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これ、もしや、、、腑脳(ふのう)が起動した。

週末に 腑脳(ふのう)が出現したよーって話です。

そもそも、腑脳(ふのう)ってなに???

〜 オンライン研究所オープンしました!! 〜
左脳過剰による自動思考を止めて
右脳意識につながり、意識変容を体感する!!
三脳バランス研究所



最近はなんでも・かんでも・とりあえず、、、

「ネドじゅん式・ハラに落とす」

そのときも、いつものように落とした瞬間、、、、

奥行き、スペースが広がって、んんん???っとおもっていると、それがバルーンみたいに ぶわぁーーー っと広がる感覚。(で、上記みたいな腑脳のイメージ図みたいなかんじになる。)そのほかの体感でいうと、その数時間前に、、、アタマの血の気が引く感覚があって、お腹のあたりがぽかぽかしはじめて、、、あ、これ血流かわった?という体感あり。


なんだこれ???ってみていたら、思い出した、、、

あ、これ、もしや、、、
腑脳(ふのう)が起動した。


ネドじゅんさんのツイートの話によると、、、

一万回ぐらい「答えが返ってくることを一切期待しないでお腹に疑問や質問を落とす」と起動するかも??とあって、

それで計算してみると来年2023年ぐらいの予定だったんですけど、10000回もやってない…とおもうので予想よりも早い起動。アジャシャンティさんの本の話にでてくる「ハラの目覚め」とも関係してるかもかも。

参考動画:マインドの目覚め、ハートの目覚め、ハラの目覚め 一瞥・悟り体験からの考察


で、これ、どう扱えばいいんだ??

とりあえず、そんなハテナも、ハラに落としちゃえばいいんですけど、それプラス、、、これも過去なんども経験している流れとして、、、

大概のことは、もうネドじゅんさんが
どこかに記しているwww

で、「ネドじゅん検索」してみると、やっぱりもう書いてある(爆笑)←すいません、あまりにも予想どおり過ぎて)

なので、腑脳(ふのう)が出現したら、
この2つの記事も参考にしてみたらいいかもです。

“  右脳さんは 右脳にいないのです。
なんというジレンマ。
右脳さんは、いつだっておなかにいるんですよ。”

で、わたしおバカなので、毎回やっちゃうのがこれ、、、この2つ目の記事にも書いてあるコレ!!!

“ 思考が消えていないと「これって何?どういう意味なの?」と追ってしまうでしょう。そうすると、当然左脳の思考神経回路が動き出して、追っていくべき右脳の直観回路がかき消されてしまうのです。”

一瞥が一瞥で終わってしまったのも「まさにコレ」

いつも二股に分かれている道
それが目の前にあって、、、

そっち(左脳・わかる)じゃないよ
こっち(右脳・かんかく)だよ。

これを読んでるみなさんには、ぜひ!わたしを反面教師・踏み台にして笑、一発スルーしてもらいたい。じゃないと、わたしが失敗してきた経験談がムダになってしまうから(笑)

たぶん、腑脳(ふのう)出現のときも、もうちょっと「かんかく」にとどまっていれば良かったんですけど、、、

それを理解・把握しようとしちゃう思考

= それを自分のもの・所有したい左脳

「 これってなに? なんだろな? たしかこれ、ネドじゅんさんのnoteに書いてあったあれだよなあ。」って、、、

バカバカ笑 おまえはギャグか!!!


【覚書】

感想=言語化や解釈は、
ぜーんぶ食べ終わった「そのあと」ですればいい。


これは、メディーサの目を見てはいけない、鶴の恩返しの「絶対に見ないでください」ああいう伝承されている(誘惑に負けないエピソード)を思い出します。。。

で、腑脳が出現して(というより、もともとあった腑脳が知覚されて)そこから体感もちょっとかわってきて、

いつもの「耳を澄ます」の感覚がさらに鋭敏になる。

いままでも耳を澄ましていた(つもり)だったんだけど、全然そんなもんじゃないよ…ってことに気づく。

でも、そりゃそうだ。

いまも現役でサバンナやジャングルで暮らしている人たちの「耳を澄ます・聴く」に比べてみたら、「それ、なにやってるの??」ってかんじなはず。

そんなふうに「人間のもっている機能・能力の可能性、それが使われている幅=多様性」があるのは当然で、その可能性の上も下もキリがなく存在しているグラデーションであるのは、当たり前の助。

わかってから気づく「わかっていなかったことに」

で、このいまある「そうなんだ・わかった」も壊されるんです。そういうときに「わからない」ってなるから「わからない」って感覚は、、、既存のものが壊れていく「音」のようなものなので、そこで既存=過去の「知ってる・わかってる」に、こだわったりせずに、、、

「わからない…という感覚」に委ねてしまえばいい。

どうぞどうぞ要りません
こんなものは、どうぞ持って行ってください…って。

自分の無知さに気づける体験ってほんとうに楽しい。


わかっているより
「わからない」っていう無限の広がり、、、

「先祖返り」

ネドじゅんさんが「先祖返り」という表現を使っているんですけど、まさに!!!って腑に落ちてきました。←まさに文字通り。

そうじゃないと、
それがデフォルトじゃないと、
死んじゃう時代があった。

狩猟していた時代
恐竜じゃなくても野生動物に囲まれていた時代
次の瞬間には斬られるかもしれない戦国時代

、、、そりゃ 右脳スイッチはいるよねって。

そうじゃないと死んでしまうから。

巣穴から顔を出して、常に世界に聴き耳を立てているプレーリードックみたいに生きてる時代があった。ミーアキャットでもいいんですけど笑 あの姿をみていると祖先をみているようで、、、


もう ミーアキャット大先生 ですよ。

ミーアキャットのあの姿をみているだけで
スン( •ө• ) としてくる
祖先やサムライをみているよう、、、

なにかを左脳で考えながら「気配」は感じられない。

そんなときに左脳・思考はうるさくって邪魔でしかない。ほんとに気配をかんじたかったら、そうなる=無思考。

すーーーーっと静かに、どこまでも気配・かんかくを広げていくようなときに、思考=左脳は動かない。

サムライの動きとかを思い出してみるとそうですよね。四方八方を敵にかこまれて、背中でもみる、全方向みる。それって目じゃできない。

気配で見てる。
目(視覚情報)ってサブなんですよ。


あの世界、座頭市!!!勝新太郎


そうなると、目による情報って、そんなにアテにしてない。

「見よう」じゃなくて「はいってくる視覚情報をただキャッチしてるだけ、見る傾聴、受信、受け身」のスタンス、、、実際、視覚情報はサブだから自然とそうなる。

「見えているもの」をアテにしなくなってくる。
リアル=いまここだけを捉えてる、、、

わたしはそんなことを、朝のワンコ散歩をしながら感じていたんですけど、いまここは、、、有無を言わせず「ミーアキャットであらねばならない状況」でもない

、、、幸いなことに。

恐竜もいない、ライオンもいない、
刀をもった敵もいない。

だから、右脳ONになりずらい。


でも、きっと漁師さんなら、
そんなふうに海や自然と接しているはず。

山や海や自然相手のお仕事であったり、戦地にいる人であったり、消防士さんであったり、生死の現場にいる人たちは、きっとこれが作動しているんじゃないでしょうか。

本気スイッチ=右脳さん。

この右脳にスイッチ、本気スイッチがはいった瞬間の、その感覚がたまらなくて、この「生きてる!!!」って感覚の虜になっている人たちもいるんだろうなっておもいます。

あとあと、、、こういうのはぜんぶ右脳さん。

なんかイヤな予感がして予約していた飛行機をキャンセルしたら「その飛行機が落ちた」とか、エベレストにのぼる予定だったんだけど、なんか気分がのらなくてやめたら「そのまま登頂していた人たちが遭難事故にあった」という登山家の野口健さんのエピソード https://www.youtube.com/watch?v=n2AbCRt_qKY


そんな具合で、今週末におきたことメモでした!!

まだなにかある気がするけれど、
またなにか浮かんだらメモしてみます。

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