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超アニキ

 ゴンダくんが俺の顔を覗き込んだ。パソコン画面に集中している俺にはやや迷惑だ。

 「アニキ、オレはどうしたら良いんスかね?」
 俺にも回答はない。男子校出身者の俺に、それを聞くのは酷ってモンだ。だが、困っている後輩を無碍にもできん。俺は、パソコンから手を離し、向き直った。

 「うーん。難しいなあ。結局は自分の心に聞いてみるしかないぞ。それに、『アニキ』ってなんだよ。」

 「アニキはもう『アニキ』としか言いようがないっス。アニキの中のアニキ。『超アニキ』。」

 俺は吹き出した。「超アニキ」って、、。さて、『超アニキ』の俺から、何か言ってあげられることがあるだろうか。
 ゴンダくんの父親は取締役。要するに彼は「良いとこの子」だ。普段から俺にはとても手が届かないような高級ブランド時計をしているし、スーツの仕立てもオーダーメイド。だが、どういう経緯でそうなっちまったのか、ゴンダくんの今の恋人は夜の世界の住人らしい。大人しくさえしてれば出世コース確実のはずが、「別れなければ勘当する」、と言うところまで来てるようだ。

 「とにかく親父さんは、君を心配してるんだよ。それだけだ。実際君は、『パクパク君』だからな。女の子と見れば、簡単に飛びつきすぎる。ここは慎重に考えるとこだぞ。」
 
 「パクパク君」は、学生時代からのゴンダくんのあだ名。サークルのメンバーであれ、バイト先の子であれ、手当たり次第に女性をベッドに連れ込むその手腕と、暴食ぶりからそう名付けられた。職場のあの子までが「パクパク君」の餌食になったと聞いて、「アニキ」は人知れず歯噛みしたぞ。言わんけど。
 だが、、。逆に、超肉食の彼がこれほどまでに一人に入れ込むのを見たことはない。自分の地位や父親との関係まで危うくして。彼女の何がそうさせるのか、俺にはわからない。一回だけ会わせてもらったが、確かにいい子ではあった。好みかと聞かれればそうではないが、この際俺の好みは関係ない。
 これでも自分の中の引き出しを、全部開けてみて隅々まで探してはみたが、ほんの2年ばかり先に地球に登場した、というだけの「超アニキ」には、話してやるべき経験も、見識も何もない。
 まあ、正直、女性経験ははるかに君の方が上だ。俺に言えることは限られている。答えはきっと、君の中にある。

 「あのう、、。どんな決断でも、アニキは応援してくれるんスカ?」
 それでも頼りにしてくれているのか、ゴンダくんは俺の顔を再び覗き込む。

 「もちろんだ。」
 そればっかりは、目を見てしっかり答えてやった。

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 俺は自分の懸案に取り掛かる事にして、パソコンの方に向き直った。

 職場の共用パソコンには、「アクセサリ」として、ちょっとしたゲームがついている。忙しい我が部署ではそんなものに誰も見向きもしないのだが、今日のような残業の夜、俺は気分転換に開いて、少しばかり遊んだりしていた。中でもお気に入りは、「ジュエルコレクター」。一言で言えば、「落ちゲー」の範疇に入るものだ。

 画面上から3連の宝石が次々落ちてくる。色とりどりの宝石が画面下に積み上がる。プレイヤーはその宝石を回転させ、同じ色同士を組み合わせる。同色の宝石が3つ揃うと、宝石を消すことができる。宝石が画面の上まで積み上がってしまうと、ゲームオーバー。言ってしまえばそれだけのゲームだ。せっかく積み上がった宝石を、なんで消さんといかんのかは判らんが。

 俺はそのゲームで、ランキングの1位から20位までを自分の名前で染め上げる、と言う課題を密かに自分に課していた。それが美しい、と思ったからだ。部署内でそのゲームをやっている者は数えるほどだったから、そう難しいことではないはずだった。事実、俺の名前は順調にランキングの中で上位を独占し、目標達成は時間の問題だった。俺以上の手練れはいない、と思ったその時、どこからともなく「あああ」が現れた。

 「あああ」。適当につけたとしか思えぬふざけたネーミング。「あああ」の文字は、高得点ランキングの最上位にある日突如として君臨し、現在もその地位にいる。しかも、1位以下はほとんどが俺の名前。その他は下の方に知り合いの名前がパラパラあるだけ。これが何を意味するかは明白。「あああ」はたった一回のトライアルで玉座に登った、ということだ。圧倒的強者、「あああ」。

 550万点。「あああ」が叩き出した数字だ。これがいかに脅威的な数字であるかは、俺のような神域に片足突っ込んだ男にしか判らない。300万点を超えると、宝石の落下速度は冗談みたいなスピードになる。目で追えるギリギリの速度。一瞬の判断ミスが命取りの状態で、5分以上も集中できなければ、550万点はあり得ない。俺が絶好調の時でも400万点には届かない。悔しかった。そして今日こそは「あああ」越えを果たそうと意気込んでいた。

 「アニキ、またそれやるんスカ?」
 呆れたようなゴンダくんの声を聞き流し、俺は「ジュエルコレクター」を立ち上げた。色とりどりの宝石たちが、少し寂しげな音楽とともに落ちてくる。俺は邪念を捨て、ゲームに集中し始めた。

 「さすがっス!」

 今日の調子は悪くないようだ。自分の仕事の残りもあるだろうに、なんだかんだで付き合ってくれるゴンダくん。栄光の瞬間にギャラリーがいるに越したことはない。だが、、、。

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 「……。」

 「残念だったスね、、。惜しかったっス。」

 いや、惜しくもなんともない。400万点と500万点の間には越えられない高い高い壁があるのだ。ゴンダくんのようなカタギには判らないかもしれないが、ゲーマー目線で言えば、「サグラダファミリア」と「桜田一家」くらいの違いがある。

 「よし、次が最後だ。」
 俺は呟き、「ジュエルコレクター」を立ち上げた。相変わらず調子は悪くない。次々と消えていく宝石達。いけるかもしれん。だが、このままではだめだ。前のプレイと変わらない。この壁を超えるためには、何かが必要なのだ。頭のネジをぶっ飛ばすような、何かが。

 その時不意に悪魔のようなアイデアが閃いた。なぜこの様な発想に至ったかは、今だに説明できないが。忙しく指を、頭脳を動かしながら、俺は宣言した。

 「『あああ』を越えたら、俺は君を抱く。ここに誓う。」

 「ア、アニキ!?な、何言ってるんスカ?あ、頭おかしくなったんスカ!?」

 「何かを失わなければ、何かを得ることはできない。制約と誓約だ。俺は自分の貞節を犠牲にしてでも、今日、ここで『あああ』を超える。」

 全くの本気だった。ゴンダくんの貞節のことは、念頭から綺麗に消えていた。まあ、「パクパク君」だしな。大した貞節ではない。俺のと比べたら。

 「アニキ!ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 ゴンダくんの叫び声。その瞬間、なぜか俺のチャクラは開いた。

 「なんて事だ!見える!見えるぞ!!」
 思わず叫んでいた。電光のごときスピードで落ちてくる宝石の塊がスローモーションのように見える。指が、それまでの三倍のスピードで動く。「開眼」とはこういうことを言うのか。全く、簡単だ。伸びる伸びる。あっという間に得点が伸びていく。自己最高点を超えて、500万点に迫る。「あああ越え」は時間の問題だ。

 「やばいやばい。やばいっス!おかしいっス!」
 ゴンダくんが悲鳴をあげる。

 「もはや諦めてくれ。覚悟を決めてくれ。」
 俺は新しく得た自分の能力に酔っていた。

 (冗談じゃないっスよ!)と言うリアクションがあるものと思ったが、、。その時、ゴンダくんは何か悟ったかのように、厳かに言った。

 「了解。もうここまできたら、大人しくアニキに抱かれることにしたっス。頑張ってください。」

 ……その瞬間、俺のチャクラは閉じた。
 神の動体視力は突如として失われ、指は固まり、宝石は瞬く間に一番上まで積み上がった。白黒に変わる画面。浮かび上がる「GAME OVER」の文字。

 540万点、あと一歩のところで及ばなかった。

 俺はゴンダくんと目を見合わせた。彼の頬はほんのり桜色に染まっていた。俺自身もなんだか息が荒くなっている。しばしの気まずい沈黙の後に、俺は口を開いた。

 「結論は一つ。その子と添い遂げるんだな。」
 俺のチャクラがバカバカ開いたり閉まったりした事には何か意味があるはずだ。神様からのメッセージ。バカかもしれんが、俺にはある種の確信があった。

 ゴンダくんは、未だ上気した表情のまま、初めて決意を口にした。
 「オレ、彼女とアメリカに行きます。MBAとって帰ってきます。そうすれば親父にも認めてもらえるはずっス。」
 ほらな。回答はいつも、君の中にあるんだ。「アニキ」にできることは、背中を押してあげることくらいだ。俺の目頭は熱くなり、それを誤魔化すためにこう言った。

 「俺を振った以上、彼女を不幸にしたら許さんぞ。」
 厳密には振られてはいないのだが。

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 後日、ゴンダくんは婚姻届を持ってきた。親には内緒で提出するらしい。「既成事実」ってやつだ。

 「証人欄に、アニキのサインが欲しいっス。」

 「おいおい、振った男にサインさせる気か。ゴンダくんは鬼か!?」
 軽口を叩いたが、ゴンダくんは真面目な顔で言った。

 「職場で頼めるのはアニキくらいっス。あと一人は友人の中からなんとか調達するつもりっス。」

 そうか、、。「取締役の意向に反して結婚を後押しした男」。婚姻届がもし彼の父親の目に入ったら、どうなるかわかったものではない。だが、俺は迷わずサインした。なんたって、「超アニキ」だから。神の思し召しでもあるし。正直、俺は羨ましかった。目の前の壁を、軽々と超える柔軟性と勇気、そして、守るべき何か、を持っているゴンダくんの事が。こっちが「アニキ」と呼びたいくらいだ。

$$

 ゴンダくんよ。アメリカで頑張っているか? 守ると決めたものを今も大切に守っているか? 俺も日本で頑張っているぞ。君ほどではないが、少しずつは前に歩んでいるつもりだ。とりあえず、「あああ越え」は果たしたぞ。あれ、まさか君じゃないよな?

 (了)

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