしろいつでもつながっていられる安心感を伴う《ソーシャルな隠居》です。

そんなすてきな日常を持てていることに感謝を忘れずに。

これからも目の前に現れるつながりに、自分の時間も大切にしながらじっくりと向き合っていきたいと思います。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。