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カーネギーでメロンなあの子

 Curriculum vitae: アメリカにおける履歴書をチラつかせながら、ボスはニヤリとして言った。

「今度のテクニシャンは期待できるぞ。なんたって、彼女はカーネギー・メロンだから。」

「サウンズグッド。」
 <カーネギー・メロン>というのは聞いたことあるぞ。大学の名前だ。アメリカもやはり学歴社会だな。ボスがあんなに嬉しそうにしてるなんて。

 アメリカのラボは「テクニシャン」、日本語で言う「技術補佐員」たちで成り立っている。研究者の指示を受け、手を動かして実験を進めていく実働部隊。もちろん研究者自身も手ずから実験は行うが、それ以上にテクニシャンを指導し、訓練するのが大切な仕事だ。優秀なテクニシャンを持つラボの未来は明るい、と言っていい。

 「有名ラボでテクニシャンをしていた」という経歴は、その後のキャリアアップに役に立つ。だから、大学を卒業してからしばらくテクニシャンとして働き、お金を貯めて次のキャリアに進む、という学生は多いのだ。

 <カーネギー・メロン>の彼女と初対面の日、僕はその子のどの辺がカーネギーなのかよくわからなかった。反面、どの辺がメロンなのかは一瞬でわかった。

“Hi! My name is Jessica, call me Jessie!”

“ナイストゥシーユー”

 ジェシーは実に明るいブロンド女性だった。そして、胸にはたわわにメロンが二つ実っていた。Tシャツ一枚の彼女。日本ではみたことないような豊潤な大地の恵み。

 それが苦難の始まりとはまだ知らなかった。

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 おっぱいを見るサムライなんか嫌いだ。従って、サムライはおっぱいを見てはならない。俺はサムライだ。故に俺はおっぱいを見てはならない。簡単な三段論法だ。それに、「ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで」と「嘆きのボイン」で言っているではないか。ボインはお父ちゃんのものではないし、当然、俺のものでもない。洋の東西は違えど、この国でも同じような原則が適用されるはずだ。

 だが、「見ないようにする」というのはすなわち「常にそれを意識している」ということである。メロンの呪縛力はとんでもなかった。自分のサムライとしての名誉のために言うが、俺は断固として見ないように努めた。ともすればそちらに頭を回旋させようとする胸鎖乳突筋を、目を動かそうとする外眼筋を、強靭な意思の力で押さえつけた。机や床や天井や手元や、他のありとあらゆるものを代わりに見ようとした。

 涙ぐましいばかりの努力!それなのに俺の脳ときたら。後頭葉の視覚野は「机を見ているぞ!」のシグナルを送ってるにもかかわらず、前頭葉は勝手にメロンのことばかり考えていた。メロン、メロン、メロン、、。俺は負けることが明らかな戦いに挑む日本版ドン・キホーテ。実に激しくも情けない戦いだった。この戦いの熾烈さ故に、もう一つの問題が生じなければ、俺のラボ生活はメロン戦争で矢尽き刀折れたサムライの記録に終わるところだった。

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 ジェシーがメロンであったことは上で詳しく述べた通りだ。彼女が同時にカーネギーであったか、というと、なかなかカーネギーな側面を見ることはできなかった。そもそも「カーネギーってなんだ?」と言われるとなんだかわからないが。

 彼女に任せた実験はことごとく失敗した。最初のうちボスは、

「そのうち追いつくさ。なんたって彼女はカーネギー・メロンだからな。」

 と余裕の構えを見せていた。<カーネギー・メロン>は彼の地ではとても信頼に足るブランドらしかった。一方、俺の方は気が気ではなかった。日本から渡った孤独なサムライは、成果が挙げられなければあっという間にその地位を失ってしまう。研究の世界では、“Publish or perish.” つまり、「論文を書かなければ滅びる。」が当たり前の原則だから。

 俺は彼女のやってくれた実験のどこが悪かったのかを、一つ一つ検証した。そして気づいた。彼女はとても不注意だ。

 実験プロトコルを説明すると、頭のいい彼女はあっと言う間に理解する。だが、そのプロトコル通りに実験を進める、と言うことができないのだ。いわゆるケアレス・ミスである。

「オーマイゴッシュ!酵素を加えるのを忘れていたわ。」
「オーマイゴッシュ!加熱するのを忘れていたわ。」
「オーマイゴッシュ!濃度を間違えていたわ。」

「オーケー。最初からやり直そう。」
 ちっともオーケーではないのだが、不満を表す英語はよく知らなかった。

 「オーマイゴッシュ」とかいう割には、あまり悪びれた様子がない彼女にイラつきながら、俺は何度も何度も同じ実験を繰り返した。明らかに自分がやる方が早かった。俺の中では半ば、「彼女はメロンではあるけれど、カーネギーではない」という評価が定まりつつあった。

 「ボインの上にドジっ子。」アニメでは鉄板のヒロイン設定なのかもしれんが、成果を出さなければ明日がない俺の身には別の意味でとんでもない破壊力だった。

 それでも、俺たちは、チームだ。

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 放射性元素を使った実験には常に緊張を強いられる。万が一ラボが汚染されてしまったら除染しなければならないし、安全が確認されるまで実験機材が使えなくなってしまう。それ故、「他の方法でできるなら、放射性元素を使った実験は避けたい」が研究者に共通の考えだ。

 だが、真実に至るためには登らねばならぬ山もある。俺とジェシーは細胞培養室にいた。シャーレの上で培養している細胞をインキュベーターから取り出し、クリーンベンチの中でそれに放射性物質「トリチウム」を含んだ液体培地を加え、インキュベーターに戻す、と言う作業をするために。

 クリーンベンチの中の作業は、トリチウムを細胞に加えると言う非常に緊張を強いられるもので彼女には任せられない。加えた後の細胞をインキュベーターに戻す、と言う実に単純な作業だけをお願いした。

「いいか、ジェシー!この培地をこぼしたら、本当のディザスターだ。絶対にこぼしちゃダメだぞ!」

「イエッサー!」
 ジェシーの明るい敬礼には、嫌な予感しかしなかったが、シャーレを渡し、クリーンベンチに向き直ったその瞬間!

<ガチャン!>
「オーマイゴッシュ!」

 振り向いた俺は、頭を抱えた。シャーレは床に落ち、トリチウムをふんだんに含んだ液体培地が足元にぶちまけられていた。

 「落とすなよ」というと必ず落とす。その時俺の胸中に浮かんだのは「ダチョウ倶楽部」に対する感謝の念だった。彼らの芸を知らなければ、俺はキレていたかもしれない。怒りの言葉の代わりに俺の口から出たのは、「ジェシー、落ち着け、動くな。何も触るな。」だった。

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 ボスは激怒した。細胞培養室の扉には、”CAUSION”, “RADIOACTIVE”と書かれた黄色いステッカーが貼られ、その中で俺はガイガーカウンターを片手に一人、除染作業をした。ガイガーカウンターで汚染された場所を同定し、放射性物質を吸着するスプレーをかけて、拭き取るという実に地道な作業だった。

 すっかりくたびれて”Keep out”の状態になった培養室を後にすると、ボスは僕を労いつつ、「ジェシーはだめだ。彼女は何にもできない。」と言った。それには概ね俺も同感だった。すっかり<カーネギー・メロン教>を脱会したらしく、最近はカーネギーの「カ」の字も口にしなくなっていたボスは、これ以上の問題を引き起こしかねないジェシーに除染作業に加わることを認めず、勤勉な日本人たる俺が一人で除染することを望んだのだった。

 ボスに詫びを入れ、ラボの席に戻るとジェシーが泣いていた。そして、初めて「アイムソーリー」と言った。

 そして語り始めた。<カーネギー・メロン>の裏側の話を。

「『学習障害』って聞いたことある?」
「ああ、話だけは。」
「私、それだったの。」

 ジェシーは、読み書きが本当に苦手で、幼少時代は、まともに話すことも難しかった、と告白した。そのためにずっとリハビリを受けていたのだ、と言う。話には聞いたことはあるが、実際にそのような障害を抱えた人と会うのは、それが初めてだった。最初聞いた時には、俄には信じがたい、と思った。なぜなら、俺が言うのはおかしいが、ジェシーの英語はパーフェクトだったし、何よりも彼女は<カーネギー・メロン>だったからだ。

 学習障害は発達障害の一種で、読む、書く、話す、計算するなどの能力のうち、特定のものの習得に大きな困難や時間を要する人たちの事を言う。知能には問題はなく、むしろ障害を抱える人の中に高い知能を持っている人がいることも珍しくはない。俳優のトムクルーズなどは、脚本が読めず、テープに録音してセリフを覚えていたことを最近カミングアウトしている。サングラスをかけると、特にサングラスの部分がトムクルーズそっくりの俺は詳しいのだ。

 思い当たる節があった。俺が書いたプロトコルだ。そして、メロンだ。

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 実験プロトコル、それは俺が英語で逐一手書きをしたものをジェシーに与えていた。サムライたる俺が、ジェシーのメロンを見ないで済ますための一つの工夫のつもりだった。ジェシーはそれを度々見落とし、実験を失敗した。俺の書いたプロトコルが、彼女には認識しにくいものであるに相違なかった。

 なお悪いことに、俺は彼女の目をみて話すことがほとんどなかった。それもまた、彼女のメロンから目を逸らそうという親切心の産物に他ならなかった。だがそれが完全に仇になったことは間違いない。ただでさえ聞き取りにくい俺の英語。目を見て、口の動きを見ないことには俺が正確に何を意図しているか伝わりようがなかったのだ。

 もっと早く言ってもらえればよかった、と思った。だが、そういう関係になかなかなれなかった理由の半分は俺にあった。俺がメロンを意識しすぎたからだ。サムライを気取って、正面から向き合うことをしなかったからだ。逆説的だが、俺はおっぱいしか見ていなかったのだ。

 学習障害を抱えながら<カーネギー・メロン>に進学し、それを卒業すると言うことは、ジェシーはとんでもない努力家に違いなかった。俺がちゃんと道筋を示してあげさえすれば、彼女はもっとできたはず。

 俺たちはチームだ。もはやメロンなどどうでもよかった。副産物として気づきもあった。「メロンも見慣れるとなんとか対処可能」であった。

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 俺たちのチームは2年間稼働し、3本の論文を世に出した。そのうち一本は、有名なNature系の雑誌に掲載され、ラボのフラッグシップ的な業績となった。その業績のおかげでボスは潤沢な研究資金を得るようになり、ラボの将来も明るくなった。

 ジェシーはメディカルスクールに進学することとなった。産婦人科医を目指すらしい。学習障害に加えて、ややADHDの気がある彼女が、臨床医として問題なくやっていけるかは未知数だ。

 だがまあ、彼女ならやってのけるだろうと信じている。


 なぜなら彼女は<カーネギー・メロン>だからだ。

(了)


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WEM

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