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ロシアの行動を注視する中国 日本の安全保障「再構築」を|【特集】プーチンによる戦争に世界は決して屈しない[Part3]

ロシアのウクライナ侵攻は長期戦の様相を呈し始め、ロシア軍による市民の虐殺も明らかになった。日本を含めた世界はロシアとの対峙を覚悟し、経済制裁をいっそう強めつつある。もはや「戦前」には戻れない。安全保障、エネルギー、経済……不可逆の変化と向き合わねばならない。これ以上、戦火を広げないために、世界は、そして日本は何をすべきなのか。

ウクライナ戦争から教訓を得た中国は台湾有事のシナリオを再検討するはずだ。日本人の安保観が変化し始めた今こそ、日本でも真剣に現実的な議論を行うべきだ。

文・小谷哲男(Tetsuo Kotani)
明海大学外国語学部 教授
日本国際問題研究所主任研究員を兼任。専門は日本の外交・安全保障、日米同盟、インド太平洋の国際関係。主な共著に『アジアの国際関係―移行期の地域秩序』(春風社)など。

 2月24日にロシアがウクライナに侵攻した。独立派が支配を続ける地域の「解放」を目指すだけではなく、隣国の首都の制圧をも目指すというこのようなあからさまな力による現状変更は、おそらく1990年のイラクによるクウェート侵攻以来であろう。湾岸危機では、国連安保理決議に基づいて組織された多国籍軍がイラク軍をクウェートから撤退させた。しかし、ウクライナ戦争では、拒否権を持つロシアが当事国であるため安保理が機能せず、国連の集団安全保障の限界が露呈した。

 また、米国および北大西洋条約機構(NATO)加盟国はロシアとの核戦争を恐れて直接的な軍事介入の可能性を早々に否定した。ロシアによる核戦争の脅しが、米国および同盟国の介入を抑止したのである。双方に壊滅的な破壊をもたらす核戦争を引き起こす能力をもった勢力が対峙するとき、核戦争への拡大を相手が避けることが期待されるため戦略的安定性が成立するが、逆説的に通常戦力による攻撃が起こりやすくなる。この「安定・不安定パラドックス」は、ロシアが米国やNATOの介入を恐れることなくウクライナへの侵攻を決断した要因の一つであると考えられる。

 米国が戦争防止のために何もしなかったわけではない。開戦前からロシアによる戦争の準備や世論工作に関する機密情報を積極的に開示するとともに、同盟国と連携しながら厳しい経済制裁のパッケージを用意し、ロシアに侵攻を断念させようとした。結局、これらは侵攻を防ぐことはできなかったが、その正当化を困難にし、欧米だけではなく広く国際社会がロシアに対する厳しい制裁を行う土台を作り上げることには成功した。また、西側諸国によるウクライナへの軍事支援は、ウクライナ軍が予想以上に善戦を続けられている理由の一つとなっている。

 この戦争が改めて示したことは、力による現状変更はどれだけコストが高くても、現実に起こり得るということである。アジアでいえば、北朝鮮による韓国への侵攻、そして中国による尖閣諸島あるいは台湾への侵攻は、現実的なシナリオとして再認識されるべきであり、これらを抑止し、抑止が崩れた場合は対処しなければならない。とりわけ、日本では台湾有事に関する議論が十分に行われてこなかった。

ウクライナ戦争を見て
台湾有事で中国はどう動くか

 2021年3月に米デービッドソン前インド太平洋軍司令官が「6年以内」に台湾有事が起こる可能性があると指摘したことを受けて、今では日本でも台湾有事への関心が高まり、政府にとっても優先課題となっている。しかし、20年代後半に予想される中国の習近平国家主席体制の長期化や、人民解放軍の揚陸能力および核戦力の増強、米中の経済力が逆転する可能性などを考えると、むしろ30年代が「危機の10年」になるというのが現在では主流の見立てとなりつつある。

 では、ウクライナ戦争は台湾有事の見通しにどのような影響を与えるのか。まず、西側諸国がロシア中央銀行の海外資産凍結など予想以上に対露制裁で足並みを揃えたため、中国としても台湾侵攻時に国際社会の反応をさらに警戒しなければならなくなるであろう。しかし、世界経済における自らの比重がロシアより大きく、中国は台湾に侵攻しても国際社会で孤立することはないと考えるかもしれない。実際、対露制裁にはインドや、シンガポールを除く東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国が加わっておらず、「台湾海峡の平和と安定の重要性」についてもこれらの国は言及を避けている。

 このため、中国は侵攻を行う前に国際的な世論工作により力を入れ、自らの行動を正当化しようとするであろう。だが、この場合も米国の情報戦によって実態をさらされる可能性は否定できない。そうなれば、西側諸国が「台湾海峡の平和と安定の重要性」を求めて台湾への支援を強めることになり、結果として台湾の国際社会における存在感が高まることになる。このため、中国は台湾への武力侵攻についてさらに慎重にならざるを得ない。加えて、ウクライナ側が戦力で勝るロシア軍に対して善戦し、侵攻を受ける側の抵抗を過小評価できないことが示されたことは、中国が台湾への侵攻を決断する際に無視できない要素であろう。

 一方、すでに述べた通り、ロシア側の核の威嚇によって米国およびNATOは核のエスカレーションを恐れて直接的な軍事介入を抑止されたといえる。同様に、中国が急速に核戦力の増強と運搬手段の多様化に取り組む中、米中間に戦略的安定性が成立すれば、「安定・不安定パラドックス」により台湾有事が発生し、米軍の介入も抑止される可能性は否定できない。また、ロシア側は非戦略核や生物・化学兵器の使用も検討しているとみられるが、仮にロシアが大量破壊兵器の使用に踏み切っても米欧がエスカレーションを恐れて軍事的懲罰を加えなければ、台湾有事でも中国がこれらを使用する敷居が下がるかもしれない。

中国はロシアの失敗を教訓に、台湾有事では航空優勢の確保を図るだろう (AP/AFLO)

 加えて、ウクライナ戦争でロシアが首都を数日で制圧するのに失敗した要因には、ロシア軍側に通信や補給、練度および士気の面で問題があったことが挙げられる。特に、ウクライナの防空システムの無力化に失敗したことが、作戦全体の遂行を困難にした。台湾有事において中国が航空優勢を確保できなければ、上陸作戦は実施できないであろう。

 とはいえ、中国がロシアと同じような失敗をするとは考えにくい。むしろ、中国としては今回のロシアの失敗を繰り返さないよう、その教訓から戦略や作戦の見直しを図ると考えられる。とりわけ、緒戦において精密誘導兵器による台湾の防空システムの無力化に力を入れるであろう。また、台湾の航空優勢確保に貢献するとみられる自衛隊と在日米軍の防空システムへの攻撃も行う可能性が高まる。

 以上のように、ウクライナ戦争を受けて、中国は国際社会からの制裁や台湾の抵抗を考慮し、台湾侵攻に関してより慎重にならざるを得ないだろう。しかし、それでも中国が侵攻を決断した場合は、核抑止力や精密誘導兵器の活用により、中国側に有利に作戦が進む可能性は否定できない。

「手のひらの中の戦争」を機に
安全保障について議論せよ

 湾岸戦争は「テレビで観る戦争」であったが、今回の戦争はスマートフォンで戦況を追うことができる「手のひらの中の戦争」である。SNSを通じて若い世代が戦争や安全保障を考えるきっかけになっている。日本では、一部の評論家や政治家の間で侵攻されたウクライナ側に責任があるかのような論調がみられるが、安全保障専門家や地域専門家の適切な発信もあり、日本の世論は概ねロシアが国際法に背いて力による現状変更を行ったことに厳しい目を向けている。たとえば、日本経済新聞社が2月に実施した調査によると、14年のクリミア占拠のときに比べ、ロシアへの制裁に賛成する割合は3割から6割に増加した。それは、日本政府がこれまでのロシアとの友好関係を重視する方針にとらわれず、厳しい制裁を科すことができた背景ともなっている。

 ウクライナ戦争を受けて、日本の世論の8割近くが台湾情勢への波及を懸念している(同調査)。すでにみたように、ウクライナ情勢によって中国による台湾侵攻の時間的猶予は生まれたかもしれない。しかし、中国の脅威が消えたわけではなく、油断することは許されない。22年末までに「国家安全保障戦略」を見直すこともあり、これを機に台湾有事などに向けた日本の安全保障について真剣かつ現実的な議論を行うべきである。

 そのためには、まず国際関係の現状を正しく認識する必要がある。西側民主国家が中露の強権主義との対立を深める中、中国やロシアとの友好関係に期待するのではなく、現状変更を行っている両国への対抗が基調とならなければならない。また、アジアにおいては中露との友好関係維持を目指す国が多いため、日本は対露制裁の必要性や「台湾海峡の平和と安定の重要性」をインドや東南アジア諸国と確認するなど、働き掛けを強化する必要がある。

 次に、「安定・不安定パラドックス」から台湾有事が日本に波及することを防ぐために、日米の拡大抑止協議を深め、大量破壊兵器の威嚇に屈しない態勢を築く必要がある。一部の政治家が提起した日米で核共有を行う案はデメリットもあるが、核の傘の運用に関する政治レベルの協議は日米でも取り入れるべきであろう。

 さらに、中国が対米戦略上の防衛線と位置づける第一列島線の航空優勢を確保するために、自衛隊の防空システムの向上に加えて、独自の打撃力の導入と、米国の中距離ミサイルの日本配備、そしてフィリピンおよび台湾との情報協力が必要である。また、今後防衛費の増額が見込まれる中、効率的かつ効果的な使途が求められる。たとえば、イージス・アショアを海上に配備することは合理的ではなく、地上への配備に戻すべきである。これにより弾道ミサイル防衛を強化できるとともに、イージス艦を南西諸島での航空優勢の確保のために投入しやすくなる。

少子化が日本の安全保障に
与える影響を真剣に検討すべきだ

(出所)『令和3年度防衛白書』、厚生労働省『令和2年人口動態統計』を基にウェッジ作成
(注)自衛官の定数と現員数は年度、出生数は年次のデータを使用

 最後に、少子化が日本の安全保障に与える影響も真剣な検討が必要である。ウクライナ人が示したのは、国家安全保障における自助努力の重要性である。出生数が100万人を切る中、自衛隊が毎年1万人の隊員を採用することは現実的ではない。省人・無人化技術の活用や、予備自衛官制度の拡充などに早急に取り組む必要がある。

※筆者の連載『21世紀の安全保障論』はWEB版でさらに詳しくご覧いただけます

出典:Wedge 2022年5月号

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