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現世界グルメ『オムライス』


 オムライス。良い響きだ。
 とかく日本人は、よほど米が好きなのだろう。カレーライス。ハヤシライス。タコライス。チキンライス。バターライス。ガーリックライス。そして、オムライス。
 ライスとつく料理に心を動かされる。少なくとも、私は動かされる。
 近頃はパンに押され気味だが、日本人の心は、やはり米。日本の主食である。
 日本の料理の多くは、米を食うために存在すると言っても過言ではない。米を食う。パンで食う洋食との大きな違いだ。
 米ありきで存在する料理と、料理ありきで存在するパンの差だ。
 オムライスは洋食でこそあるものの、オムライスは日本発祥の料理である。
 料理技術の基礎であり、ある意味で究極とも言えるオムレツを日本人が日本人のためにアレンジした。
 確かにオムレツを「上手く」作るのは料理人の腕の見せ所だ。スピードと安定性。シンプルだけに腕を問われる。
 そして、オムレツを「美味く」作ることは至難の技だ。何故なら、大概の場合は卵と油と塩で構成される。せいぜいバターを使うとか、牛乳やクリームを加えるとか、素材にこだわるとかその程度で、手の加えようがない。
 いくらフワフワであろうと、どれほどトロトロであろうと、単に火を通した溶き卵でしかないのだ。いや、オムレツを馬鹿にするつもりはない。むしろ、上手に作る事は技術の証だ。
 だが、それが壁なのだ。オムレツひとつで人間を、まして美食家の、舌や胃袋を感動させる事は難しい。
 そりゃ、トリュフのオムレツでも作れば簡単に豪勢で感動的な味は作れる。しかしそれはトリュフ料理だ。オムレツの美味さとは言い難い。無論、他の豪勢な食材を使っても同じこと。オムレツの範疇を出ず、感動的な味を生み出す事は困難極まりない。
 だからこそ、オムライスなのだ。オムレツのカテゴリでありながら、オムレツを主食の地位にまで引き摺りあげる。それがオムライスだ。
 とろりとした、火は通りつつも固まらない抜群の卵が米と絡み合う。それこそがオムレツである。
 いや、薄焼き卵で巻いたオムライスも捨てがたい。特に、出来たてを食べられないならば、薄焼き卵でくるむオムライスは絶品だ。
 だが、巷で流行している、半熟オムレツをライスの上で切るオムライス。あれは認められない。あれはオムライスの退化だ。
 前述のように、半熟の卵が米と絡み合うからこそのオムライスである。そして、焼き目を付けた香ばしい卵の香りがオムライスなのである。
 半熟卵、香ばしい卵、米という層では米と卵が絡まない。違う。これではライスオンオムレツに過ぎぬ。逆だ。
 香ばしい卵、半熟卵、米の層が織りなすからこそ、オムライスはオムライスとして昇華する。こここそが米を食わせるオムライスの基礎なのだ。牛皿定食と牛丼の差。これは別料理なのだ。オムレツを切るオムライスは牛皿定食であり、オムライスではない。
 無論、見た目が美しいという点はある。パフォーマンスを見せる事も美食の一環ではあるだろう。しかし、その為に味を損なうようでは話にならない。
 それが私の美食家として譲れない部分だ。
 それに、あのタイプはソースが広がらない。ソースが半熟卵と絡み合って、味に大きな偏りを生じさせる。あれではダメだ。
 やはり、ちゃんと焼き目を付けた卵が表面側に来ることによって、ソースを自在に広げられる。これは大きな利点だ。
 ソースは、濃厚なデミグラスがいいか、それともトマトソース、和風におろしソースなんかもいい。シンプルにケチャップも王道だ。
 だが、オムライスは完璧なまでの主食だ。前菜にサラダやスープがあってもいいし、ツマミになるおかずや副菜があっても構わない。だが、オムライスはカレーライスや丼と同じく、それで完成している主食なのだ。
 だから、オムライスは基本的に、オムライス1皿で完結していなければならない。
 そう。だからこそ、量はたっぷり大盛りのオムライスでなくてはならない。そして、それを食べ飽きないようにさせるソースでなくてはならない。
 したがって、デミグラスなら濃厚で苦味のあるタイプよりも、より酸味のある方が適している。ケチャップでは食べ飽きてしまう。
 私が選ぶのは、トマトソース。
 それも、イタリア料理にあるようなトマトソースでは駄目だ。オムライス専用に作る特別製のトマトソース。
 基本はフレッシュトマトでも、ホールトマト缶でも、ケチャップでもない。
 無塩のトマトジュース缶を使用する。これを徹底的に煮詰め、水分を飛ばすことによって、非常にさらりとしたトマトケチャップ状のソースが出来上がる。これだけではソースとして弱いので、幾らかの出汁や油や調味料で、味を整え、卵に絡むよう、とろみもつける。
 ソースは濃くても、薄くても、たっぷりのオムライスを食べ続けるに向かない。
 トマトジュースから作ったしっかり酸味のあるケチャップ風のトマトソースを作る。これだけでは足りない。アクセントとして、サイコロ状に切ったフレッシュトマトをオリーブ・オイルで軽く炒め、塩コショウを当てる。
 出来上がったトマトソースにこれを合わせると、フレッシュトマトとトマトケチャップの両方の良さを取り込んだソースの完成だ。
 サイコロ状のフレッシュトマトが、最後までオムライスを飽きさせない。この手のアクセントは、本来ならライスの方に混ぜ込むべきだろう。
 しかし、トマトは別だ。ライスにトマトの水分が染みさせない為である。肝心のライスがベタついてしまうと台無しだ。
 ライスにも色々な選択肢はある。ガーリックライスやバターライスもいい。しかしやはり、オムライスと言えば、チキンライスであろう。
 ソースにケチャップを使わなかったのは、チキンライスを選ぶ為だ。
 チキンライスは炊き込むレシピもあるが、炒める方がいい。米がケチャップや出汁を吸いすぎないように、米の形を綺麗に残す為だ。
 チキンライスの具材には、玉ねぎ、人参やグリーンピースなどもメジャーではあるが、私は人参とグリーンピースを選ばない。子供が嫌うからではなく、また、私が苦手な訳でもない。チキンライスには、人参の歯触り、グリーンピースの舌触りがマッチしないと考えるからだ。
 シンプルに玉ねぎを入れる。米4粒ほどの大きさに微塵切りした玉ねぎを、たっぷりのバターでさっと炒める。そして、アクセントとして同じ大きさに刻んだ胡桃を、人参やグリーンピースの代わりに入れるのだ。そうしたら、微塵切りの玉ねぎ3倍程の大きさに切った鶏モモ肉を入れ、丁寧に広げるのだ。
 しっかり広がれば火の通りは気にしなくていい。そこに、炊き立てで粒の立った米を放り込む。
 たっぷりのバターが米粒一つ一つをコーティングするように和えつつ、炒める。炒り付ける香ばしさが立ったら、容赦なくケチャップをぶち込む。
 米とケチャップが馴染んだら、これをオムレツで包むのだ。
 オムレツは前述のように、外側にしっかり焼き目をつけて卵の香ばしさを引き出す。内側はとろりと半熟。少し浅めの半熟だ。
 余熱とチキンライスの熱で半熟が完成するように調節する。
 そうしてチキンライスが黄金の卵で身を包む。それを皿に盛り付け、ソースで彩る。
 仕上げは、刻んだ生パセリ。中央に散らして、緑を添える。
 オムライスの完成だ。
 オムレツには有り得ない工程数が織りなす、旨味。そして、この工程数だからこそ、生まれる変化とバリエーション。
 美食とは見るのみにあらず、作るのみにあらず、食べるのみにあらず、知るのみにあらず。
 日常から離れて、食に身を捧ぐ。それが、美食家なのだ。
 高い安いではない。費用も時間も手間も惜しまぬ事が美食なのである。
 美味い、という事にチート(いんちき)は存在しない。存在してはならぬのだ。
 それでは、本日のメインディッシュ、オムライスをいただくとしよう。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。