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001 日本での初めての夜

   2012年9月30日の夕方、夜の帳が降りてきた頃、22歳の私は京成上野駅のバス停に立って、イルミネーションの光が私の赤のカーディガンに少しコバルトブルーを飾った。でも、この夜景を楽しむ余裕がない。速くホテルにチェックインしないと。2年前、大学2年の夏休みに大学の団体と一緒に日本へ来たことはあるが、あの時から、勉強しても日本語の環境に浸らなければ、ネイティブの話はわからないと覚悟してきた。今は無理にでも心の中で話したいことを日本語で考え、勇気を出してタクシーを呼び止めた。ドライバーさんは親切なおじいさん。早速降りて私の重い荷物をトランクに入れてくれた。「ありがとうございます。」私の声は震えて聞こえた。タクシーに乗ると、私はホテルのアドレスが書かれた紙をドライバーさんに渡して、何度も練習した「ここに行きたいです」と、やっと吐き出した。よし!やった!心の中では大声で叫びたかったが、それと同時に、もしこれからドライバーさんが話をかけてきてもわからないよ、という心配に満ちてもいた。ドライバーさんは私が外国人だとわかったからかもしれないが、ホテルに着くまで何も話しかけて来なかった。

   やっとホテルに着くと、英語でチェックインした。やっぱり日本語は無理。部屋に入ると、少しはリラックスできた。私、本当に日本へ留学にきたんだよね。夢じゃないよね。どのようにして現状に至ったの?たくさんの質問が頭の中で回って止まらない。

   私は文学猫少女。北京生まれ、北京育ち。子供の時から、教育重視の親のもとで育てられ、学校はもちろん、週末も色んな塾と教室に通い、いくつもの技能を身に付けさせられきた。北京の名門高校から卒業した後、北京大学の歴史学科に入学した。日本は中国史について独自の研究成果を挙げており、中国でも高く評価されていると、私は大学で聞き及んだ。6月に卒業したばかりなのに、今はもうその日本にいる。明日の10月1日から、私は研究生として東京大学に入る。

   大学2年から、日本語を勉強し始めた。理由を聞かれたら、「日本へ留学したかったから」と答えるけれど、中々実感が湧かない。私は北京大学の日本語学科が開いた、他専攻学生向けのコース(辅修)に参加した。2年間だらだら勉強して、気付いたらコースが終わっていた。北京大学の日本人留学生と周一回会話する機会も生かしたが、やはり足りない。ちゃんと勉強しなかったことを激しく後悔した。まあ、さっきは緊張し過ぎたから、外へ出て、晩ご飯を食べてから、散歩でもして気を紛らわそう!

   ホテルはお茶の水にあったが、道もわからないまま、知らずに湯島に着いた。あの時はまだそれが湯島だとは知らなかった(笑)。幾つか店を通り過ぎ、美味しそう、と思っていたが、そこに入る勇気が出せなかった。異国の街で、言葉も通じないし、やはり難しい。勇気を出さなきゃ!と決めてから、足が勝手にすしざんまいの前へ私を運んでくれた。「いらっしゃいませ!」店内から元気な声が届いた。「お客様は何名様ですか?」意味はわかったが、うまく答えられず、人差し指を立てて、「1」のジェスチャーをした。店員さんはもうそれで外国人だとわかったのか、何も言わずに私を席まで案内した。店員さんがメニューを渡してくれてから、私は驚いて困ってしまった。メニューはカタカナばかり。私は読めるけれど、その意味が何もわからない。(今にして思えば、寿司ネタだったんだね。漢字も書いてくれたら良かったのに…)店員さんは私の困った顔を見て、目の前のテーブルにある図入りのメニューを指差した。「ありがとうございます。」私はテキトーに幾つかお寿司を指差して注文した。

 お寿司はとても美味しかった。中国にいた時もお寿司を食べたことがあるが、日本ほど新鮮なものは食べたことがない。食べ終わったら、いよいよ会計だ。ソワソワしながら、レジまで行った。まだ小銭を分別するのに慣れておらず、時間がかかると思ったから、1万円札を出した。そこで、店員さんの胸に名札がつけてあり、名前以外にも、趣味が書かれていることに気付いた。レジにいるのは店長で、趣味は不規則な生活?面白い。「日本の店員さんはみんな趣味を書く必要がありますか?」と、下手な質問をした。「あ、これはうちの店だけです。」親切な店長さんはいろいろ話してくれたが、あの時の私はわからなかったし、もう覚えていない。でも、店長さんのあの親切な様子は今でも目に浮かんでくるようだ。

 店を出ると、雨が降っていた。激しい雨だったが、どうしようもなく、傘を差して早速ホテルに向った。しかし、雨だけでなく、風もとても強かった。後からテレビで、それが台風だと思いしったが、その時は雨に伴ってこんなにも強い風が吹くとは、なんて変な天気だろう!と思った。北京は台風がなく、これは私が初めて経験した台風である。風に抗いつつ、無理に歩き出した。私の傘は折り畳み傘で骨がとても柔らかい。強い風に吹かれると骨が折れそうになってしまう。やばい!どうしよう。濡れても早くホテルに帰ろう。そう思いながら、傘を顔の前に挙げてもがき歩き、前は何も見えなかった。そんな中、不意に頭の上から大きな傘が差されてきて、傘の下では、雨が止んでいた。びっくりした私は頭をあげて、男性の姿を目で捉えた。派手な金髪で、目にカラコンをつけている男であった。「お名前を知られますか?」男は私をもっと驚かせる言葉を吐いた。知る?知られる?られるは可能形だよね。私の名前を聞くこと?ええ!?私の名前を聞いてる?「な、なんですか?」あまりにも衝撃的で、私はわずかしか使えない日本語を駆使して話した。「お名前を知られますか?」男はもう一回言って、私の目を見てきた。は、恥ずかしい。何で私の名前を聞くの?私の外見からはっきり日本人じゃないとわかるよね。(その時私はすっぴんだった。日本人女性はみな毎日メイクすると認識していたから。)名前聞いても日本語ではあまり喋れないよ。この男は金髪とカラコンで、いい人に見えない。危なそう。よし、決めた。逃げよう。「用事があります。」と、一言だけ言った途端、もう私は走り出していた。後ろから「そうなんですか」という男の声を聞こえた気もするが、振り返りもせず、一目散にホテルへ逃げた。

 ホテルに着いてから、一階の椅子に座ってちょっと休憩した。セーフ。よかった。数分後、部屋に戻った。これが伝説のナンパかな。中国ではこんなにストレートにナンパされた試しがない。こんなにストレートなの!?やっぱり別の目的があるよね。中国では、女の子と知り合っても、接する機会を作って、少し話してから連絡先を聞くのが一般的だから、こんなドラマみたいな展開… あ、傘!私は傘を一階に忘れた!

 でも私がいたところには、何もなかった。「あさを見ましたか?」慌てて、変な日本語で話した。ホテルの店員さんは困った顔で「あさは何ですか?」と聞いてきた。「か、傘です。さっき、ありました。」言い間違えたとわかった私はうまく表現できなくて、椅子を指差した。「すみません。こちらに忘れ物のお届けはありませんでした。」私はこの答えにびっくりした。日本はとても安全な国で、何を置いても、忘れても盗まれないと認識していたから。あの時の私は、日本に憧れて、たくさん甘い認識があった。今でも日本は好き、ちゃんとわかっていて好きである。

 男にナンパされて驚き、傘を失った。これが私の日本で初めて過ごした夜の一番印象的な記憶。こうした出来事は、後にもしばしば起こった。初めて経験したので、ドギマギもしたが、今となってはもう慣れっこになってしまった。

 日本へ来た初めての夜に、私は限りない憧れと興奮を抱きながらも、疲れた体はベッドに倒れるなり、眠りについた。

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