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現世界グルメ「ガーリックシュリンプ」


 流行りの料理、と言うものがある。
 料理に限らず、何にでも流行り廃りは付いて回るものだが、美食に関する流行り廃りは概ね感心しない。
 この点は料理の中でもデザートにおいて顕著である。おそらくは1990年頃のティラミス辺りが最初ではないだろうか。
 ティラミス、シフォンケーキ、生チョコ、生キャラメル、ナタデココ、なめらかプリン、カヌレ、ベルギーワッフル、ニューヨークチーズケーキ、マカロン、クリスピードーナッツ、ラスク、バウムクーヘン、天然かき氷、たい焼き、パンケーキ、フレーバーポップコーン、果汁かき氷、綿あめ、タピオカ、マリトッツォ、フルーツサンドなどなど、、、。
 ちゃんと流行りに乗れたものや、「ああ、あったな」程度のもの、あるいは「あったっけ?」と言うものまで様々で、なるべく時系列的に並べたが、タピオカのように再度、再々度ヒットしたものや、カヌレのように何度も燃焼失敗している例もあるので、その限りではない。
 まあ、実際にその「仕掛け人」の存在を知っている訳ではないし、多くの場合は仕掛けても成功しないと言うのが事実なのだろう。
 それでも「仕掛け人」の存在を示唆するものがある。
 工数である。
 ティラミスを除くと、要するに製造工程が少ないデザートがヒットしているのだ。あるいは、工場から運ぶだけで済む。
 つまり、簡単に作れるものしか流行らないのである。
 材料が少ない。作業工程が少ない。大量生産が可能であるなどの条件を考えると、ブームの発起人が「わかった上で仕掛けている」ことがうかがえるだろう。
 そしてもうひとつ。
 技術が要らない。
 そう。弁当屋のおかずにやたらと揚げ物が多いのは、フライヤーで時間通りに揚げればいいだけだからだ。
 それと同じように、切ればいいだけ、注げばいいだけ、焼けばいいだけ、のように単純でスピーディな工程なのである。
 つまり、アルバイトの大学生が、1日の研修を終えれば早速「使える」「作れる」事が重要。
 デザート・ブームの先駆けと言えば1970~80年代のクレープが挙げられるが、これを手早く失敗なしに焼き上げられるには、少なからず練習を必要とする訳だ。
 誰でも作れて、技術が要らない。そういったデザートばかりが流行る点から、発起人はわかった上で仕掛けている事になる。
 無論、悪い事ばかりではない。飲食業界の勤務体系は割と真っ黒なので、そこに流行り廃りなんてブチ込まれたら堪ったものではない。
 だからこそ、誰にでも即作れて技術が要らないのは大きなメリットだと言える。
 しかし、これが美食の観点から見て好ましいとは言えない。
 断っておくが、結論として美味ければ何ひとつとして否定することはない。これは前提だ。
 だが、イラストなんかで考えてみてもらえばわかりやすいだろう。
 ササっと数分で描いたイラストが、それでも魅力的なのは、イラストレーターの技術やセンスが極めて高いからである。
 下手くそがササっと描いても、それはただの雑なイラストに過ぎない。
 しかし下手であろうとも、丁寧に、時間を掛けて妥協せずに仕上げれば、それなりに魅力的はイラストは描ける。イラストが無理だとすれば、文字で考えればいい。字が下手でも、丁寧に書けばそれなりに綺麗な字は書けるのだ。
 料理も同じである。
 食材に金をかける。丁寧に作る。手間暇を惜しまない。何度も繰り返して作る。技術を磨く。それこそが美食の基礎なのだ。
 工場任せ。アルバイトにやらせればいい。コストを抑えて利益を上げる。そもそものコンセプトが違い過ぎる「流行り」の料理が美味しいなんて事は稀な例に過ぎない。
 ここでようやくデザートから本題に移るが、料理にも流行り廃りがあり、似たような現象がある。ここ近年で言うと「ガーリックシュリンプ」がそれに当たるのではないだろうか。
 先に誤解を防ぐために言っておきたいが、「ガーリックシュリンプ」は美味しい。別にそこを否定するつもりはないのだ。
 だが、世界に数ある海老料理の中の雄に成り得るかと言われると、些か疑問が残る。
 ガーリックシュリンプ。アメリカ、中でもハワイのオアフ料理だと言う。昔からある日本のハワイアンレストランで主だったメニューに入っていた記憶はない。
 おそらく、伝統的な料理ではないか、あるいは近年になって注目された料理だと言える。
 調べた限りでは海老の養殖場が出来てから、という事なので、1970年頃から広まっていった模様。ただし、周囲が海のハワイである。原型となる海老のニンニク炒めがそれ以前からあった可能性は高い。
 そして、海老のニンニク油炒めである。
 不味い筈があろうか。美味いに決まっている。
 しかし、これが数ある海老料理の頂点に燦然と輝くのかと言われると、首を傾げてしまう。
 中華料理で言えば「蒜香虾」(海老のニンニク炒め)がある。
 似たところでは「滑蛋蝦仁」(海老と卵のニンニク炒め)などもある。
 もっとポピュラーな所では、ほぼ和式中華になるが「海老チリ」が存在するのだ。
 なお、海老チリの元は乾焼蝦仁という料理で、トマトではなく豆板醤が使用されているので、別の料理だと思った方がいい。
 確かに目新しさはないが、中華の海老料理は素晴らしいものばかりである。
 いや、海老と油と言うならば、これも少し前に流行ったスペイン料理を忘れてはいけない。
 海老のアヒージョ。
 要するに海老のニンニクオリーブオイル煮である。
 どうだろう。これらのどれが美味いかは個人の判断に任せるが、ガーリックシュリンプが持て囃される理由はあるだろうか。
 そもそも、ガーリックシュリンプはハワイのフードトラックで流行り始めたと言う点から見て、ファストフードである。ファストフードが悪い訳ではないが、その粗雑さは目立つ。
 ガーリックシュリンプにも色々あるが、「尻尾付き」のまま供されるケースは多い。いや、下手をすると「殻付き」のままだってある。
 なに? 殻出汁だから美味い? ソース・アメリケーヌを知らないのか? いやいや、違う。
 出汁を取るのはいい。出汁ガラは取り除けと言っているのだ。
 そりゃ殻や尻尾がしっかりとパリパリになるまで焼かれていて、美味しく食べられるならそれもいい。しかし、揚げでも焼きでもない「炒め」ではパリパリの殻を実現する事は難しい。
 どのタイプのガーリックシュリンプが正当なレシピなのかは知らないが、海老料理は殻ごと美味しく食べられるか、殻を外して供するべきではないか。
 海老チリでいちいち殻を外して食えと言われるとげんなりする。せめて、尻尾を掴んで身を食べられるようにすべきではないか。
 そもそも、ガーリックシュリンプに適する海老のサイズとは?
 殻が気にならない程度の小さいサイズなら、殻付きでも何の問題もない。しかし、見栄えがあるのだろう。小エビが選ばれる事は少ない。
 食べる側が殻を外すことを厭わない大きさでも良いだろう。それなら甲殻類ならではの、殻を外して食べる楽しみがある。
 しかし、そう言った大海老が選ばれる事もない。理由は明白だ。価格もコストも跳ね上がるからである。
 そう言った打算の見え透いたガーリックシュリンプを、海老料理の星と呼んでいいのか。否。いい訳がない。
 例えば、前述したアヒージョだが、アヒージョには本体以外の楽しみがある。
 海老やマッシュルームを食べた後のニンニクオイルを、パンにつけて食う楽しみだ。おでんで言うなら、おでん種だけでなく、出汁も楽しめる。アヒージョのオイルを浸して食うパンをアテに酒を楽しむ。そう言う魅力がある。
 だが、ガーリックシュリンプはどうだ? コストと見栄えのために半端なサイズとなり、尻尾や殻ごと食えば口の中を切り、殻を外せば手が油まみれになる。
 しかも、殻を外すとなったら、枝豆のように片手で食える訳でもない。両手がベタベタになり、他の料理や酒が進みにくくなる。
 あまつさえ、海老を触った後の手が悲しいぐらいに海老のニオイに侵食される。さらに驚くことにどれだけ海老が新鮮でも、指に残る海老臭は傷んだ海老のニオイなのである。
 かと言って、無理して殻ごと食えば口の中を怪我して酒が沁みるし。
 結局、料理として雑なのだ。その雑さも楽しさのひとつだと言えばそれまでだが、それは美食という求道の範疇からは外れてしまう。
 ガーリックシュリンプは海老料理の星足り得ない。
 と言うような事を力説した所、知人から「だいたい同意するけど、

 本場のハワイで食べた
 ガーリックシュリンプは
 めちゃくちゃ美味かった。

 かなり大ぶりの海老で、パリッと焼けてて、身はプリッとしてて」

 本場ハワイとか異世界の話をされてしまい、それを喰わせなさいよまったく。
 なお、手がベッタベタになる問題も、すぐ横に手洗い場が併設されてて解決。しかも、その手洗い場の洗剤が油スッキリ、指先に海老のニオイも残らない優れものだったらしい。
 完全に異世界の話だな。

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。