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現世界グルメ『卵かけご飯』


 お茶漬けナショナリズム、という言葉がある。かの三島由紀夫の造語ではあるが、近年のネットを見ていると、三島の弁は非常に正しかったと言わざるを得ない。
 お茶漬けナショナリズムとは、ちょっと海外に行っただけで、「日本はダメだ」と日本をこき下ろしたり、「日本に比べると海外はダメだ」と海外をこき下ろしたりする薄っぺらいく浅慮な意識の事である。
 くだらない比較はやめるべき、と言うのが三島の論。筆者も概ねそれに同意するものである。
 ビフテキとお茶漬けの味を比較する事に何の意味があるのだろう。
 どちらも素晴らしい。それでいいではないか。だが、比較そのものを否定するものではない。これにはこれの良さがあり、それにはそれの欠点もある。
 くだらないナショナリズムを持ち出し、優劣を競うのは愚かしいと言うだけのことだ。そもそも、こう言ったことで優劣を決めたがるのは、大体のところ、その道の人間ではない。
 ちょっと海外に旅行しただけで、まるでその国の全てを知ったような口振りで自分が優位に立っていると言いふらす様な連中なのだ。そもそも自国の文化にさえ、真剣に向かい合った事もない。
 例えば、料理の道を邁進するものが、海外に行く機会に出会えれば、その国の料理、調理法、食文化、色々なものを吸収しようとする。
 この酒とこの料理の相性は? この料理の付け合わせに相応しいのは何だ? この気候に合う料理や食材は? 何故この料理が愛され、発展してきたのか。
 海外の文化を知ろうとする事で、自国の文化の深さも知る。そういう比較であるべきなのだ。
 少し齧ったぐらいで天狗になる愚行を犯さないように気を付けたい。
 しかし、近年はインターネットの普及により、海外に行かなくても海外の情報が手に入るようになり、海外に足を運んでもいない人間が、「海外では〜」「日本では〜」と訳知り顔で話す。
 昨今ではこう言った輩を、「〇〇では〜」と得意満面で語る事から、「出羽守(でわのかみ)」と呼ぶそうだが、更に矮小なお茶漬けナショナリストと言うことだろう。
 さて。この国の代表料理とも言える「お茶漬け」だが、個人的にはもうひとつ、お茶漬けに並ぶ代表料理があると思っている。そう。

 「卵かけご飯」だ。

 お茶漬けと同じく、庶民の料理であり、手軽で美味しいメニューのひとつ。
 尚且つ、世界でも珍しい「鶏卵を生食する」という日本の食文化を象徴する料理のひとつ。
 だが、これもお茶漬けと並び、卵かけご飯の立ち位置が、微妙に悪い気がしてならない。何なら、お茶漬けに劣っているという風潮さえある。
 いや、近年は色んな飲食店で「こだわりの卵かけご飯」というようなメニューに出会うことも増えたが、ここでハッキリ言っておきたい。
 飲食店で供される「卵かけご飯」が、予想以上に美味かった事が、まず「ない」のである。
 別に不味い訳ではない。当たり前だ。卵かけご飯を不味く作るなんてのは、お茶漬けを不味く作るより難しい。
 そして、無論のことそれなりに美味しいのだ。だが、それなりの域を出ない。
 理由は簡単である。
 単に、品質の良い卵を使用しているだけだからだ。
 美味しい卵を使えば、美味しい卵かけご飯が作れる。
 当たり前だ。だが、そんなものは、高級スーパーマーケットに行って、パックではなく1個売りしてるような高価な卵を買えば、誰にでも作れるのである。
 大半はその程度の物しか出て来ない。それはむしろ、こだわりではなく怠慢ではなかろうか。
 こう言うと、必ず、卵かけご飯専門のタレを使用している!なんて反論が来るのだが、これまた実に嘆かわしい。
 「こだわりの卵かけご飯」なんてメニューのある店は、大半が出来合の「専用タレ」を使用している。出来合のものを使用して、何がこだわりなのか。
 それも、醤油ベースに旨味成分を足しただけの「専用タレ」で満足とは片腹も膨れん。
 念のために言っておくが、出来合いを馬鹿にしている訳でも、軽視している訳でもない。タレさえ買ってしまえば自宅でも再現できる卵かけご飯を「こだわり」と称している事に納得が行っていないだけだ。
 その店でしか味わえないアレンジや秘訣あってこその「こだわり」ではないのか。
 無論、中には、何かひとつ手を加えている店がない訳ではない。
 オクラ入りだったり、紫蘇が入っていたり、漬物が付いていたりする。どれも素晴らしい組み合わせだと思う。
 しかし、原価の問題か、あるいは「卵かけご飯」がシンプルであるべきと言うイメージがあるのか、シンプルがこだわりだと勘違いしているのか、アレンジが施されている卵かけご飯は少ない。
 個人的には、オクラはかなり素晴らしい具だと思う。するすると入る卵かけご飯に、噛む楽しみを加えてくれる。特に、オクラとその種で歯ごたえが違うところが素晴らしい。
 漬物もいい。たっぷりの卵を使った卵かけご飯には、白菜の漬物などがよく合う。輪切りの唐辛子がまたアクセントになる。
 刻んだ沢庵もいい。沢庵は細切りにして箸に絡みやすくせねばならない。そうする事で、卵かけご飯との親和性を高める。
 「すぐき」もいい。酸味を取るか辛味を取るかで分かれるが、高菜なんかも卵かけご飯の美味しさを広げてくれる。
 個人的に薦めたいのは「柴漬け」である。そのままではなく、1/2ないしは1/4にカットする。こちらは沢庵と違い、細切りにせず、小さければ半月か、大きければ銀杏切りにするとちょうどいい。
 流し込んでしまう卵かけご飯を、噛む事により、歯応えも楽しめ、その時間を引き延ばしてくれる。
 それから、板海苔もいい。シンプルな卵かけご飯に、パリパリの板海苔。
 醤油を濃くしなければ、味海苔で食うのもいいだろう。むしろ、下手な「専用タレ」に頼るより、味海苔の方がシンプルに旨味を出してくれる。
 だが、やはり選ぶなら焼海苔だろう。特に、漬物などの具を入れたり、醤油やタレを強めにするなら、味海苔だと味が喧嘩してしまう。
 だからこそ、シンプルに旨い醤油と焼海苔の組み合わせがいい。逆に言えば、海苔を使うなら、専用タレは過剰なのである。
 それに、海苔は卵かけご飯という無形に近い料理を、箸で包んで食わせるという素晴らしい役割がある。
 他だと、ずっと噛む楽しみを与えてくれる「ちりめんじゃこ」を混ぜるのもいい。
 贅沢を言うなら、かるく炙って香ばしくした畳鰯を砕いて入れるとか、あるいは、板海苔大の大きさにした畳鰯で卵かけご飯を巻いて食うなんて贅沢も出来る。
 もっとシンプルなところでは鰹節も美味い。
 だが、違う。本当に言いたいのは、そんな卵かけご飯の装飾部分ではない。
 こだわって欲しいのは、上っ面のそんな部分ではないのだ。
 卵かけご飯とは何だ?
 卵かけご飯、つまり「卵」「かけ」「ご飯」 卵は卵。「かけ」がタレや醤油や調味料などと仮定しよう。
 では残るは何だ?
 そう。日本人の心と言っても過言ではない「米」だ。
 「卵かけご飯」だと言うのに、ご飯にこだわっている店の少ない事がどれほど嘆かわしい事か。卵や醤油にこだわって、米で手を抜くなんてのはまさに画竜点睛を欠く愚行。
 まず第一に、炊きたての熱々のご飯なんてのは論外。
 ご飯の熱で白身が凝固する。舌触りが悪く、下手をすると米さえも固める。
 白米単体なら、炊飯器を開けた瞬間にシュワー、フツフツフツと音を立てる炊きたての米は美味い。
 しかし、卵かけご飯に合わそうと思うなら、炊きたては問題外。そして、柔らかい米も駄目だ。
 これは、お茶漬けなどにも言える事だが、茶や卵は米をふやかす作用がある。だからこそ、お茶漬けは残った飯で作る価値があるのだが、卵かけご飯に冷や飯だと米が解けて混ざり合わない。
 だからこそ卵かけご飯の米は、しっかり熱くとも、炊きたては避けないければならないのだ。
 炊飯器を開けた時、立ち上る湯気が出ないぐらいまで保温した米がいい。
 そう。卵かけご飯は、卵で半ば強制的に米の温度が下がる。したがって、熱い米でなければならない。しかしそれでいて熱々ではいけないのだ。
 だからこそ、保温の温度が下限なのである。熱々ならお櫃に取ってちょうどいいぐらい。
 そして、米は細長く柔らかく粘りのある「コシヒカリ」では駄目なのだ。
 粘り気は卵の白身が補ってくれる。むしろ、卵の水分でふやかされても大丈夫な「ササニシキ」などが卵かけご飯の米に相応しいのではないだろうか。
 卵の黄身と白身は、ご飯にかける前に混ぜる。混ぜ過ぎてはいけない。それでいて、白身の明瞭な壁がなくなる程度には混ぜなければならない。
 醤油をかけるのはご飯に溶き卵をかけてからだ。そうしないと醤油の香りが立たない。
 溶き卵とご飯は、醬油をかけた後に、荒く混ぜてからいただく。混ぜ過ぎると卵雑炊のようになってしまうからだ。白米の部分をランダムに残してこそ「卵かけご飯」なのではないだろうか。
 言わば「たかが」卵かけご飯だ。だからこそ、そこまでやってこその「こだわり」なのではあるまいか。
 ちなみに、こだわりだからこそ「卵かけご飯」に「黄身だけを使う」という食べ方もあるが、筆者は原則としてこれを認めない。
 その食べ方を否定するつもりはないが、まず、白身を無駄にする事を許せないからだ。これはまあ、白身さえ有効に活用するなら問題ない。無論、カラザを取り除くのは構わないが。
 そして、次に問題となるのは、黄身だけに絞ると白米を潤沢に滑らかに潤すには足りないからである。これもまた、黄身を3つ使えば解決するが、3個分の白身を余らせても料理に使うのは難しいぞ、と言いたい。
 第三かつ最大の理由は、黄身のみを使用するのであれば、生卵ではなく、「黄身の味噌漬け」や「黄身の醤油漬け」で白米を食う方が美味いからである。
 したがって、卵かけご飯は黄身も白身も使用する事を原則とさせてもらう。
 そして、最後にこれだけ言っておきたいのだが、蕎麦屋に代表される一部の飲食店では、白身を泡立て、メレンゲ状にする「卵かけご飯」が存在する。
 正直なところ、この卵かけご飯は美味い。なるほど、こだわりの一手間である事も認める。
 しかし、なんだ。美味い事は認めた上で、何故か何だか、あれを、

 卵かけご飯に分類する事に躊躇いを感じてしまうのである。

 何だろう。出汁漬けをお茶漬けって言われると違和感を覚えるような、そんな気持ち。
 そして、正直なところ、色々と述べはしたものの、卵かけご飯について一番言いたい事はこれなのである。

 TKGとか呼ぶな。

 卵かけご飯ぐらいちゃんと言え。

 ※ この記事はすべて無料で読めますが、TKG呼びが許せない人も、TKGって言っちゃう人も、投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には色んな人から嫌われそうな一言しか書かれてません。

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。