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コロナ禍で命を守ったDX 現場で生きた教訓とは|【特集】漂流する行政デジタル化 こうすれば変えられる[PART4-3]

コロナ禍を契機に社会のデジタルシフトが加速した。だが今や、その流れに取り残されつつあるのが行政だ。国の政策、デジタル庁、そして自治体のDXはどこに向かうべきか。デジタルが変える地域の未来。その具体的な〝絵〟を見せることが第一歩だ。

過酷な医療現場で芽吹くイノベーション。極限状態で内製したシステムが多くの命を救った。

文・酒井真弓(Mayumi Sakai)
ノンフィクションライター
慶應義塾大学文学部卒業。IT系ニュースサイトを運営するアイティメディアを経て、2018年にフリーへ転向。現在は記者、広報、イベント企画、マネージャーとして、行政から民間まで幅広く記事執筆や企画運営に携わる。著書に『ルポ 日本のDX最前線』(集英社インターナショナル)など。


 コロナ禍の宮城県で陽性者が急増し、病床がひっ迫し始めたのは、第3波に当たる2020年12月のことだ。本来ならば入院となる患者もホテル療養を余儀なくされ、容態の急変が相次いだ。そうした中、東北大学病院は宿泊療養施設において患者管理を電子化し、レントゲン・採血・心電図などの検査連携システムを内製開発した。

 現場は想像以上に過酷だった。施設内で診察にあたった同院の医師・高山真准教授は、「高山こうざん病にも似た状態で1日約6時間診察を続けた」と語る。

 「最初は感染エリアにiPadを持ち込み、患者の情報を入力するつもりだった。だが、フェイスシールドで視界が悪い上、Wi-Fiの速度も遅く、『咳がある』と入力しても『せ、き、が、あ、る』という状態。加えて、医療用のN95マスクは10分もすると息が苦しくなる。1人を診察するだけでもふらふらだった。そこで、感染エリアでは紙に診察記録を書き、外に持ち出せないので写真を撮り、後で大学病院の電子カルテに再入力することになった」

求められるスピード感と
現場で交錯する想い

 同じ頃、同院メディカルITセンターの中村直毅准教授は、この状況を打破しようと試行錯誤を続けていた。

 「ホテル内で検査し、結果を県庁の医療調整本部や県内の医療機関と連携、さらに大学病院の電子カルテとも連動させる必要があった。だが、ベンダー側にも前例がなく、各検査機器を単体で動かすのが精いっぱい。そこで私が現場の要件を整理し、患者データの連携システムを自作することにした」

 情報共有の仕組みは、東日本大震災で沿岸部の病院のカルテが消失したことを機に整備された診療情報共有システム「みやぎ医療福祉情報ネットワーク」を活用し、開発工数を大幅に圧縮。通常なら半年はかかるシステムを、わずか1カ月半で運用に持ち込んだ。

 21年3月からの第4波では、ついに紙での患者管理が限界を迎えた。

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