正しい特権の使い方とは何か
差別構造と闘う際のマジョリティの立ち位置というのはとても難しいと思う。これを考えているきっかけは、森喜朗元オリンピック組織委員会会長の性差別発言である。
このテーマを考える経緯
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2148b9c62351b9b54bff6338dbc4d8ac6cd9af8
女性は会議で話が長いが、組織委員会の女性はわきまえている。(超要約)
彼の発言は一見女性を褒めているようだが、それは結局女性をひと括りにして、都合よくいてくれてありがとうと言っているのと同義である。
これに対してネットでは彼の発言の一部を引用し #わきまえない女 という性差別に反対する発信が多くなされた。
続いて Choose Life Projectで、 #わきまえない女たち によるリレー方式の動画がYouTubeにアップされた。さらにそれに続き、次は男性のみでの #変わる男たち という番組が計画されていたが、それが問題になった。
https://note.com/chooselife_p/n/n8446f8684ca2
差別問題について話すのに、その当事者である女性がいないということは、これまでの組織と何一つ変わらないではないか、ということである。
これら一連の流れを聞いて私は、当事者不在の会議は意味がないと思った。その一方で、特権がある人達にどのようにそれを活用してもらうかというのも一つ大きなテーマではないかと感じている。
当事者不在のパターナリズム
この当事者不在にしないという問題は、差別問題だけでなく社会福祉でも問われる問題であると、社会福祉学生の私は感じている。
様々な支援の中では、支援者の方が権限を持ちやすい。それは特に施設入所であれば、支援者が利用者の生活を握ってしまえる場合が多いからである。
また、歴史の中でも当事者は客体化されてきた。社会福祉の歴史を振り返ると、特に障害者福祉においては本人の意思を無視した強制的な施設入所や、旧優生保護法による不妊手術などが行われてきた。
現在、私が大学で学ぶ中では、本人の意思の尊重が重要といわれているが、一方で障害者虐待が後を絶たないことを考えると、まだまだ支援者が抑圧している部分も大きいのではないかと感じている。
中西正司(障害当事者)と上野千鶴子(フェミニスト)による著書、当事者主権では、当事者に主権がないことはそれはパターナリズムだと書いてあった。
パターナリズム(ぱたーなりずむ)とは、強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、その行動に介入したり、干渉したりすることである。日本語では家父長主義、父権主義などと訳される。(看護roo 用語辞典より)
#変わる男たちの 様に、これまで踏みつけられてきた女性の権利回復を求める運動が男性主体になること、これは文字通り“パターナリズム(父権主義)”である。それは現在の差別構造を温存することと同義になってしまう。
マジョリティ/特権者にできることは何なのか、それを当事者に聞かずに話し合いを進めてはならない。今回の一連の騒動で学ぶべきことである。
特権の正しい使い方
一方で、私はこの性差別問題の解決には、男性の協力も不可欠だと感じている。それは、特権があるからこその義務が存在すると感じるからである。
弁護士の太田啓子さんの著書、これからの男の子たちへ「男らしさ」から自由になるためのレッスン の最終章には、特権の使い方について書いてある。それによると、差別問題を解消するために特権を用いる場合もあるという。例えばBLMの運動では、デモの中で白人が黒人より警察官の前に立つことにより、黒人に対する暴力をさせないという行動があったという。
社会福祉の現場において、正しい権力の使い方は当事者の生活や権利のために声を上げていくことである。そのために倫理綱領が存在する。
だから、これからのフェミニズム運動の中では、如何にパターナリズムにならずに男性たちが女性に協力して社会を変えていけるのか、これが一つの問題になるのではないかと私自身は感じている。
特権の使い方は我が事
実はこの特権の使い方、これは性差別や福祉に限らず、もっと日常的なものでもある。特にそうだと感じるのが子育てや学校現場においてである。
例えば子育ての中で、親は子に対して、特にその子が小さければ、ほぼ絶対的な権力を家庭のなかで持つ。だからこそ、親はその権力の使い方に注意せねばならない。
権力を正しく使えば子供の権利や成長に寄与するし、それを濫用( abuse )すれば児童虐待( child abuse )になる。
私が思うのは対子供の問題であるが、考えるともっと沢山出てくると思う。性別、性的指向、病気、年齢、国籍…。自分を構成する様々なカテゴリーそれぞれに権力構造が存在する可能性がある。だからこそ、自らが持つ特権をどうやって使っていくかは全員の課題だと私は思う。
最後に
今回の騒動から学べること、それはどうやって当事者の話を聞き、当事者の権利に寄与できるかではないだろうか。
権力のなかで意思の代行をしてしまわないこと
今回の一件を通して改めてその重要性を認識した。だからこそ、私はしっかりと心に留めておこうと思うのである。
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