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それってデータですよね。あなたの感想とかあるんですか?
タイトルは、ひろゆきさんの有名な言葉をアレンジしたものです。
あなたの感想ですよね。
なんかデータとかあるんですか?
この言葉をひっくり返してみました。
データに基づいて主張することは大切です。
根拠のない主張は、なかなか説得力を伴わないものです。
しかし、一方で主張を伴わないデータの提示に意義があるかどうかは疑問です。
つまり、主張+根拠の重要性を示すという点で、この記事とひろゆきさんの言葉は共通するのではないかと思います。
主張を伴うデータの提示
とはいえ、データの提示は何らかの主張を伴うことが多いです。
これは以前に投稿した以下の記事の内容とも通じます。
「事実」を報道するメディアであっても、報道までの過程において情報の選択が行われている。
情報の選択は人為的に行われるものであり、そこには何らかの「主張」が介在する。
だから、メディアによって報道の仕方に違いがあるのだ。
……という理解です。
そういった意味では、データの提示を重んじる姿勢は大切です。
データの提示には主張が伴う。
データの提示は、主張の十分条件である。
…と言えなくもない。
note や ブログに求められるのは思いの言語化?
note や ブログに求められるのは思いを言語化することだと思います。
「公平中立」な姿勢を求められるマスメディアや学術的研究では、個人の思いを表現することには慎重になるところがあります。
しかし、個人が投稿する note や ブログにおいては思いを言葉にすることにこそ意義があるのではないでしょうか。
データはインターネット上にもたくさんあります。
事実の提示は、政府や企業も得意とすることです。
個人だからこそできることは、思いを言葉にして発信することです。
そこでは「主観」や「感想」も意味をもつのではないか。
統計的な「データ」とは点の集合体のようなもの。
拡大してみれば、一つ一つの点は個人であり、それぞれが意思をもった人間です。
人間としての思いを言葉にしていくことは大切なことだと思います。
もちろん、根拠をもって主張することも大切ですが、根拠が見つからないからといって思いをしまい込むことはありません。
自分が「そう思った」のならば、そうなのかもしれない。
事実を示す記事が役に立つこともありますが、それだけでなく「思い」を感じ取れる記事が私は好きです。
これも、あくまで私の思いです。データはありません。
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