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養子として生きる

カンボジアから帰国する飛行機の中、隣の席に可愛らしい外国人女性が座ってた。

お互い世代が同じくらい、カンボジアからの便で女1人移動ということもあり

機内食やトイレのタイミングで何気ない挨拶から会話が始まった。

お互いに、女性1人でカンボジアに何しに?と思っていた。

自分がやっているビジネスのこと、カンボジアでやっていること、学生時代に訪れたときのこと…色々と話しはじめたら止まらなくなった。

彼女も同じように身の上話を話してくれた。

年齢が同い年だったこともあり、話が弾んでボーイフレンドの話まで楽しくお喋りしていた。

彼女はどうやらカンボジア人(見た目、雰囲気はアジア系アメリカ人)らしく、貧しい農村に生まれ、両親は生活のため、そして彼女の将来も考えてアメリカの家族に養子に出したのだという。

産みの親に会いにカンボジアに帰省し、ちょうどアメリカへ帰るところだった。

カンボジアはまだまだ貧しくて、生活苦から他国への養子は多いという。

彼女は幼い頃からアメリカで育ての親に愛情たっぷりに育てられ、教育も充分に受けさせられ、大学院で修士号まで取得することができたのだとか。

こんな環境はカンボジアで育っていたら叶わなかった。アメリカはとても素晴らしい環境が用意されている。と熱心に話していた。

けれど、そのあと産みの親、お母さんの話をし始めると顔が曇った。

さっきまで自信満々にアメリカでの学生生活、研究内容、将来やりたいことを語っていた表情とはうって変わって元気がなくなったのがわかった。

実の両親が心配。もっと会いたいし、そばにいてあげたい。

アメリカの家族には感謝してもしきれないし、家族として心から愛している。

けれどわたしを産んでくれたカンボジアの母はかけがえのない存在なのだと。

例え実の両親をアメリカに呼んで一緒に生活をしても、言語の壁、文化の違い、仕事に就けない、そもそもvisaがとれない。など現実的な壁が多すぎるのだとか。

そして、20年以上も全く異なる環境で離れて暮らしたことで埋められない何かが心に生まれてしまったのだという。

もう別の国の人になってしまった。

血は繋がっているけれど、遠い存在。

でもかけがえのない存在。

できるなら近くにいたい。

かすかに記憶に残っている実の家族との農村での生活

またあの時みたいに暮らしたい。

アメリカでそれを叶えるために、新たな仕事を頑張るのだと涙を拭いながら話した。


きっとできる。あなたならできるよ。

気付いたら彼女の肩を抱き寄せてわたしも涙を流していた。

日本ではまだまだ一般的ではない養子。

素晴らしい点が沢山ある一方で、本人の葛藤は大人になっても続く。

けれど、私にはカンボジアの家族にとって、そしてカンボジアの貧しい人たちにとって、彼女はまさに希望の星なのだと感じた。

彼女が国際社会で活躍する姿は、まさに無限の可能性を示してくれている。

いつかカンボジアに帰って国を良くしたい。人々の暮らしを良くしたい。

そんなことを話した彼女。

他の国で育ったからこそわかること。

わたしの涙は嬉し涙に変わった。

是非やって!応援しているから!!

ちょうど日本に到着し、

かたく握手して別れた。

いつか会えたら!またね!お互いできる!

コンコースの遠く向こう、お互い見えなくなるまで手を振った。

最後は最高の笑顔で。

空港からの出口、冷たい風に頭が冴える。

わたしももう一度やってみよう。

彼女に誓ったように。

数年経った今でも、心が折れそうなときはいつも彼女の笑顔を思い出す。

ありがとう。





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