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お色気番組へのコンプライアンスはいつから存在していたのか?

今から遡ること60年以上前、地上波における放送基準は1958年に制定され、しばらくラジオとテレビの2本立ての期間が続いていましたが、1970年に一本化されて「日本民間放送連盟 放送基準」となった。そして1950年代後半、テレビの普及を受けて「低俗番組」批判が起こり、それとともに放送制度の見直し論が広がった。

■1960年代

日本テレビ「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」 / 日本PTA全国協議会

1960年代初頭にフジテレビで放送された日本初のお色気番組「ピンクムードショウ」において、この番組は毎週日曜の10時45分から15分間、大人のお色気ショーをやり、チラリと乳房を見せたりする場面が好評を得ており、毎回ヌードダンサーが出演していたが乳房露出が多かったため、「低俗」・「卑猥だ」といった批判が殺到し、4回目の放送からはヌードは自粛された。また、現在のBPOの前身である放送番組向上委員会(高田元三郎委員長)によってアンケートが求められた際、「ただちに放送をやめるべきだと思う番組」として"コント55号の裏番組をぶっとばせ!"があげられ、さらに番組人気の高さから「子供が野球拳をマネする」などの苦情も相次ぎ、番組は1年間で終了した。

■1970年代

深夜のワイドショー番組「11PM」と「23時ショー」 / 広瀬正雄郵政大臣

国会では「11PM」や「23時ショー」など番組名を挙げて批判が続いた。
●1971年、広瀬正雄郵政大臣は放送法の番組準則に「暴力とかあるいはわいせつとかいうことを掲げておきますと、放送事業者の反省がもう少し具体的になってくるのじゃないだろうか」と苛立ちを見せた。こうした世論の高まりに対してNHKと日本民間放送連盟を母体とした放送番組向上委員会(現:BPO)が各テレビ局に意見提言をしたり、1970年〜1971年にかけては衆議院逓委員会に「放送に関する小委員会」が設置されて審議されるなど、低俗番組の解決は広く議論されることになる。
●1972年、「11PM」など夜のポルノ番組の“ お色気路線 ”について衆議院逓信委員会の放送に関する小委員会に放送番組向上委員長ら参考人4名が招致され、議論が行われた。
●1975年、当時日本共産党に所属していた政治家の宮本顕治が女性の裸体を売りにした番組が多いという現状に憤り「今の商業テレビ界には女性を軽視した番組、ポルノ番組が満ち溢れている」と批判した。

■1980年代

1985年、当時内閣総理大臣を務めていた中曽根康弘首相

この時代は国会、郵政省に加え、中曽根康弘首相が性風俗店の摘発やお色気番組のコンプライアンスに力を入れた。特に1986年~1990年代までの後半は、お色気番組→アダルトビデオへの転換期であり、深夜のお色気番組は数年間の自粛期間となる。中曽根首相は、国会答弁で「まず当面は、郵政省が監督権を持っておるわけでございますから、郵政省の側においてよく民放の諸君とも話をしてもらって、そしていやが上にも自粛してもらうし、その実を上げてもらう。郵政省としてはそれをよくチェックして見て、そして繰り返さないようにこれに警告を発するなり、しかるべき措置をやらしたいと思います」と述べ、その後のお色気番組の自粛の遠因になった。
●1985年、日本テレビの「TV海賊チャンネル」・テレビ朝日の「ミッドナイトin六本木」・テレビ東京の「夜はエキサイティング」の3本がスタート当初から各方面の批判の的にもなっていたこともあって当時の中曽根政権によって放送打ち切りとなった。

■1990年代

BPOの前身団体「放送番組向上協議会」 / 日本民間放送連盟

この時代は主に女性向けの深夜番組が台頭し、お色気番組はBPOの前身である「放送番組向上委員会」、「日本民間放送連盟」、民放各局の「放送番組審議会」といった団体から番組内容のチェック及び批判・審議が行われていた。一方でこの時期からPTAの影響力は低下していくことになる。

1990年、11PMの後番組「EXテレビ」の火曜日の実験企画として放送した"低俗の限界 ワイセツ編"が高視聴率を獲得した一方で250本を超える苦情電話が殺到する事態となったため、放送は計2回で終了。
1993年、ギルガメの対抗馬として製作されたフジテレビの「殿様のフェロモン」の"快感!ハケ水車が回っているのは誰だ?クイズ"に対して「下品・低俗・不純・公序良俗に反する」などといった批判が殺到し、物議を晒した。番組は5ヶ月程で終了。
1994年、フジテレビの「Mars TV」のストリップコーナーに苦情が相次ぎ、打ち切りとなった。
1996年、日本テレビの「ロバの耳そうじ」は放送開始当初から低俗番組のレッテルを貼られ、日本PTA全国協議会からは常に「超ワースト番組」と批判を受けていた。さらに当時日本テレビの社長だった氏家齊一郎が日本民間放送連盟の会長も兼務していたこともあり、同年3月をもって番組は終了。●1997年にスタートしたフジテレビの深夜番組「A女E女」が俗悪番組とのレッテルを貼られ、「あまりにも低俗すぎる」との批判を浴び、番組はわずか5ヶ月で終了。
1998年、テレビ東京の「ギルガメッシュNIGHT」が視聴者から「お色気番組として笑って見過ごすことができない」との苦情が寄せられ、テレビ東京の放送番組審議会で審議された結果、同年3月をもって番組は終了。

1990年代はしばらく勢いが衰えていた深夜のお色気路線が復活したが、大半の番組は人気を長く維持できず、短期間で終了するケースが多かった。唯一、安定した人気を得ていたのは女性向けのお色気情報番組「ギルガメッシュNIGHT」であり、ギルガメの一人勝ち状態であった。ギルガメ終了後、アダルトコンテンツはVHS→DVD→PC→スマホへと移行していく時代となる。

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