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現世界グルメ「伊勢うどん」


 この世には、納得いかない食い物と言うものがある。
 誤解なきように言っておくが、味覚なんてものは個人の好みが大きい。いや、味覚に限らない。どんな趣味も大概は、詰まる所、個人の好みに過ぎないものなのである。
 どの料理が美味いとか、誰の歌が上手いとか、誰の絵が美しいとか、誰の顔が綺麗だとか。100mを何秒で走れるか、と言うような明確な基準でもない限り、そんなのはただの好き嫌いに過ぎない。
 ある程度の基準があるようなスポーツでさえ、性別、体重別、時代別があったりする。
 無敵を誇ったチャンピオンでさえ、寄る年波には勝てない。両選手がピークで戦ったらどんな結果になっていたか。
 それをロマンとも言うが、明確な記録がなく、記録する方法もなく、想像で補う事しか出来ない部分には個人の好みが反映される。
 だから何にしても「結局は個人の好みでしょ?」ってのが結論となるのだ。
 無論それを否定はしない。何なら個人の好みは尊重する。だが「それが全て」だと言うなら、趣味など何の重みもない薄っぺらく軽佻なものになってしまうだろう。
 「そんなのは好みの問題」って意見を念頭に持ってくるなら、料理や美食には何の価値もないのだ。
 前提として「好み」はあるものの、研究し尽くして、情報を集め、試行錯誤を繰り返し、色んな人の意見を聞き、語り明かして、それでも越えられない分厚い壁にぶつかった時、「ここはもう、好みの違いだから仕方ない」と諦めるしかない。
 だが「好みの味じゃない。しかし、趣旨替えを検討するほどに美味い」と言わせしめる事こそが、美食の探求だと思うのである。
 しかし、その逆もまた然り。
 探求するほどに、知るほどに、求めるほどに「これは不味いのではないか?」と言う料理も存在する。
 その典型例が「伊勢うどん」だ。
 好きな人には大変申し訳ないが、伊勢うどんは料理としての完成度が低い。
 伊勢うどんにはコシがない、歯ごたえがない、具がない、つゆが少ない。値段が高い。よってうどんとしては不完全だ。
 若き日の範馬刃牙ならそう言うであろう。
 だが、ボクシングには蹴り技がないと言った範馬刃牙も、数年後、「ボクシングには蹴り技がない。そう思っていた時期が俺にもありました」と述懐したように、伊勢うどんをうどんと認める日が来るのであろうか。
 繰り返して言うが、あなたが伊勢うどんが好きだと言う気持ちを否定するつもりはない。だが、伊勢うどんの何がどう美味しいのか、納得できる説明が、理屈付けが欲しいのである。
 逆に、美味しくない理屈なら幾らでも説明できるのだ。
 まず、うどんがヤワすぎる。
 やわらかいではない。もはや「ヤワ」なのである。軟弱者を意味する「ヤワ」だ。
 箸でつまんだら切れる。これをうどんとして成立しているとは言い難いのではないか。
 確かに、個人的な好みを承知で言わせてもらうなら、歯ごたえとコシのある、しっかりした麺が好みではある。それは間違いない。
 しかし、つるんとした雲呑のような柔らかさは大好きだし、すき焼きにブチ込んだうどんが長時間に渡って煮られ、おじやにした時に米や野菜屑と一緒に食べるうどんの切れ端は素晴らしいと思う。それに、関西にありがちは柔らかいうどんが悪いとも思わない。
 それでも限度がある。
 どう考えても煮過ぎだ。くたくたを通り越して、へなへなだ。
 ぺろん、とした柔らかささえ失われ、熔け崩れかかっている。
 調理側の人間として言わせてもらうなら、明らかな調理ミスだ。
 その「へなへな」がいいと言うなら否定はしない。しかし、そうまで言うなら、うどんの麺の形状を捨てて、最初からおじやにすれば良かろう?
 そもそも、歴史的に見て、伊勢うどんの成立は「伊勢参り」という参拝客があまりにも多く、「いちいち湯掻いていたら時間が幾らあっても足りない」という店側の都合から考案された料理である。(※諸説アリ)
 そう。料理店とはビジネスであり、原価率や工数、提供スピードや回転率など、様々な点を考慮して創作される。
 この点において伊勢うどんは日本を代表するファストフードの先駆けであった。
 茹で置いてある麺に、つゆを掛けたらハイ完成。これが伊勢うどんの基本コンセプトである。(※諸説アリ)
 しかも、観光客が来るから値段は安くない。いや、ファストフードの理念自体は貶されるべきものではないし、ファストフードだから不味い訳でもない。
 しかしそれでも「茹で続けても大丈夫!」なんていい加減なレシピが許されるだろうか。
 炊飯器の中で「保温してるから大丈夫」と底で「お焦げ」のようにカピカピになった米を食べたいのか? いや、それが好みなら否定はしない。しないが、だったらお焦げを食べろよ、と言いたいのである。
 「米でもお焦げでもなく、炊飯器の底のカピカピの米が最高に美味いんだ!」と言うなら否定はしない。だが、それが美食だと言うなら、何故そんな料理が世に存在していないのか。それが答えではあるまいか。
 つゆにしてもそうだ。味が濃すぎる。甘辛すぎるのだ。しかも、麺が柔いのでつゆに絡みすぎてしまう。とても良いバランスとは思えない。それを緩和してくれる具も不在である。
 正直なところ、美味しくないから何十回と食べて判断した訳ではない。しかし、1度や2度食べただけで表層を語っている訳でもないのだ。
 歴史的に、調理法的に、様々な角度から検証し、その結果、「それでも伊勢うどんは美味しくない」と言うのが本音なのである。
 「正直、美味しいものじゃない」と言う現地の意見も聞いた。
 「観光地だから」とも言われた。逆に、
 「伊勢にも美味しいうどん屋はあるよ、それを伊勢うどんと呼ぶのかは疑問だけど」と言うような地元の声も聞いた。
 これが伊勢うどんの正体なのだ。
 いや、無論のこと、地元民にも他府県民にも擁護派はいる。
 「ソウルフードなんで、美味しい不味いじゃなくて、ソウルフードです」
 「硬いコシのある麺が好きじゃないんでアリです」
 「アレはうどんじゃなくて、すいとんの仲間として食べてください」
 「アレは麺だけさっさと片付けて、つゆにご飯をブチ込んで食べるのが最高なんです」
 などなど。
 まあ、ソウルフードなのは仕方ない。大して美味しい訳じゃなくても嬉しい食べ物とかってあるのが人間だから。うん。
 ファストフードとしての側面を発揮して、夜食や作り置きや間食にも好まれるらしい。なるほど。
 だいたい、伊勢の人間は離乳食としても伊勢うどんを食べさせるし、老人食としても根強いと言う。
 根本的に柔い麺が好きってのもあるだろう。この辺は同じカレーでもドロリ派かサラリ派みたいなもんだ。相容れないのも仕方あるまい。
 すいとんとしてなら美味い、と言う説はなるほど納得である。プリンだと偽って茶碗蒸しを食べさせたらクソ不味く感じるが、茶碗蒸しと知って改めて食べると美味しくなる、と言う説もあるぐらいだから。
 ちなみに「コレはすいとん、コレはすいとん」と言い聞かせて伊勢うどんを食べてみたが、「すいとんの方が美味しい」と言うのが個人的な感想である。
 そして、うどんはとっとと食っちまって、つゆにご飯をぶち込んだら美味い!という説だが、それもう、うどん関係なくなってないか? てか、それだったらすき焼き→うどん→おじやの方が完成度は高くないか?
 こう見えても、ただ単に伊勢うどんのアンチをしたい訳ではないのだ。好みじゃないから不味いんだ!などと喚くつもりもない。
 どうすれば美味しく食べられるか。どんなシチュエーションで、どういう心算で食べれば美味いのか。変えるとすれば何をどう変えればいいのか。
 美食とはそういう事だと思うのである。
 だがしかし、ネットで調べると「伊勢うどん まずい」なんて記事は山ほど出てくる。これはマズイと感じたのか、近年の伊勢うどんはひっそりこっそりマイナーチェンジしつつあるのだ。
 伊勢うどんと言えばモソモソボロボロと千切れる麺だ。
 地元民も不評を知ってか、使用する小麦を変えたり、つるんとした舌触りにモチモチした歯ごたえを推奨し始めたのである。
 どうやら、伝統だと言って、そのまま昔のレシピを継ぐのではなく、目指すところは雲呑のツルリとした喉越しに、モチモチした水餃子の歯ごたえらしい。なるほど。
 確かにこの15年ほどで、かつての伊勢うどんはなりを潜め、新たなスタンダードが定着しつつあるのかも知れない。
 実際、伊勢近辺へと行くたび、念の為に「伊勢うどん」を1回ぐらいは食べるのだが、近年は「慣れた」のか、「期待値が低いだけ」なのか、偶然「美味しい店に当たっている」のか、「新・伊勢うどんを食べていた」のかわからないが、かつてほど不味くは感じなかった。
 いや、こうなると「たとえ不味くても伝統を守って欲しい」と言う気持ちが湧いてしまうから勝手なものである。
 ただ、近年登場したという新たな「伊勢うどん」は未食ではあるものの、非常に魅力的に見えてしまう。それが、


 「伊勢焼きうどん」である。


 そう。従来の甘辛い味付けを活かしつつ、茹でるのではなく、太麺を鉄板で炒めるらしい。
 まだ食べた事はないが、これはつゆの味と太麺を最大限に活用し、ポテンシャルを引き出している予感がする。
 「伊勢うどんが美味しい」なんて異世界が、現世界に現れる日が来ようとは。
 是非とも味わってみたいものである。

 ※ この記事はすべて無料で読めますが、噂の伊勢焼きうどんを食べに行けるよう、投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には伊勢に関する話が少し書かれているだけです。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。