見出し画像

マッチョな猫の恩返し

「生きててもつまんないからよ。もう死のうと思ってよ。死ぬ前に遊びに行こうかと思って。」

急な電話に僕はなんと返答したらいいか分からず、「僕のとこに来るまでは無茶なことしたらダメだよ。」と念を押した。

ヤマギシが東京の一流大学に進学してから、まださして日は経っていない。駅まで迎えに行くと、彼はやたらマッチョになっていた。

「やることなくてよ。家で筋トレしてたらこうなったわ。」
ヤマギシは自慢げに上腕二頭筋を見せる。

彼の故郷は、僕の通う大学のある関西のK市だ。駅に降り立ったヤマギシは、つい数時間前に不穏な電話をかけてきたとは思えない、元気な男に見えた。これが故郷の力なのだろうか。

その日、僕はヤマギシに連れ回され、通った小学校を見せられたり、よく行ったお店やバッティングセンターを巡ったりした。よく鍛え上げられた上腕から放たれる打球は、僕のそれとは全然違ったから、いよいよ僕にはヤマギシが心を病んでいるように見えなかった。見えなかったが、「いつ帰るの?」とは言えない。ヤマギシはそのまま、僕の家の住人になった。

こうして僕とヤマギシの奇妙な共同生活は始まった。僕が大学で講義を受けている時も、クラブ活動をしている時も、ヤマギシは僕のアパートにいた。僕が帰ると、本当に嬉しそうな顔をして、ゲームのコントローラーを差し出した。深夜までゲームに付き合わされるので、毎日寝不足だった。

僕がいない間は何をしていたかというと、ろくな事はしていなかった。少なくとも、来る日も来る日もアダルトビデオを借りていたことは確かだ。世を儚んでいるわりに、精力はあるヤツだ。毎日の筋トレも欠かさなかった。何のための筋肉かはわからないが。

「レンタルビデオ屋でな、4つ束にしてボーンとカウンターに出したらな、店員が『さすがですね』いうてたわ。もうあそこには行かん。」
など言う。店員にしてみたら、賞賛の言葉だったろうに。真面目な顔で言うから、僕は笑いを堪えるのに必死だった。こういうところ、ヤマギシは、恥じらいがあるのか、ないのか、分からない男だった。

それでも夜になると、「俺、生きててもおもろいことないわ。」と言った。何と返事をしたらいいか分からないから、「また明日になったら考えよう。」とだけ答えた。その「明日」になっても、同じことを繰り返すだけだった。

そうした一週間が経ち、部屋の中には、ヤマギシがコンビニで買ってきた弁当の殻が山になっていった。

勝手気ままな振る舞いをするヤマギシに僕は閉口したが、だんだん猫を飼っているような気分になってきた。世の愛猫家にこぞって叩かれそうではあるが、主人が帰ってくるとゲームコントローラーを差し出す「マッチョな猫」が寂しい思いをしていないか、僕は大学でもいつも気にしていた。時々お土産を買って帰った。たこ焼きとかだけど。

二週間も経っただろうか、高校の友人から電話がかかってきた。
「ヤマギシ、知らんか?」
「知らないけど、どうしたの?」
僕は何故だかこの時、しらをきった。
「失踪しているらしい。両親がすごく心配して、あちこちに電話をかけている。」
僕は絶句した。そらそうだ。そうなる。そうなるのは当然なのに、その可能性について、その瞬間まで僕も、ヤマギシも、全然考えなかったのだ。

僕自身にも、そしてヤマギシにも腹が立った。
しばらくの沈黙の後、僕はついに口にした。
「実は、隣にいる。」

僕の「マッチョな猫」は、両親が心配していることを知ると、その日のうちに帰っていった。

一体あの日々は何だったのだろう?
忘れかけた頃、ヤマギシから荷物が届いた。
「ヤマギシ編集、渾身のアダルトビデオ詰め合わせセット」で、ヤマギシがいいと思う瞬間だけを繋げた力作だった。

中に手紙が一通。
「ありがとう、ハシモー。」
とだけ書いてあった。

ビデオを見てはみたが、ヤマギシの顔ばかりが浮かぶので、クローゼットの奥で埃をかぶっている。

(了)

読んでいただけるだけで、丸儲けです。