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学校は行かなければならないのか 〜ヒーローアカデミアにみる教育〜


学校は行かなければならないのか 〜ヒーローアカデミアにみる教育〜

学校は、行きたければ行けば良い。


絶対に行かなければいけないなんてことはない。


 私自身、不登校になったこともない。
小学校は野球の反動で楽しくて仕方なかった。
中学もそれなりで、高校の時は野球というもの、それに関わる人間関係に惑わされ、「学校に行きたくない」と本気で思う、不登校になる気持ちというものが理解できた。


 世間の親は、とりあえず自分の子どもは学校に行かせなければ、と思う。


しかし


「なぜ学校って行かなければならないの?」


 小学生の時に誰かが先生に聞いた命題は、現代において標題の通り答えが出ている。


「行きたければ行けば良い。行きたくなければ行かなくて良い。」

 
そもそも今の学校は戦後教育の中で、GHQに刷り込まれた方針をもとに成り立っている。


 国、西欧諸国(GHQ含め)が教えたいということがあって、そのカリキュラムに則り「先生」という立場の者が教える役割を担っている。
それにもとづきテストが作られ、点数の高い者が評価される。
一昔前はそれで大学に行き、良い会社に入ることが「成功」とされてきたが、現代においてはその構図さえ崩れている。


 ということは、別に学校教育を受ける意味もないし、むしろ国や西欧諸国が決めた教育を受け、考えが固まってしまったり、テストを受けることの弊害もある。


 テストを受ける弊害というのは、テストというものは「ひとつの正解」がある構図で作られている。
それ以外は不正解になってしまうのだが、問題はこの「正解」というのが、国や西欧諸国が決めた、所謂「他人の正解」であることだ。
これにより、「他人の正解」を求める人生になってしまうし、他人の正解というものは自分の中の正解と必ずしも一致するわけではないから、そのズレに苦しむ人が社会に多く出てくる。
自分はこう思うのに、社会の正解がこうだから…
と行動していては本当に人生がしんどくなるし、他人の正解は他人の正解であって、完全に一致することなんてない。

 
だからそもそも「他人の正解」を追い求めることが人生において、成功とすること自体が間違っているのだ。

 
だから「自分の正解」を求める。


 ここで大事なのが、じゃあ
「自分の正解とは何か?」
ということ。
テスト教育を受けてきた者にとって、これはなかなか難しいものだ。


何をすれば良いのか?


自分の正解がわかれば人生が豊かになっていく。
そのためには、


「常に自分の意思を持って、理由を持って選択し続ける」


ということだ。
これをすることによって、
「自分の正解とは何か?」
というもの徐々にわかってくる。


 例えば、仲間と食事に行った時。
仲間がこれを頼んでいるから…
となんとなくメニューを決める。
それでは「自分」という者が育まれない。


「自分はこれが好きでこれが食べたい。だからこれを頼む。」


理由は何でも良い。
とにかくそういう時に、自分の意思を持って選択するのだ。
言い換えれば
「究極の目先」
というものなのだが、自分はどれを選んだら幸せを感じることができるか?
その積み重ねが「今」になり、「未来」を作っていく。

 
私も以前、ラーメンの有名な店に行った時、当時の上司から
「ここはこのラーメンが有名だからこれ頼んだ方が良いぞ。」
と言われた。
しかし自分は当時はまっていた「台湾まぜそば」が食べたかったからそれを選んだのだか、「それはないわ」
と言われた。

 
こういう日本の社会はぶっ壊れた方が良い。
自分の金で、自分の身体を形成するものなのに、なぜ他人に選んでもらわなければならないのか。
自分が食べたいもので良いにきまってる。
むしろそういう店の台湾まぜそばはこだわりが多く、他の同僚に「一口ちょうだい」と大いに言われたのだった。


 学校については、大きなデメリットも見逃すことはできない。

 
「いじめ」
というものは今も昔もあって、完全になくならないのが現状である。
そういうことがあった時に、学校というのは「逃げ場」がない。
子ども自身が様々なコミュニティの中にいれば良いが、学校という狭いコミュニティだけにいるとその世界がすべてだと往々にして思い込んでしまう。
そこで、学校は義務だから行かなければならないと親も感じていては、子どもに無理を強いることになる。
そんなことは絶対にあってはならない。


学校は、行きたくなければ行かなくて良い。行きたければ行けば良い。

 
その理由を話したが、では子どもにはどういった教育をすれば良いのか。


「その子に合った教育」


これをしていかなければならない。

 
「僕のヒーローアカデミア」
というアニメ・コミックをご存知だろうか。


 人々が「個性」という特徴を持つようになった「現代」で、悪と戦うヒーローになるために成長する、というストーリーなのだが、
高校生たちは学校で
「個性」を伸ばす
という授業を行う。
この授業はトレーニングなどだが、全員同じ課題に取り組む時と同じように
「それぞれの個性を伸ばす」
という授業をする。


「君は氷を出せるから、その量のコントロール」
「君は触ったものを浮かせることができるからその重さの限界値を上げる」


 それぞれの個性をみて、その力を伸ばすトレーニングをする。
子どものための教育とはまさにこういうことで、何か「ひとつの正解」があって、それを導くことを教えるのではなく、
その子の人生における「正解」というものを見つけるために何をすれば良いのか。
それを教えることがその子のためになるし、本当の意味での正解である。

 
だから「親がこれをやらせたいから」と変なバイアスをかけて子どもに何かをやらせることは絶対にしてはならない。
バイアスをかけた時点で、子どもは自分が本当に心から好きだったり、やりがいを感じることでなくても、親が言ったものだから好きになろうとするし、親には実際に「好き」と言ってしまう。


 それを親はわからなければいけない。


 子どもを「1人の人間」として見る。
そして親の気持ちを押し付けてはならない。


 親にできるのは、その子がどういう子か、しっかりと観察して、その子がやりがいを感じることができるようサポートすること。


P.S

押し付けられて、無理やり野球をやらされ12年間もの貴重な青春時代を棒に振った経験から言えることは、自分にとって何も生まない、ということ。

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