香港の表層に惑わされず「中国」化した現実を直視せよ|【WEDGE SPECIAL OPINION】「節目」を迎える2022年の中国 日本の対中戦略、再考を[PART1]
アジア太平洋の経済ゲートウェイとして繁栄してきた「香港」。だが、生殺与奪を習近平が握った今、変容と衰退は避けられない。
1997年、香港は1世紀半以上の英国による統治の後、中国に返還された。それから25年を経た現在、香港は根本から変化してしまった。
返還後の香港は、84年の「英中共同声明」で約された「一国二制度」で、50年間は不変であると理解されてきた。その枠組みは2010年代に入るまで、紆余曲折はありつつも、江沢民から胡錦濤に至る中央政権の慎重なアプローチもあって維持され、香港は返還前と同様に、アジア太平洋の経済ゲートウェイとして繁栄してきた。
しかし、12年の習近平政権発足以降、その前提は崩れた。14年と19年の大規模な反政府・民主化運動は、自らと中央の権威への反抗を決して許さぬ習近平を刺激し、それまでのバランスは崩壊した。もはや中国は「英中共同声明」を過去のものとし、自らの主権下にある香港の「一国二制度」の定義・解釈を当然の権利と考えている。
そして近年、香港国家安全維持法の施行、民主派の活動家やメディアへの徹底弾圧、「愛国者による統治」と称する警察官僚主導・親中派独占の政治、司法の親中化と独立性の減退、各種デモ・集会の禁止・自粛などが示すように、政治、言論、社会の自由は、中央の意向に沿って急速に狭められ、香港は大きく変容した。
表面上は「平穏」を取り戻し、核心の経済活動も相変わらず活発に見える。だが、私たちはそれに惑わされることで、この10年で発生した根源的な変化と、それが及ぼす今後への負の影響を、見誤ってはならない。
香港が衰退に向かう蓋然性が高い理由は、この街の根源である「自由港(Free Port)」の遺伝子を刻み込んできた「開かれた経済システム」が、中国の専制・権威主義的な統治概念とは根本から相反するためである。
英国は1841年に香港島を占領後、自由港とした。そして英国の法的・軍事的な保護の下、あらゆる人種背景の商人が等しくアクセス可能な、ヒト・モノ・カネ・情報を集散する、利便性の高いプラットフォームを提供した。これは、遡ること300年にわたってイングランドで形成された「シティ・オブ・ロンドン」という、専制的政治権力の恣意的な追及・影響が及ばない、自由で多国籍な商業活動が認められた経済特区の繁栄と経験が生み出した知恵だった。英国はこの自由港政策で、世界各地域の在来商業活動を集積し、これを広範囲に結ぶことで、19世紀を主導する自由貿易帝国となった。
したがって香港の存在理由は、「開かれた経済システム」のゲートウェイとして作動・拡大することにあった。ゆえに英国統治下の香港政庁は、経済発展に不可欠な司法独立性や情報流動性も含め、近代資本主義の根本原則を尊重しており、香港の存立を脅かさない限りは、介入に非積極的であった。
一方で、香港を利用する側や被支配者側もこの前提を了解し、その上で経済活動に注力した。この不文律とバランスで担保された、上限はあるが発展余地の大きな経済空間の自由こそが、香港に1世紀半以上の繁栄をもたらしたのである。
過去の経験則が通じない
「新しい香港」の出現
しかし、20世紀後半の社会経済と市民社会の発展から、香港の自由は経済空間だけでなく、政治・社会空間にまで拡大した。これは無論、中国の専制・権威主義的な統治概念とは、全く相反するものであった。しかし返還以降も、「一国二制度」で担保された空間と中央の介入抑制も相まって、香港の市民社会と自由は着実に進歩していった。
これを根本から覆したのが……
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