見出し画像

旅の回顧録☆ネパールでの独りウルルン滞在記。

32歳のインド旅の次に辿り着いたのはネパールでした。

場所はポカラ。標高は海抜827mとカトマンズに比べると低くて温暖ですが、低地ながらヒマラヤの山々を見ることができるため、トレッキングに出かける人々の拠点となっていて、観光客も多かったです。

そこではのんびり過ごしていましたが、とても平和過ぎて、すぐに移動したくなりました。

私が次に向かったのはルンビ二。お釈迦様が生まれたとされる、仏教四大聖地のうちの1つです。

さあ、今夜の寝床はどこにしようかと涼しい木陰で休んでいたとき、声をかけてきてくれたのが、日本でいうと中学1年生のビシュヌちゃんでした。

彼女は流暢な英語で、好奇心いっぱいに私にいろいろ訊ねてきました。旅人と話をするのが好きなのだそうです。

お父さんは畑をしながら、お寺に関する用務もしていると言っていました。お母さんも畑で共働きで、お姉さんとお婿さんがいて2人の間には1歳の娘がいると言っていました。

随分長く話したと思います。

私は彼女の流暢な英語に舌を巻きましたが、日本以外の国で、学習教材が自国の言語に訳されていないため、英語のまま学習をして流暢に話せる子どもに出会うことがあります。

ビシュヌちゃんはまさにそんな子どもでした。

「ウチに泊めてあげることはできないけど、近くの宿を知っているし、ご飯を食べに来てくれない?」そんな誘いを受けました。

私の好奇心も頭をもたげました笑。

私は案内された宿に荷物を置き、言われた時刻に迎えに来てくれたビシュヌちゃんについて行きました。

そこは街灯がなく、家は土壁、ろうそくの火でお母さんが夕飯を作っていたところです。

びっくりしました。ネパールでもそういう家はあるのですね。

土壁の家の中は、土の上にゴザが敷いているだけで、荷物らしい荷物もなく、実に質素なものでした。

家族は既に夕飯を済ませていたといい、お母さんは私のために食事を作っていてくれていたのです。

お父さんもお母さんも、お姉さんも英語が話せないので、ビシュヌちゃんが全部通訳をしてくれました(きっと彼女は学校での成績が優秀なのでしょう)。

残念ながら記憶はうっすらなのですが、もてなしてくれたのはスパイスを使った野菜の炒め物にごはんが入っている、ビリヤニのような食事だったと思います。

私は私のために作ってくれた食事は、彼らのどれくらいの食費になるのかを気にしながらも美味しくいただきました。

辺りはどんどん真っ暗になっていくので、結局帰りもビシュヌちゃんに見送ってもらいました。

さて、悲劇は起きました。

その夜は、一睡もできず、私はトイレで過ごすことになったのです。

海外旅行でお腹を壊すことはほとんどないので、自分を買い被っていましたが、せっかく作ってくださったビシュヌちゃんのお母さんの手料理に使っていた川の水は私のお腹に合わなかったようです。

念のために日本から持ってきていた正露丸を飲み、ひたすら買いためておいた水も飲んで、内容物を出しました。

大変な夜でした。

ぐったりしましたが、結局明け方から昼近くまで数時間眠りに落ち、学校から帰ってきたビシュヌちゃんに笑顔で会い、前夜の御礼を言うことができました。

翌日、明るいうちにビシュヌちゃんのウチへ再度行き、お母さんに御礼を伝えましたが、もちろんトイレのことは言いませんでした。

私は日曜日にビシュヌちゃんを、街でやっているインド映画に連れて行きたいとお母さんに許可をもらい、連れていくことにしました。

もちろん、ビシュヌちゃんは大喜びです。思いっきりおめかししてやってきました。

そうか、私はTシャツ、短パン、ビーチサンダルだけど、彼女にとって映画を観に行くことは特別な娯楽なんだなと思いました。

喜んでもらえたかな。

でも、私は後悔していることがあります。

ビシュヌちゃんはお昼ご飯を食べてきたと言っていたので食事はしてないのですが、インドの映画はものすごく長いので、ドリンクやスイーツでも買って入ればよかったです。

何も持って入らなかったので、帰りにはビシュヌちゃんはお腹を空かせて疲れたみたいで、何とも私は気が回らなかったことを悔やんでいます。

あれから21年。元気にしているかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?