見出し画像

バッシング!


 皆さん、こんにちは。よくバッシングを受ける木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 さて。早速ではありますが、本日のお話はバッシング。そう。


 バッシングです。


 まあ、ワタクシの書く記事でバッシングと言うと、


 (ノД`) お前、また何か
 やらかして怒られたの…?


 って思う人も多数いる事と思いますが、やらかしてません。
 ええ。それでも僕はやってないんです。それに、バッシングと言ってもBashing(叩くこと、非難すること)の方とは限りません。

 はい。バッシングにはもう1つの意味があったりします。そう。


 飲食店における専門用語、
 『テーブルの片付け』です。


 なぜバッシングと言うのかはイマイチわかりませんが、Bashingではなく、Bussingと綴りが違います。何がわからないかと言うと、語源はバス(Bus. 人を乗せて走る、あのバス)らしく、「バスする」が片付けになる理由が不明なんですよね。

 片付けする人を「Busser」と呼んだりするし、映画の台詞の中にもBussingは出て来ているので、和製英語ではない模様。Busには「母線」の意味もあったりしますが、それでもスッキリと意味が通る訳ではない。
 しかし、よくよく考えてみると車や飛行機より、何なら馬車バスよりも前から「食器の片付け」は存在していたはずです。
 つまり、関係性が逆。レンズに似ているからレンズ豆ではなく、レンズ豆に似ているからレンズなのです。フルーツのキーウィに似てる鳥だからキーウィなのではありません。キーウィ・フルーツは品種改良によって1906年に誕生したのです。つまり、これらと同様に車のバスの方が食器の片付けの意味を持っているのかも知れません。

 ちなみに乗合バスの起源は17世紀フランスとされるが、レストランの起源は非常に曖昧(古代ローマまで遡る)なので、フランスのレストランに限定すれば18世紀と時代的には噛み合わない。

 では、バスそのものの語源はどうだろう。バスの語源はオムニバス映画などで使用されるOmnibusの略語が起源らしい。意味は「全ての人のために」だそうな。
 パッとしないが、片付けが地味に「全ての人のために」なっている気はしなくもない。

 他に調べた限りでは「バスのように食事や片付けの台車カートを押して回るから」という説もあるが、


 おおお! (´°Д°)」 それだ!


 って気分にはなれなかった。仕方ない。しぶしぶ納得した事にしよう。

 そう言えば先日外食した際、料理の写真をツイッターにでも上げようかと思っていたのだが、食い気が勝ってしまって写真を撮るのを忘れてしまい、食い終わった食器のみを写す事になってしまったのである。

 この時、飲食関係で働いた経験のあるYさんも一緒だったのだが、ここで小さな議論が起きた。


 食い終わった食器を、
 重ねておくか、
 そのままにしておくか。


 という問題である。
 Yさんは、重ねて積み上げる派。ワタクシは、そのままにしておく派である。

 ここで誤解なきよう先に申し上げておくと、ワタクシは30年ほど飲食関係で働いているため、「飲食で働いている底辺どもは客のために奴隷労働して当然だろ?」なんて事は全く思わない。むしろ逆である。「態度の悪い客はつまみ出した方が、善良な客のため、ひいては店のためになる」と思ってるぐらいだ。
 つまり、飲食店の従業員が確実に喜んでくれるなら、ワタクシは進んで食器を積み上げるだろう。


 それをしないのには理由がある。


 食器の積み方によっては、迷惑する役職が存在するからだ。
 そう。

 洗い場である。


 皿洗いをする人間にとって、油物の皿の上に別の皿を重ねられると、上の皿の底に油が付着し、洗い物の手間が倍増するのだ。
 ベシャメルソースとかチーズソース、半熟卵とかはもう地獄である。

 つまり、バッシング(テーブルの片付け)する人間にとっては重ねてもらった方がプラスだが、皿洗いの立場からすると、皿は積まない方が助かるのである。

 いや、待って? どうせ片付けの際に皿は積んで運ぶ訳でしょう? だったら積んだ方が良くない?

 という意見もあろうが、


 (´°皿°)」 全然違う。


 食器を重ねてくださる、お客様側の善意は素直に受け取り、感謝致しますが、善意が必ずしも人を助けている訳ではない事を、私たちはタコみたいな異星人から学んだはずっピ。

 生兵法は怪我の元、下手な考え休むに似たり、素人考えなどと言いますが、バッシング係の中にも「お客様は皿を重ねないで欲しい」と願う人間は多いのである。
 簡単な話、


 素人の皿の積み方は、
 ヘタクソなのである。


 重ねたらソースが皿の底につくような皿は一番上に置く。
 不安定でカタカタ言うような皿の積み方をしない。シルバー(カトラリー。フォークナイフのこと)も5組ぐらいは安定させて積む。この量なら最短でもn回は行き来する必要がある。
 そーゆー技術や経験があり、考えながら仕事をしているのだ。

 また、店によって方向性は変わる。今時、台車を押して食器を片付ける店は少ない。ファミレスぐらいだ。(ファミレスは子供との衝突を考慮している)
 他は概ねチュウバシ(中間バッシング。食事中テーブルの「お済みのお皿」を下げること)を推奨している。
 つまり、ただ積み上げれば良い訳ではない。

 汚れ物の質は? 一度に運べる限界量は? 食器の安定度合は? 客の入りは? お待ちのお客様は? レストランのホールは大体そうやって動いているのである。
 ここで下手に客の側が不安定な皿の積み方をしたら、逆にもう一度組み直しになったり、余計に洗い物が増えたりするのだ。
 一方、馬鹿みたいに席数のあるドライブインのレストランみたいな店では、大型の食洗機があったりするから、とにかくスピード命。積み上げてある方が助かる。まぁ、そーゆー店は大体セルフだけど。
 逆に高級レストランなどでは皿を重ねるのはマナー違反。ってか、ギャルソンに対して「仕事してねーぞオラ!とっとと皿を下げろよ!」って意味になるので気を付けたい。

 要するに、店によって正解は違うのだ。


 だから、ワタクシは其々であろうその店の事情を考えて、基本的に皿は重ねない。
 Yさんは自分が働いていた経験から推測して、皿を積む。
どちらが正しいか。これがちょっとした議論になった訳である。

 繰り返して言うが、善意から食器を重ねてくださる事には深く感謝の意を表したい。これは偽らざる気持ちだ。だが、善意に由来するなら何でも許される訳ではないっピ。

 また、せっかくの善意なら、みんながハッピーになれるようにした方がいいっピ。

 これを読んだ結果として、善意から皿を重ねるようになるもよし、余計な事をしないようにするもよし、重ねていた人がより都合を考えた積み方をするもよし、です。

 ごちゃごちゃ言われて面倒だから、もう重ねない!でもいいんですけどね。


 てな訳で本日のオチ。

 ワタクシの話じゃないんですが、とある食堂にて、皿を片付けようとしたら、


 皿が完璧なまでの積ま方をしていた


 という事例が。


 何が完璧って、安定性という意味で積み方が完璧なだけではなく、手を付けてない皿は積まれてないし、汚れが移る皿は上になってるし、ソースなんかには、器へのこびりつき防止用としてコップの水が垂らされており、洗い物にまで配慮してあった事である。


 ここまで完璧だと、感謝より先に、



 (´°Д°)」 絶対に同業者。



 って感想しか出てこない。



 ※ この記事はすべて無料で読めますが、投げ銭(¥100)は善意でも善意じゃなくても受け付けています。
 なお、この先にはこの本編を伏線とした叙述トリックが展開しています。


ここから先は

353字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。