ええ、列車で行こう。
皆さん、こんにちは。A列車で行こうと言えば、音楽?それともゲーム?木賃ふくよし(芸名)です。
はい。そんな訳でワタクシ、時事ネタは嫌いなんですけれども、本日は元旦に起きた石川県の大震災の話を少し。
まぁ、こう言った痛ましい事件が起きると、世の中はああだこうだ、と好き勝手な意見を飛ばしがちです。言ってしまえば、この記事もそれと変わりゃしません。
一応ワタクシも阪神大震災は経験してるので、正直、
(´・Д・)」部外者は、
口出しせずに金を出せ。
としか思ってません。しかし、被災者は施しを受ける分際で選り好みするな、という人はそもそもボランティアに向いてません。
そーゆー人はボランティアも募金もしなくていいので、口出しもしない方がいい。
冷たい言い方ですが、大規模災害の初期においては、個人の援助なんて焼け石に水どころか、大規模救済の邪魔になりかねませんので、
(´・Д・)」募金だけして
ごちゃごちゃ言うな。
ってのが本音です。
最も迅速に必要となるものは「救助」に他なりません。この救助を行える素人なんていませんから、とにかく「救助の邪魔をしないこと」が第一。
第二に援助が必要となります。必要な物資を必要な数だけ必要な人に届ける。そして、必要な物資は刻一刻と変化する訳ですから、モノよりも金の方が汎用性が高い訳です。
特に、問題になるのは「数」の部分。
食糧が不足している所に食料を送った所で、数が足りていないと問題にしかならないんです。
500人が避難している体育館に、100食だけ届いても、
(´・Д・)」配れねェんだよ。
個人が用意するなら、100食ってのは大量だが、500人に配るとなると100食は「争いの種」にしかならない。別の人から届いた200食を足してもまだ足りない。どうにか追加で500食を揃えても、食料品の違いで問題が起きかねない。しかも食料には消費期限もある。
だったら、何処に何食が必要なのか把握した上で、「同じ食料500食分を買って配布」する方が確実。
だから、物資ではなく募金なのである。金は腐らないし、食料品にも薬にも寝袋にもなる。
そして、第三に必要なのが復興だ。
1に助けて、2で支え、3で元通りの生活。1は邪魔せず、2と3に必要なのは金。募金である。
これだけの単純な事が理解できない人が多くて正直なところ、驚きを隠せない。
そして、もう一つ。どうにも引っ掛かる意見を見てしまった。
(´・Д・)」石川県なんか
復興させる意味がない。
だから、復興に金をかけるだけ無駄。被災者は国が援助して、都会に引っ越しさせてしまえば、復興に費やす金が無駄にならない。という意見だ。
(´・Д・)」ハッキリ言おう。
その意見は、別に間違っちゃいないが、
(´・Д・)」今、
言うべき事じゃ
ねえんだよ。
そもそも石川県は人口で言えば30位以下の県で、重要性は高くない。交通だって不便だし、能登なんて通る必要もない。だから、ハッキリ言えば、なくても困らない土地なのである。
しかし、それを言っちまうと、そもそも日本から消えてなくなっても大した影響がない県は幾つもあるのだ。
つまり、田舎を取り潰して、都市集中型に切り替えろ、って話である。
(´・Д・)」そんなのは
震災に関係なく、
ずーーーっと
言われてる事だ。
それを、部外者が、したり顔しながら被災者の前で言えんのかい?ネットで顔が見えないから、識者ぶっていい気分になりたいだけじゃないのかい?
そもそも、「どうせ地震はまた来る」って事を、その意見の発信者は言ってたが、そう、どうせ地震はまた来るのである。
(´・Д・)」それが引越し先の
都会である可能性は高い。
そうなったら、都会の方が被害は甚大になるんだぜ? こう言っちゃ何だが、海外で地震がそれほど恐れられていなかったりするのは、日本みたいな異様な人口密度ではないからである。
つまり、都会ほど大地震の危険度は増す。だから必ずしも、都会に引っ越すのが正解とは言えないのだ。
そりゃまあ、都会なら道は確保できただろう。逆に、能登は悲しいぐらい救助に向かない土地柄だったが、来るか来ないかもわからない地震を中心に生活もできん。
第一、家や家族、仕事まで失った被害者に、
(´・∀・)」 良い機会ですから、
都会に引っ越しましょうよ!
費用は国が面倒見ますから!
なんて言えるだろうか。いや、実際にはこーゆー選択を提示し、何なら勧めなきゃならない、言わなきゃならない公務員がいたりする。
それを部外者が、「被災地は捨てて、都会に引っ越すべき」なんて軽々しく言うべきではない。確かに、一理はある。しかし、少なくとも、被災者に向けて、今言うべき事ではないのである。
そもそも、人が住んでなきゃ、その土地は管理しなくていい、という単純な話でもない。
そりゃ、人口がゼロになれば管理費用は格段に下がるが、少なくても村単位を形成するなら、やはりそこには一定のコストが掛かる。
つまり、死にゆく過疎地域は、単に見捨てればいいというものでもないのだ。
わかりやすく言えば、飲食チェーン店みたいなもので、どれぐらいの赤字までなら閉店に至らないか。どれぐらいの赤字を超えたら閉店に踏み切るか。特に村や町は飲食店のように収益だけで判断できるものでもない。
また、住民の感情や文化、伝統を加味すると、やはり、ただ切り捨てればいいというものでもないのだ。確かに、従前のインフラを維持するのは難しいだろう。
しかし、難しいから田舎の住人を切り捨てる、とは出来ないのが現実なのである。
だいたい、ワタクシに言わせれば、田舎を切り捨てて都会に住めなんて考えは、
(´・Д・)」古い。
これからの時代は、田舎有利に働く可能性は高いのである。
ワタクシは何も、寝ぼけた事を考えて、脱サラして田舎でスローライフを送れって言ってるんじゃない。むしろ、逆だ。
この先は都会のアドバーテージが失われ、田舎有利になる可能性があると言っている。
だって、多くの買い物がネットで済ませられるし、田舎でも何処でも届くんだもん。
家賃は田舎の方が安いし、大型店舗はゴロゴロしてる。
そして、仕事はリモートで済む事がコロナ禍で証明された訳だ。
むしろ、都会の方が発展性は低く、田舎はどれだけでも開発ができちゃう。
ならば、一定割合の人間がそう考えて田舎にコミュニティを作り、モデルケースを築けば、都会にこだわる必要がなくなるはずである。
本当にそうなるのかは知らんが、その可能性は決して低くないと思う。
そう。この辺は、
(´°Д°)」『A列車で行こう』
ってゲームをやってれば、
ご理解いただけると思う。
『A列車で行こう』とは、鉄道を作る事により、会社を経営し、街を発展させていくシミュレーションゲーム。
基本的に、「商業地帯」「工業地帯」「住宅地」を鉄道で繋げ、駅を作っていくのだが、
それぞれが遠いと発展しづらい。
近いと発展しやすいが、頭打ちを迎えるのが早いのである。
つまり、広い土地なら町は広げられるが、利便性が低いので人口が増えない。
逆に狭いと利便性が高く、町は発展しやすいが、それ以上は発展させられなくなってしまう。
そう考えると、ネットが普及し、大きな幹線道路が数多くある現在、田舎はむしろ、見捨てるのではなく、利用する方向へ舵を切った方が良いのではないか。
ワタクシはそう思うのである。
まあ、これらも言ってしまえば部外者の戯言であり、とてもじゃないが被災者に聞かせるような内容ではない。
ただ、ワタクシも一応、阪神大震災を経験したので、言いにくい事をずばり言っておくと、
(´・Д・)」復興景気は
かなり大きいのよね。
その意味でも、石川県の復興はガンガン進めるべきだと思う。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。