見出し画像

知らぬ間に進む影響力工作 中国が目論む日米の〝分断〟|【WEDGE SPECIAL OPINION】迫る台湾有事に無防備な日本 それでも目を背けるのか[PART2]

 「両岸(中台)関係の隔たりは軍事衝突では解決できない」。新たな年を迎えた1月1日、台湾の蔡英文総統は新年の談話でこう述べた。
 この地域が戦火に見舞われることは誰も望んでおらず、絶対に避けなければならない。
 コロナ禍での北京五輪開催で自信を深め、成果を強調して秋の中国共産党大会に臨む。異例の3期目を勝ち取ったその先に、習近平国家主席が見据えるものは何か。強硬姿勢を隠さなくなった中国の言動や「中国の夢」として掲げる「中華民族の偉大なる復興」という〝野望〟を直視すれば、米国や台湾が具体的な時期を示して〝有時〟の分析に走るのも無理はない。
 だが、20XX年を的中させることが勝利ではない。最悪の事態を招かぬこと、そして「万が一」に備えておくことが重要だ。政治は何を覚悟し、決断せねばならないのか、われわれ国民や日本企業が持たなければならない視点とは何か——。
 まずは驚くほどに無防備な日本の現実から目を背けることなく、眼前に迫る「台湾有事」への備えを、今すぐに始めなければならない。

文・桒原響子(Kyoko Kuwahara)
日本国際問題研究所 研究員
1993年生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科修士課程修了。外務省大臣官房戦略的対外発信拠点室外務事務官、未来工学研究所研究員などを経て、現職。京都大学レジリエンス実践ユニット特任助教などを兼務。近著に『なぜ日本の「正しさ」は世界に伝わらないのか:日中韓熾烈なイメージ戦』(ウェッジ)

台湾有事への備えは政治や国家の役割だと思われがちだが、狙われる対象は「世論」であり国民個人のレベルに及ぶ。国が前面に立った対策強化が急務だ。

 2021年3月、フィリップ・デービッドソン・インド太平洋軍司令官(当時)が米上院軍事委員会の公聴会で「6年以内に中国が台湾に侵攻する可能性がある」と発言した。デービッドソン氏のこの発言は中国の軍備拡張を強調するものであり、米国の軍備強化の必要性を米議会に働きかける狙いもあったと考えられる。「6年」という期限についても確たる根拠があったわけではないものの、具体的な期限を示した発言が米国の軍部トップの一人から出たことから、台湾有事が現実の可能性として論じられることが多くなってきた。

 その後、マーク・ミリー統合参謀本部議長は「6年以内に侵攻」議論が一人歩きしないよう、「中国は台湾侵攻の能力を持ちたいという意欲は持っているが、近い将来台湾を攻撃するとは考えていない」とコメントしたが、日本では台湾有事に対する関心がますます高まってきている。

 デービッドソン氏の発言に続き、翌4月に開催された日米首脳会談の共同声明において「台湾海峡の平和と安定」の重要性が謳われたが、日米首脳声明で台湾海峡が盛り込まれるのは1972年の日中国交正常化以来であった。台湾海峡をめぐり、国内のシンクタンクなどでも机上演習の機会が増えている。

 「台湾有事」とは、台湾を舞台に戦争状態、あるいはそれに近い軍事衝突が起きることを意味しており、その地理的な近さから考えても、日本が確実に巻き込まれると言っていい深刻な事態である。もっとも、台湾有事を想定して、日本としてさまざまな備えをすることは重要だが、何より重要視されるべきは、いかにして台湾有事が起きないようにするかである。防衛力の整備と並行して、外交的な努力を払う必要があることは言うまでもない。

 米国においても台湾情勢への懸念が強まっており、これまでの「戦略的曖昧」(Strategic ambiguity)政策ではなく、「戦略的な明確さ」、つまり「中国が台湾を攻撃すれば米国は台湾を守る」ことを明確にすることが対中抑止において必要になってきている、という議論も出てきた。

 しかし、バイデン政権は、台湾をめぐる議論があまりに過熱するのを警戒してか、日本に台湾情勢の深刻さを強調してきたカート・キャンベル・インド太平洋調整官が意識的に「台湾の独立は支持しない」と語り、歴代米政権が踏襲してきた「一つの中国」政策を堅持する立場と、「戦略的曖昧」政策を維持すべきだと強調している。

狙いは世論と日米の「分断」
どんな情報が流布するか?

 他方、台湾有事の議論において見落とされがちなのが、中国が日本に対して展開すると考えられるディスインフォメーション・キャンペーンの「具体的な」脅威である。

 2014年、ロシアがクリミア併合の際にサイバー攻撃や電子攻撃、情報戦を仕掛けたことはよく知られるが、台湾をめぐっても、中国がディスインフォメーション・キャンペーンを展開することが十分に予想され、警戒する必要がある。

 国家間闘争の舞台は、言論空間や認知領域といった無形空間にも拡大している。政治的介入や情報工作、プロパガンダなどが敵対国の世論を分断し、敵国政府の政策決定に重要な影響を与えるというものである。

 ディスインフォメーションなどの人々の認識に影響を及ぼす外国からの工作活動では、特定の「分断」を煽りやすい概念が活用され、それに対して感情的な人々や集団がターゲットとなる場合があるともいわれる。

 例えば、ロシアがクリミアに介入した際に発信した情報は、「政治的にはウクライナ国民だが、民族的にはロシア人と同じだ」というものだった。ロシア政府は、さまざまな情報戦を展開し、「キエフでの政変の黒幕は米国だ」「ウクライナの親西欧派住民はナチス支持者やファシストの末裔だ」「ロシア政府は関与しておらず現地住民による運動である」といった情報を流すことで、人々の認識形成において影響力を発揮した。

 14年2月には、クリミアの親ロシア派住民を扇動し、自治政府を解散に追い込み、住民運動を生起させ、住民投票を強行し、わずか3週間のうちにクリミアを併合したのである。

 今年に入ってもプーチン大統領は「ウクライナとロシアは一つの民族」という点を強調し、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟に反対する立場を鮮明にしている。

 これを台湾有事に当てはめると、中国はさまざまな情報戦を展開する可能性がある。基本的な戦略は、日本を米国から切り離さんとするものであり、「在日米軍基地と米国の軍事行動が日本を戦争に巻き込む」と訴えることで、日本国民の軍事アレルギーを刺激し、戦争や駐留米軍に対する批判的なデモを扇動する可能性も考えられる。

 また、歴史的観点でいえば、中国からは、沖縄はもともと琉球という独立国家であり、清朝に属していたなどという指摘が聞こえてくる。17年1月付の公安調査庁の報告書では、「琉球帰属未定論」に関心を持つ中国の大学やシンクタンクが「琉球独立」を標榜する日本の団体関係者と交流を進めていると指摘されている。

 今後、台湾をめぐり中国が一段とこうした動きを強め、米軍基地が集中する沖縄の人々に働きかけ、日米の防衛力を低下させるよう揺さぶりをかけてくることにも警戒する必要があろう。世論の分断は、一瞬のうちに大きな対立や批判の応酬を広めるだけでなく、社会をも分断する危険を孕む重大な問題である。

 ほかにも、日本国民の厭戦機運を高め、日本の台湾有事への介入を阻止するため、「先島諸島および九州や本州の一部が中国との激しい戦場になる」「米中の戦争が始まり、日本が米国に加担すれば、当然、日本に対する全面攻撃が行われる」といった国民に危害が及ぶとする情報や、「日本でも徴兵制が実施される可能性がある」といった日本政府に対する国民の不信や不満を煽るような情報が流布する可能性もあろう。

 国際社会に対しても、中国による宣伝戦や法律戦が展開され、伝統的メディアやソーシャルメディアを通じ、自らの行動の正当性を主張すると考えられ、国際社会もそれに翻弄される危険がある。

影響力工作の脅威を認識し
政府主導で対策強化を

 日本は、海外からの影響力工作対策において多くの課題を残している。ディスインフォメーション自体に対する認識は高まりつつあるものの、ディスインフォメーションに対する脅威認識は欧米などと大きな温度差があり、政府による対策も確立されていない。

 昨年12月に日米台のシンクタンクが共催した安全保障対話では、ディスインフォメーションへの脅威や対策の重要性についても米台の専門家によって危機感を持って議論された。

 例えば台湾では、中国の影響力工作に対する住民の危機意識が非常に高いことが世論調査によって明らかになっている。また、台湾行政院長(首相に相当)の蘇貞昌氏などの政治家も、自らのソーシャルメディアアカウントを活用している。インターネット「ミーム」と呼ばれるコンテンツを、短く且つユーモアを交えて発信するなど若者にも親しみやすく拡散されやすい手法でディスインフォメーションなどについて住民に注意喚起することにも積極的である(下図参照)。

台湾では政府や政治家によるさまざまな情報発信が奏功している

(出所)筆者提供資料を基にウェッジ作成

 現在の日本が米台と同等の脅威認識を持ち、関係国・地域との協力を実現させるまでの道のりは険しい。

 たしかに日本は、これまで複雑な日本語の障壁などによって海外からの厳しいディスインフォメーションの脅威から守られてきた。しかし今後、AI翻訳技術などの精度が向上すれば深刻な危険に晒される可能性が高まる。

 ディスインフォメーション・キャンペーンのようなグレーゾーン事態においては、政府のみならず、自治体や公共機関、企業、市民団体、そして国民一人ひとりが標的となる。その上でディスインフォメーションの脅威から国民や国家を守るためには、政府が適切な現状分析に基づく危機意識を国民と共有し、国民の支持の下に対策の枠組みを構築する必要がある。具体的には、ディスインフォメーション対策において国家安全保障局(NSS)などが指揮・統括などの中心的役割を果たし、関係府省庁の横断的な対応が可能な体制づくりも検討されるべきだろう。

 また、政府がディスインフォメーション対策において、メディアに対してもその危険性について問題意識を共有するなどしつつ、ディスインフォメーションを監視し、即時に対応する能力を持つことも重要だ。それには市民社会の連携も不可欠で、平時からの官民両面でのサイバー攻撃の監視をはじめ、ファクトチェック機能拡充のための民間団体の支援、官民間の情報共有の仕組みづくり、プラットフォーム事業者の役割についてのさらなる議論を進める努力も望まれる。

 国際協力を推進することも重要だ。民主主義の価値を共有する国や地域とさまざまなレベルで連携し、対策における協力メカニズムを模索していくことが求められる。

 ディスインフォメーション対策は、重要な安全保障の一つだが、一朝一夕に対策を進めることは難しい。台湾有事への関心が高まっている今こそ自国の弱点を直視し、国民全体を啓発しながら対策に向けた議論を加速させるべきである。

※本稿は著者のWEBでの連載「ディスインフォメーションの世紀」でもさらに詳しくご覧いただけます

※2021年11月号「台湾有事は日本有事 もはや他人事ではいられない」
小誌2011年11月号では台湾海峡危機のシミュレーションや国民保護の問題について特集しています。記事は下記からご購入いただけます。

出典:Wedge 2022年3月号

ここから先は

0字
一つひとつの記事をご購入いただくよりも、「マガジン」(450円)でご購入いただくほうがお得にご覧いただけます。

「両岸(中台)関係の隔たりは軍事衝突では解決できない」。新たな年を迎えた1月1日、台湾の蔡英文総統は新年の談話でこう述べた。  この地域が…

いただいたサポートは、今後の取材費などに使わせていただきます。