やらなくていいことの本質。
年の瀬である2017年の12月30日にこのnoteを書いています。もう2回寝るとお正月。いつにも増してわが家「ギルドハウス十日町」に“帰省”してきますし、ソーシャルな隠居にとって最も楽しくてあたたかい時季のひとつです。
そんななか、今シーズンは例年より1か月ほど早く大雪が積もり、すでに2回も雪おろしのため屋根へ上がることになりました。ほかにも雪国の暮らしの知恵をいかんなく発揮しています。
そう書くとたいへんそうに思われますが、地元のひとからすればそれほどでもないのが雪国のすごいところ。実際たいへんなことはありますけど、日常になっているからこそ備えが万全で気持ちにも余裕が生まれるんですね。
個人的にも3回目の冬ということで少しは余裕が出てきたように思います。玄関前ですら除雪がままならなかった最初のころに比べれば。
そうやって余裕が出てくると、いろいろ考えて工夫できるようになります。
たとえば融雪ホース。これが大活躍で玄関前の除雪の負担がだいぶ軽くなりました。沢の水を使っているため水道代も不要です。さらに雪おろし用の長い棒を導入したので、危険な雪庇を離れたところから安全に落とせます。
ほかにもいろんな工夫を取り入れました。
ので、さらに余裕が出るという、いい循環が生まれています。
好きなことで過ごす時間も増えました。
これこそ生産性の向上だ、なんて勝手に盛り上がっています。
そこでよく思うようになったのが
今回のnoteの本題
「やらなくていいことの本質」
です。
雪かきひとつとってみても、雪をすべて一掃する必要はなく「クルマが駐車できればいい」「ひとが通れればいい」「家がつぶれなければいい」という本質がわかってくれば、やらなくていいことが増えます。
逆にそうした本質をとらえないと、延々と何かをやり続けて無駄に心も体も疲れてしまうんじゃないでしょうか。
「雪かき」が目的となってしまったらよくない。それはあくまで手段であり、出来ることからいろいろ工夫できるもの。
本来のゴールは「クルマが駐車できればいい」んだから。
ギルドハウス十日町に集うひとたちの様子を見ていると、そうした本質をつかむ感覚が少しずつ高まっているようです。ひとによってそのアンテナの方角が住まいに向いていないから家事にはとんと無頓着ですけど(笑)。
まあそれもいいような気がします。個々の興味の向くままに感度を高めていってもらえれば。じぶんでは気づけない方面でその真価を発揮している姿にすごいなとつくづく思います。あとは「お互いさま」の精神で支えあっていればよしとしましょう。
さて、いろんな不正のニュースが飛び交っています。自動車の検査を資格のないひとに任せていたとかなんとか。とにかく検査をパスして生産性を上げて ... だなんて、もしかしたら本質的な目的が欠如しているんじゃないでしょうか。
利益を追い求めるあまり、大切な本質を見失い、いずれは自ら破綻する。
そんな生き方は、もうしたくないな。
雪かきのあとにのんびりとコーヒーを飲みながら。
しみじみとそんなふうに思います。
よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。