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デビュー当時のDA PUMP人気について

1990年代後半にデビューして以降、現在に至るまでメンバーを交代しながら約27年間に渡り活動している日本の男性アイドルグループDA PUMPであるが、一般的には4人組体制だった頃の印象を持っている視聴者も多い。今回はデビュー当時の彼らがどのような人気ぶりだったのかをご紹介します。

DA PUMP デビュー前後のグループ名の遍歴

初期メンバーである邊土名一茶、奥本 健、玉城幸也、宮良 忍の4人は安室奈美恵やSPEEDを送り出した沖縄アクターズスクール出身であり、芸能事務所が作ったグループではなく、アクターズスクール(養成所)から結成されたアイドルグループだった。最初は『KOOZ』という名前で活動をスタートさせ、名前の由来は「自分たちはまだクズだから(プロではない)」という意味で名付けられたもの。

結成当時のDA PUMPメンバー4人 / 練習生時代

KOOZ時代は、m.c.A・Tの13枚目のシングル「Feelin' Good 〜恋はパラダイス〜」をカバー。以後、この曲を中心に「Oh! My Precious!」、「SUPER HAPPY」、「Thunder Party」などm.c.A・T(富樫明生)の楽曲をカバーするようになる。またこの時期からメンバー全員の名前が邊土名一茶→ISSA、奥本 健→KEN、玉城幸也→YUKINARI、宮良 忍→SHINOBUと英語表記となった。

デビュー直前 / 改名前のテレビ出演

グループ結成から1ヶ月、沖縄アクターズスクールの校長であるマキノ正幸が「お前たちはビリっけつだ!!」という意味に加え、アメリカ合衆国・西部開拓時代のアウトロー、強盗とかけてBilly The Kidsと命名される。以後、8ヶ月間はレッスン、路上ライブ、テレビ出演、ライブ公演などを行い、月に一度、ヴェルファーレ『J-pop Night』にも出演する。デビューする前にZepp OsakaとZepp NagoyaでZepp Tourを行い、約5000人を動員している。

デビュー当時のイベントでパフォーマンスを披露するDA PUMP

1997年6月、グループ名が「DA PUMP」となり富樫明生の音楽プロデュースにより、シングル「Feelin' Good -It's PARADISE-」でavex tuneからの第1弾アーティストとしてデビュー。1stシングルは約20万枚を売り上げ、メンバーの沖縄アクターズスクール在学中から同校の定期公演や沖縄のテレビ番組『BOOM BOOM』などで披露されており、そのままデビュー曲となった。またライジングプロダクションは当時、爆発的人気を得ていたジャニーズ事務所所属のSMAPの対抗馬として活動させることを想定していたという。

DA PUMPデビュー当時 / インターネットニュースの記事

同年7月24日、タワーレコード渋谷店でデビューイベントを開催し、200人の女性ファンが集まった。DA PUMPがデビュー曲を披露すると興奮のあまり暑さで倒れてしまう人や失神する人も続出する騒ぎとなった。そのため、当時のニュースでは「DA PUMP 酸欠ライブ」と紹介されていた。8月には横浜ランドマーク・ドックヤードガーデンでデビューライブが行われ、5,000人を動員する。

ミュージックステーションへ2度目の出演を果たしたDA PUMP

10月に発売された2ndシングル「Love Is The Final Liberty」はオリコン初登場8位を獲得し、デビュー曲を上回る23万枚を売り上げスマッシュヒットを記録。同年10月12日には横浜ランドマークのドックヤードガーデンで2ndシングル発売記念ライブが行われた。前日の夜から会場で出待ちしていたファンも多数おり、8月に同じランドマーク内のガーデンスクエアで行われたデビューライブの約3倍以上である18000人を動員した。ライブ終了後、客席にいたファンからは大量のプレゼントが会場に投げ込まれたという。

音楽番組にゲスト出演した際のDA PUMP

彼らがデビューした1990年代後半は安室奈美恵、SPEED、D&D、MAX、知念里奈など沖縄アクターズスクール出身のアイドルたちが人気を得ていた時代であり、そのほとんどは女性アイドルであったが、DA PUMPは唯一の男性グループとして活躍した。ジャニーズ事務所の男性アイドル(非ジャニーズ)以外でデビュー前からテレビ出演やライブを行い、養成所から結成された男性アイドルという点でも当時としては珍しい存在だったと言える。

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