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生きててよかったと心から思えたあの日|椎名林檎デビュー24周年

5月27日は、音楽家 椎名林檎さんのデビュー日だった。

私は林檎さんのファンである。ファンクラブ(林檎班)にも加入している。林檎さんの良さとスキと感謝の気持ちを込めて、今回は椎名林檎について書きたい。

日出処の椎名林檎

椎名林檎を明確に推し始めたのは、高校2年生のときだったと思う。

少々記憶が曖昧ではあるが、高校生の真ん中くらいに私は椎名林檎を認識したのだ。もちろん椎名林檎という名は聞いたことがあったはずだが、楽曲や林檎さん本人に興味を持ったのがこのときだった。

当時は公式YouTubeを見ていた。過去の楽曲のMVを見ながら、なんかいいなぁと思ったのだ。

なんかいいなぁから、めっちゃいいなになって、もっと聴きたいに変わった。ちょうどアルバムが発売されたみたいだから、CD欲しいな……と思った。

私が人生で初めて購入したCDが、椎名林檎のアルバム『日出処』だった。2014年秋発売。ダイジェストムービーのデザインが良すぎる。

ここにはサッカーのテーマ曲に使用された「NIPPON」など13曲が収録されている。

今までCDを買うということをした事がなく、だからといって自分でお店に行きレンタルしたこともなかった。もちろんDL販売も知らない私は、CDってどうやって買うんだ……とビビっていたのだ。結局Amazonで購入したが、届いたときには初めての体験に感動していたのだった。

JL005便で泣いた

アルバム『日出処』のなかでも、私がめちゃくちゃ好きな楽曲が「JL005便で」である。

2014年に行われたライブ「(生)林檎博’14 ―年女の逆襲―」での、「JL005便で」と「私の愛するひと」の映像が公式YouTubeにあがっているので聴いて欲しい。

衣装、ライト、音、会場の演出、ダンサー、ライブを構成するすべてと、歌詞と和訳、声、まあ全てが素晴らしい。アルバム収録の「JL005便で」も好きだが、この「年女の逆襲ver.」も感動した。私は生で見に行っていないのだが、公式がこの映像をあげてくれているのが本当にありがたい。

「JL005便で」は私のなかでは隠れスキ曲と位置付けている。これまであまり周りには好きといっていなかったのだが、(椎名林檎ベスト10をあげるならば)隠れて殿堂入りするくらいには好きだった。

ちなみに「長く短い祭」は発売当時も今も擦り切れるくらい(イマドキは擦り切れるものはないが)聴いているので、こういうのが殿堂入りである。

2018年に行われたライブ「椎名林檎と彼奴等の居る真空地帯」で、私は初めて生の林檎さんを拝んだ。ライブに初参加したのだ。

ドキドキ……

ライブというものにも参加したことがなかった私は、ライブも生アーティストも会場も、とにかくすべてが初めてだったのでとても緊張したのを覚えている。生で見た林檎さんに、私は「ほんとに居るゥ……(拝む)」と実在することに感謝していた。アーティストってマジで居るんだね。

どの曲をやるんだろう、どんな演出なんだろうと、会場で立ちながら緊張していたライブ「真空地帯」。私の好きな「JL005便で」もセトリに入っていた。しかも、それは最高のタイミングで。

自然と涙が溢れた。まじか。「JL005便で」もやってくれるんだ。この公演にピッタリだ。

マイナーな曲なので、今まで人にあまり言わなかったのだが……今日この初めての公演で、この曲らしさが全開で最適な演出で魅せてくれた。こんなの泣くしかないし、一生ついて行きます林檎さん……という瞬間だった。

これまでの人生、生きててよかったとさえ思った。これが見れたんだったら、今までの嫌なことはだいたいチャラになる。あの公演にはそれくらいの力があった。

恐るべき大人達 東京事変

椎名林檎は東京事変のボーカルでもある。椎名林檎は音楽家の椎名林檎だけれど、東京事変というグループのボーカルの椎名林檎でもある。

私は林檎さんが好きなのでもちろん東京事変も応援している。東京事変は長らく再結成が強く望まれていたバンドだが、現在はありがたいことに活動を再開している。

私が椎名林檎公式YouTubeを見まくっていたころ、東京事変の楽曲も探していた。

そのとき出会ったのが「恐るべき大人達」だった。

おそらくそれは無断転載的なモノだったのではないかと思うが、それは再生回数も伸びていた。

タイトルが日本語ではなかったので内容はよくわからなかったが中身を見てみると、当時の私が体験したことのない大人な音の世界が広がっていた。

そのときの映像がこれである。なんとありがたいことに、公式が載せてくれたのだ。

ライブ映像。「恐るべき大人達」をライブで演奏したもの。ライブで。生演奏ってこと。

このクオリティで生演奏……???
音、演出、和訳、すべてに魅了されてもう何も言えなくなる。

十代の少女が、高尚な音楽ってこういうものなんだな……と気づいた瞬間だった。

楽曲のタイトルを特定し、東京事変のCDも購入した。擦り切れるほど……iPodだったかWALKMANだったかで聴いたので擦り切れるものは無いが……聴きまくった。

とんでもないアダルト集団を見つけた。またもや生きててよかったと思った。

呼吸が止まる能動的三分間

東京事変も追いかけるようになってから、MVを見たりCDを聴いたりしていたあるとき。

「この曲……なんか昔から知ってるような……」

イマドキ音楽ミュージックに疎いほうな私が、何か覚えているような気がする。それが「能動的三分間」だった。

この曲は演奏開始からピッタリ3分間で終わる面白い曲である。

発売当時、東京事変がMステで「能動的三分間」を生演奏していたのだ。私は小学生くらいだったか、東京事変を特に認識していなくて、たまたまMステを見ていた。

3分間ピッタリで終了する楽曲。それを今から生演奏する。なにそれ!と興味を持った私は、テレビに張り付いてじっとしていた。

3分のカウントが始まる。順調に進む演奏。そろそろ3分経つけれど間に合うのかなと、目の前の東京事変に釘付けになる。あ、3分になる。タイマーの音とともに演奏が終わった。

すごい。

音楽の良いも悪いも何も分からない子どもだったが、私はこれが本物のプロの演奏なのかと思った。

カッコよすぎる。3分間の美しい音楽。カッコよすぎる……!!!

「うわぁーーー!この人たちすごい!」と母に言ったことをよく覚えている。

あの日、既に私は東京事変に出会っていた。でも再び東京事変と出会った頃には、解散してしまっていた。

ファンなら誰もがまたその演奏が聴きたい、ライブに行きたい、活動して欲しいと願っていただろう。

私もまた音楽を聴いてみたい。ライブに行ってみたい。あのとき感動した「能動的三分間」の生パフォーマンスをもう一度みたい。

…………………………

本当にありがたいし、奇跡とも思える。再び活動してくれるなんて。2020年、また東京事変が見れる。

私の待ち望んだそれも叶った。
「能動的三分間」をMステで披露するって。

やばい。やばい。ヤバい。
本当にそんなことがあるのかと震える。再び活動が始まったけれど、本当にこんなことがあるのか。東京事変の一挙手一投足に私は不安と震えと動悸。

Mステの日。待機。緊張してきた。(なんでテレビで見てるだけなのに緊張するのか。)始まる。ああっ



演奏が終わって気づいた。



(久しぶりに息したな……)



呼吸が止まっていた。息を忘れた。無呼吸無酸素だったんじゃないのかというくらい、空気の存在も忘れた。待ち望んだ推しを見るのに酸素すら邪魔。一応ちゃんと心臓動いてるよかった。

感動。感激。演奏がどうとかそんなものはなかった。良いしか言えない。

子どもの頃の自分の忘れ物を、今取り戻したかのような感覚だった。ライブに行き生演奏は見れなかったが、Mステで見れたそれだけでよかった。

大人になってよかった。ちゃんと生きててよかった。また生きているということに感謝した瞬間だった。

「能動的三分間」のパフォーマンスは一度見てほしい。これは過去のライブ映像だが、ホントに盛り上がる。ドキドキする。

CD通りに歌ってるわけじゃなくアレンジしてるからね……ヒィ~

生きる

椎名林檎デビュー24周年。毎年デビュー日を迎えると、たくさんのお祝いツイートで溢れる。林檎さんが活動を続けてくれると、生きててよかったと思える瞬間が定期的にくるなって毎年思う。

林檎さんが辞めてしまえば椎名林檎は無くなるし、…………そうしたら私はどうやって生きていこう?

もしかして私の生命線は椎名林檎に握られているのでは……???

林檎さんが椎名林檎として活動した年数は、私が生きた年数と等しいのだ。なんかもう指標みたいなものだ。(勝手にそうしている)

林檎さんが活躍しつづけることで私は生き長らえているのではないかという重い愛をぶちまけてしまっているが、もちろん推しには健やかに幸せに生きていてほしいと思う。何事も健康第一である。

健康であればそれでいい……

今後も健康第一で活動してください……。
ずっと応援しています。

おわり


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