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【闇の時代】できる人の真似だけで人生なんとかなってきた話


✅ 泥沼の新卒時代の幕開け

私は陰キャだ。
一人が好きだし、コミュニケーションが苦手だ。
しかし、ひょんなご縁で大学卒業後、大手企業の営業職に就職してしまった。
よくわからなかったのだ。周りの友達は企業研究やらインターンやら忙しく活動していたが、私はそんなものに興味が湧かなかった。

私が好きなものはゲームだ。
一人で黙々とやるゲームが好きだ。
就職活動当時、任天堂から人気ゲーム機が発売されるも、品薄の中なんとしても手に入れるべく東京から名古屋までゲーム機を買うためだけに向かったほどだ。
一日中誰とも喋らなかった日など数えきれない。

そんな私が仕事を始めたが、当然活躍できるはずもなく、始めて1ヶ月も経たないうちに、日々上司の前に立たされ数字を詰められる、いわゆる落ちこぼれ組の常連となってしまった。
終いには報告することも怖くなり、声がどもって「何を言っているかわからない」と叱責される負のスパイラルに陥っていた。

社会は厳しかった。
日々増え続けるノルマ、お客様からの苦情、立ち振る舞いのうまい同期との比較・・・。
辛すぎて吐き気がしたし、朝起きると頭が痛いし、手のひらの皮が剥けるし、今思えば当時メンタルはほぼ崩壊していたことと思う。
悔しくて涙を流す毎日であったが、人前で泣くことだけは私のプライドが許さなかった。

✅ タレントリサーチャーとしての目覚め

私はなぜ仕事ができないのだろうか。
社会人1年目が終わるころ、目の前で活躍している先輩や上司を眺めながら、ふとこのように感じる機会が増えてきた。

彼らはどんな行動をし、どんな話し方をし、どんな顔つきをし、どんなものを持ち、どんな冗談を言い、どんなことで怒り、どんな遊びをし、、、

とにかく彼らの全てが気になった。
しかし、この時はまだ彼らの真似をしようなど微塵も思っていないタイミングだ。
どちらかというと、私よりも仕事に対して不誠実だし、やることなすことデタラメな野郎どもが、なぜ上司から評価されお客様から信頼されるのかと、完全に嫉妬からくるものであった。

同時に、私と同じ落ちこぼれ組の先輩たちの行動も観察するようになった。
その筆頭にいた彼は優しかった。
ここでは彼のことを「鋼兄さん」と呼ぶことにする。
特にひねりはない。毎日怒られ続けているにもかかわらず、うんともすんとも響かない鋼のメンタルを持ち合わせた兄さんということだ。
私が入社した直後はあまり優しさを見せてはくれなかったが、私が落ちこぼれ組に片足を突っ込んだ頃から妙に優しい言葉をかけてくれるようになった。
後に自分も同じ道を辿ったため悟ったことだが、これは優しさというより、自分よりも惨めな人物にカーストを引き、自尊心と自己肯定感をつなぐための必要行為だったようにも思う。

✅ うまくいく人の傾向

私はよく小さい頃から「あんたは人をよく観察している」と言われ続けてきた。
たしかに人の動きはよく見ている気がする。
あと、人が何を考えているか結構気になったりする。

空気を察するのは割と敏感な方かもしれない。
敏感な感性は有益に働くことが多いが、時として自分を追い詰めるものでもある。
それゆえ、あえて鈍感な自分を作り出すことも必要だったりする。

鈍感な自分は作ろうとしなければ作ることができない。
「気にしない」ということを自分に言い聞かせて、記憶として定着させないよう強制的に脳から排除するようなものだ。
これは今でもできているようで、まだまだ訓練中でもある。
ただ、これはビジネス界にいる以上、避けては通れないものと実感している。

話を戻すが、入社2年目の夏前ともなると、観察により収集した情報が徐々に傾向を帯びてきたことに気づいた。

どうも活躍している人には一定の特徴があり、得意分野もあれば不得意分野もあるということがわかってきた。
この分野ではAさんが上手で、あの分野でばBさんが上手といったところだ。

同時に分かったことは、不得意分野がない人はいないということだ。
これは意外と目から鱗な発見であり、瞬間的にでも優越感を感じられる部分が私にもあるかもしれないと、多少気持ちが休まる可能性を感じ取った部分でもあった。

念の為断っておくが、のんびり人間観察をしていた訳ではなく、この頃の私は想定通り落ちこぼれ組の筆頭を受け継ぎつつあり、もはやこの会社で活躍することは難しいと諦め始めた時期でもあった。

純粋におもしろかったのだ。
上司の叱責が私の右耳から左耳へ光の如く通り抜ける中、少し向こうで別の上司に叱責される鋼兄さんの様子を横目に「あの返しじゃ火に油を注ぐだけだよ」と心の中でこっそり嘲笑する図太さを身につけつつあった。
そんなことなので、当然ながら私はこの時上司から言われたことを覚えていないため1時間後にまた雷を落とされることになるのであった。
これが私のゴールデンルートだった。

✅ 真似してみたらうまくいく

そんな私の動きが一変する事件が起こった。

私のお得意先様から、契約書に関する大きいクレームが発生した。
私は上司からこっぴどく叱られ、さすがにこの日は退職しかないと決意した程だった。

そんな私を見かねた、私よりも10も年上のできる先輩が夜ご飯に誘ってくれた。
この先輩は口が悪くお節介なところがあるが、割と熱血的な人で、私がメタメタにやられた後、よくご飯に誘ってくれる人だった。
彼のことは「熱血兄さん」と呼ぶことにする。

夜ご飯といってもファミレスで、結果的に終始ダメ出しを受ける時間がほとんどだった。
私はドリンクバーを飲みながら下を向いた状態で、「食べな」と言われた食事もダメ出しされている中なかなか手を伸ばせず空腹のまま帰ることが常であった。

だが、この日は少し違った。
私のあまりの落ち込み具合に、さすがの熱血兄さんも悟ったのだろう。
いつものようなダメ出しはなく、休日の過ごし方や、趣味、恋人のこと・・・
お互いのことをいろいろ雑談したように記憶している。

さてそろそろ帰ろうとなった時、熱血兄さんから言われた一言がその後の私を大きく変えることになった。

「おまえ考えすぎなんだよね。
明日から、一回何も考えずに俺の全てを真似してみな。
そしたら俺にはなれるから。」

この言葉は心強かった。
いよいよ誰からも相手にされないと思っていた中で、この言葉は本当に嬉しかった。
そうだ、自分のやり方でできないのであれば真似すれば良いのだ。
素直にやってみようと思った。

翌日から早速熱血兄さんの動きを真似するようにしてみた。
動いたことや会話の内容などを、毎日事細かく報告しアドバイスをもらった。
ちょっとでも違った表現やズレた感覚は全て厳しく指摘された。
でも嫌ではなかった。
というのも、前日の苦情対応は言われた通り動いたら事なきを得たし、1日の成果報告を上司に上げる際も、熱血兄さんと同じステップで報告したら思ったよりもあっさり完了するようになったのだ。

よくわからなかったが、熱血兄さんの真似をしたことで、歯車がうまく回り始めたようだった。
後に理解したことだが、要は私は正しい「学び」ができていなかったのだ。
20年間生きてきた故の自分の価値観と社会の価値観のズレに対し、自分の価値観のみを武器に戦おうとしていたのだ。
うまくいくはずがなかった。
もっと学ばねばならなかった。
そして、学ぶとは真似るということだ。
学ぶの語源は「まねぶ」からきている、つまり「真似」ということだ。
これは、みなさんも一度は耳にしたことがあるだろう。
最終的になんともシンプルなところへ落ち着いたものだ。

2年目の冬頃には社内外で熱血兄さんとほぼ同じ行動をとることができるようになり、落ちこぼれ組から脱却の兆しが見え始め、私のメンタルは徐々に改善の方向に向かった。
鋼兄さんは相変わらずの状態で、程なくして地方部署への転勤が決まった。

✅ この経験を誰かに伝えたい

私は現在、株式会社Wealthon(ウェルソン)という会社で「タレントリサーチャー」として活動している。
タレントリサーチャーとは、活躍する人材の特性を言語化し、今仕事に悩んでいる人たちにノウハウを提供する仕事だ。
要は、うまくいっている人の真似の仕方を教える仕事だ。
主に入社して数年くらいの駆け出しビジネスマンを対象としている。

それとは別に150人規模のIT会社も経営している。
経営とはなかなか難しいものだ。
大きな失敗は倒産を意味することもある。
判断に迷う時は多くの人の意見を聞き参考にするようにしている。
つまり、過去の判断を真似しているということだ。

当時熱血兄さんの真似を始めた私は、3ヶ月も経たずして別人のように動きが良くなり、成果が上がれば社内調整もでき、お客様からも信頼を得られるような関係値を構築できるまでに成長した。
熱血兄さんが不得意とする分野は、その分野に長けた別の先輩の真似をした。
誰を真似して良いかわからないときは、それを熱血兄さんに相談した。

できる先輩方の得意部分を寄せ集めた結果、3年目になる頃の私は、バランス良く何をやっても合格点がとれる安定した人材へと成長することができた。

結局のところ、基礎スキルの習得はできる人から学ぶことが最も効率的だと考える。
繰り返し言うが、学ぶ方法は真似するということだ。
これは学校で歴史を学ぶ意義にも通ずる。
先人の誰かがある行動によって結果を出し、それと同じように行動すれば基本的には同じような結果に辿り着くのは当然のことである。
当たり前なのだ。
これは失敗した場合についても同様のことが言える。

時代の変化とともに多少のチューニングはもちろん必要だ。
それは真似ができるようになってからでよいと思う。
いわゆる応用の範疇である。
基礎が身についたからこそ応用が効くという、よく言われるシンプルなものだ。

私は初めから自己流を貫こうとした。だから失敗した。
というか陰キャであったが故、あまり周りの人から学ぶという環境に慣れていなかった。
自分の力で何事も切り開いていけると思っていた。
多分その考え自体は悪くない。
しかし武器を持たずして切り開いていくには、時間もかかれば、失敗という膨大なコストを支払う可能性も孕む。
これは私の人生における大きな教訓として刻まれることとなった。

その後の私は、新卒の会社で2度の営業表彰を受賞し、経営直轄部門へ異動するなど多くの経験を積むことができた。
30歳になる頃には年収1,000万円を超えることもでき、その後独立することとなる。

と、書き出すと長くなってしまうので、私の若かりし頃の話はこのくらいにしておいて。
noteでは、私がしくじった後悔の念も含め、同じ経験をしてほしくないという想いから、記事を書いていこうと思います。

単純に真似すると言ってもそんな簡単にはできないし、真似したことを自分色に染めていくことも重要だ。
このような話はまた別途まとめることとしたい。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
またね!