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日本型経営でも新自由主義でもない 人を生かす経営とは|【特集】現状維持は最大の経営リスク 常識という殻を破ろう[Part1]

日本企業の様子がおかしい。バブル崩壊以降、失敗しないことが〝経営の最優先課題〟になりつつあるかのようだ。
しかし、そうこうしているうちに、かつては、追いつけ追い越せまで迫った米国の姿は遠のき、アジアをはじめとした新興国にも追い抜かれようとしている。
今こそ、現状維持は最大の経営リスクと肝に銘じてチャレンジし、常識という殻を破る時だ。

松下電器(現パナソニック)、3代目社長の山下俊彦。山下の経営哲学にこそ、衰弱し切った日本経済と企業社会を立て直す「原点」がある。

文・梅沢正邦(Masakuni Umezawa)
ジャーナリスト
1949年生まれ。71年東京大学経済学部卒業。東洋経済新報社に入社。『金融ビジネス』編集長、『週刊東洋経済』副編集長を経て、2001年論説委員長。09年退社。

 大半の読者にとって、山下俊彦って誰だろう。45年前の1977年、下から2番目のヒラ取締役からいきなり松下電器(現在のパナソニック)の社長に就任した。「経営の神さま」、松下幸之助による大抜擢だった。山下は工業高校卒で松下家とは縁もゆかりもない。世間は「22段跳び」と大騒ぎしたが、あれから半世紀近い時間が流れている。今、なぜ、山下俊彦なのか。山下の経営哲学が、現在の衰弱し切った日本経済と企業社会を立て直す「原点」を指し示していると思えるからだ。

山下俊彦
松下幸之助と山下俊彦は、「自主性こそが人の力を最大化する」という考え方で一致していた。 (THE ASAHI SHIMBUN/GETTYIMAGES)

 日本が今の体たらくになった最初の躓きの石は、80年代後半のバブルだった。このことに異を唱える人はいないだろう。山下はバブル直前の86年に社長を退任している。退任の辞で言った。「ほろびゆくものの最大の原因はおごりです」。山下には見えていたのである。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持て囃され、日本の地価で米国が2つ買えたバブル。経営者たちの頭のネジが弾け飛んでしまった。おごり高ぶり、慢心し、自己満足し、内向きになる。世界市場とライバルをまともに見ようとしなくなった。例えば半導体。

 日本は80年代後半にDRAMメモリで世界市場の8割を握り、86年に半導体生産額が米国を上回る。まさにその年、日本は日米半導体協定を結び、通産省(現・経済産業省)が音頭をとって「官製カルテル」を結成した。設備投資は抑制し、半導体価格を引き上げ、ラクして儲けよう。オレたちが市場を牛耳っている、他の国も付いてくるだろう、と。ところがどっこい。

 韓国のサムスンはここを先途と大投資を決断する。米国の半導体業界はトヨタ生産方式に学び、ペンタゴンとともに「オープン・オブジェクト指向型生産方式」を開発した。いわば「後工程が前工程を取りに行く」トヨタ方式をITで最適化したものであり、半導体の生産性が3割以上上昇した。サムスンや半導体受託会社もこぞってこの方式を採用したが、日本だけが見向きもしなかった。モノづくりは日本が一番、というわけである。6年後の92年、日米半導体が再逆転した。

 山下は言っていた。「ほろびゆくものの最大の原因はおごりです。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。一度守りの姿勢になった企業は衰退の一途を辿るのみ」。

山下の予言通りになってしまった。

「個」の主体性・自主性への信頼
新自由主義が壊した「事業部制」

 日本の衰退は二段階で起こった。バブルのおごりが第一段階。第二段階は、……

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