人はなぜ買うのか。
私たちは物心ついた頃から、何かを買って暮らしてきました。小学生の頃は親にもらった限られたおこづかいで何かを買い、高校生や大学生にもなればアルバイトを始めて欲しいものを買い始めます。社会人になると、家賃を払って家に住み、水や電気やガスを買って生活をします。
買うにはお金が要るから、働くことが普通であり、なんの疑問も持たずそれこそが生き方だと思っていて、買うため=生きるためにはお金が必要だと、生まれてきた時は持っていなかった価値観が、いつの間にか固定化したような気がしています。
最近はお金の概念自体があやふやになってきて、交換価値だけで暮らし始めている人もいるので何とも定義がしにくいです。が、物を売る店(パンと日用品の店わざわざ)という形態で9年間営業をしてきて、買うことについて深く考えざるを得ない日が続いているのは確かです。今日は、「お金で買う暮らし」を前提として、なぜ買うのか?を考えてみたいと思います。
人はなぜ買うのかを4要素で定義する
1.必要
2.収集
3.承認
4.投資
様々な異論があるでしょうが、現在のところ、上記の4つで消費行動をほぼ言い表すことができるのではないかと考えています。最初は三要素で考えていて、「必要、収集、自慢」の3つで定義していたのだが、自慢だけがどうもしっくりこなくて、どうしても衝動で買ってしまったりする行動を説明できず、4要素に分解して考え直すことにしたら、割とすっきりまとまった気がしています。
実感として、小売の難しさも限界も感じ始めている中で、消費行動は時代と共に変化していくことがベースにあるため、現時点での定義づけをしたものの、人が消費することの意味はこれからも考え続けなければならないと思っています。
消費行動は人それぞれの理由があってなされていることを前提として、今日はなぜ人は買うのか?について考えてみたいと思います。
4つの要素を定義する
ざっくりですが、日頃、消費者が何を買うのか書き出して、4つの定義に沿って分類して見た図がこちらです。人によって趣味嗜好が違うのは当たり前なので、これはこっちだろというのはご勘弁を。適当にその辺は振り分けました。では一つずつ説明していきたいと思います。
1.必要
多くの人が一番お金を定期的に使うのがこの「必要」です。生きる為の必需品が多く含まれ、現在、私たちはこれを買わずして生きていくことが非常に困難です。水、食料、地代家賃など生きていくための衣食住の基礎を作るものが、これに当たるでしょう。
その昔は完全自給自足+物々交換で成り立っていた暮らしも、現代の生活水準を満たすのであれば、殆どの人にとって買うという行為は避けられないものであるでしょう。特にテクノロジーに依存する製品やシステムはお金で買うのが一番手っ取り早いと思います。
現代の生活で必要とされるものもこちらに内訳しました。内閣府の消費動向調査2015年によると冷蔵庫の普及率は98%だそうです。1957年には冷蔵庫の普及率は5%に満たず、58年の間に一気に普及していったことがわかります。かつては必要ではなかった物が現代人には必需品になりえ、時代背景によって消費動向が変わるということが言えます。
PCは私が子供の頃の30年前に持っている人は殆どいませんでしたが、現在は珍しいものではなくなっています。1992年にNTTドコモが誕生して携帯電話が普及していきました。この後、2007年にAppleがiphoneをリリースし、スマートフォンがシェアを拡大していくことになります。たった10年間で人々は電車で本や新聞を読まなくなり、スマートフォンの画面を見つめるようになったのです。
テクノロジーの進化が、人間の消費行動の根幹を変えていきます。これからもそうでしょうし、必要なものは時代と共に、刻々と変わっていくことでしょう。時代と共にあって当たり前のものが変化していくという観点から、左側に必要である人もいるというグレーゾンを作りました。都会に住んでいれば車は必要でなくなり、電車が必要になります。田舎に住んでいれば電車が必要なくなり、車が必須になります。お酒や煙草、コーヒー、お茶などの嗜好品が必要である人もいれば、そうでない人もいるでしょう。
そして、左側にまとめたのが生きていく為に一般的に必要なもので、普遍的なものです。場合によって必要になるものを右側に配置した図がこちらになります。
2.収集
ここの買い物は人によってしなかったり、猛烈にしたりと、趣味嗜好への依存度が高い消費行動です。このタイプは特に穴が開くことに嫌悪感を抱いていて、全てを網羅するということに執着して消費行動を行います。なので、払うお金を身の丈と合わせてバランスを取ることを忘れたり、理性がぶっ飛ぶ消費行動をすることもあり、少々怖い部分もあります。もちろん、秩序を守って収集するタイプもいます。
自分を例に挙げると、子供時代は漫画、20代はレコードの収集に没頭しました。当時、アルバイト代の殆どは収集に使っていたと思います。現在だと本がそれに当たるかもしれません。趣味と実益を兼ねて本はできるだけ購入するようにしています。女性では珍しいタイプで、私の知る限りでは、ここにお金を使う人は男性の方が多い気がしています。
私が小学生だった頃、キンケシというキン肉マンの形をした消しゴムのようなものと、ビックリマンシールを集めることが流行りました。ビックリマンシールはビックリマンチョコにおまけとしてついているのですが、購入後にチョコを捨ててシールだけを抜くという行為に走る子供が出てきて、学校で食べ物を粗末にするなというごく基本的なことが叫ばれるほどの社会現象になったの覚えています。
子供たちはわけのわからないゴムの物体と、シールを集めるためだけに生きていたというくらいのブームになりました。主に男子が集めていて、女子はさほど興味を持たなかったです。これはもしかしたら、遺伝的要素なのかもしれません(専門家に聞いてみたい)。
それから古いものを集める方も多くいます。年代物の絵や古物、家具など資産価値が高いものを収集する方については、この後に出てくる投資という概念も包括しているかもしれません。便宜上、こちらに一緒にカテゴライズしました。
エログッズは私には未知の世界ですが、ラブドールの流行り方などを見ていると所有欲や欲望の局地を感じていて、趣味嗜好性癖は、収集という概念に包括してもいいのかなと思います。
3.承認
この「承認」という消費行動は比較的新しい概念だと思います。戦後、高度経済成長を経て、人々の暮らしは激変して便利になっていきました。物のない時代から物の豊富な時代へと経済成長と共に、人々は消費によって物質的な欲求を満たされて何不自由のない生活を手に入れるようになっていきました。
私たちの親世代(60代後半から70代)は、1947~1949年生まれの団塊の世代と言われていて、ガンガン働いて、ガンガン稼いで、ガンガン消費するということが美徳だったのではないでしょうか。白物家電と言われるような冷蔵庫・洗濯機・テレビなどの電化製品を必要に応じて買い揃え、欲しいものを買うということを楽しんだ世代だと思います。なので、消費行動のベースは必要にあったのではないでしょうか。
その後、豊かになった到達点としてバブルがあり、今現在40代後半から50代前半の人々からこの「承認」という欲求の消費行動が始まります。ブランドバッグや靴、服などを身に付けることがステータスであり、よい車、よい宿、よいレストランと、必要というよりも誰かに認められたり、誰かと価値観を共にすることに喜びを見出して、消費行動を取る時代になっていきました。
そして、現在の40代前半は就職氷河期という時代にあたります。バブル崩壊後、日本の経済状況はどんどん悪くなり、山一証券が倒産したり、大手の銀行の統合が始まります。大学を出ても就職するところがないという新しい時代に突入して、大学卒業後にフリーターやニートになるという人が増えていったのです。
私たちの世代以降がここにあたるのですが、消費行動がここから大きく変わっていった気がします。生まれながらに満たされている家庭で育つため、買うという行為に消極的な人が増えています。ファッションはユニクロやZARAなどのファストファッションで十分という人が増えて、消費すること自体がイケてないという概念が出始め、ミニマリストという人たちも登場しています。
その後、インターネットが加速して広がり、2004年にFacebookが大学内のコミュニケーションとして登場し、SNSというものが出始めました。今まで見えてこなかったことが一気に可視化され、消費行動がまたもや激変していきます。これまで誰にも見せてこなかった食卓、個人的な嗜好、家の様子、外食の様子を世界中に向けて発信する日がやってきたのです。
何のこだわりもない器で食べていた人が、よい器を買い求めたり、友達とレストランでインスタ映えするものを頼んで写真を撮ったり、SNSの盛り上がりで人に見せるための消費行動が現在の消費ベースになってきた気がします。沢山のフォロワーで囲まれていることを世間に見せる為に、フォロワーを買うということもあるそうです。消費の形が「承認」の欲求としてまたも盛り上がりを見せています。
また承認は共感も呼んでいます。同じものをよいとする人たちを繋げて、これっていいよねという、共感の交換価値からの消費行動も取られていると感じています。同じ店を好きだということ、同じブランドを好きだということが、同じ味を好きだということ、など共感を通じてコミュニティを作り上げ、価値交換することも承認的消費行動だと定義しています。
(タクシーとアレクサがここに分類されていますが、よくわかんないですね。楽になりたいから買うという行動を分類しきれてないのかもしれません。そのうち考えます)
4.投資
「投資」の消費行動は、経済的合理性を重んじた消費行動です。経済的余裕があることが必須条件で、一番合理的に消費行動を取ります。土地・建物への投資で定期的な副収入を得ようとしたり、株・投資信託・仮想通貨・外貨などへの投資で資産価値を増やそうとして行動します。
この資産運用に関しては非常に合理的で、経済的に余裕があるならば試してみる価値がありそうです。銀行に預けていては一円にもならないお金を誰かの役に立てて、さらにキャッシュバックにも淡い期待を得つつという頭の良さを感じます。
また、スポーツジムや習い事に関しては、自己の健康への投資といった側面があり、ここにカテゴライズしました。外国語を学んだり、絵画を嗜んだり、お茶や着付けなどの伝統的な習い事もここに当たるでしょう。自己の知見を深める為の投資行動であり、将来的に専門職につけたりする可能性も秘めていて、大いにお金を使うべき部分でもありますが、やはり余裕が不可欠です。
旅やレジャーもここに分類しました。余暇を楽しむということは、私は投資行動そのものだと考えています。体や心を休息させ、明日への活力を作る投資的行動です。旅に出ることで知見を広げ、また次の仕事や生活に生かすことができるでしょう。
さて、人はなぜ買うのか。
ということで、人はなぜ買うのか?を「必要」「収集」「承認」「投資」の4つにカテゴライズして定義づけしてきましたが、私がどうしてこの問題を考えてきたのかには理由があります。
序盤でもお伝えしましたが、パンと日用品の店「わざわざ」を開業した当初、自分が山の下に降りなくても生活できることをベースに、自分の好きな商品を集めては販売してきました。いわば小売業を9年間やってきたのですが、段々とわざわざが「必要」に縛られすぎていることに気がついていきました。わざわざの商品のラインナップには調味料や石鹸、衣服、器などの生活必需品を中心に1000アイテム(2200SKU)ほどが並んでいます。
自分の店で毎週のように買い物していると、気がつくことがありました。必要に縛られると、買い物がパターン化するのです。醤油がきれたら醤油を買って、靴下に穴があけば買いに行ってと、行動がパターン化して義務化します。そう、つまんなくなるんです。これはスーパーと一緒の構造です。
私は最近、スーパーに買い物にいくことが面倒で面倒でやめたくてやめたくて(2回言います)たまりません。反対に何があるかわからない直売所なんかはワクワクします。季節によって置いてある品物がガラリと変わってしまうので、必要だけでなく、投資や収集の概念もありますし、何だか楽しくなるのです。
必要だけでくくると人間、息がつまります。私はこれからわざわざのセレクトを必要外にも振る必要性が出てきていると感じています。店舗でしか買えない「月刊わざわざ」をわざわざ最大の無駄であると定義して、作り始めたのもこの理由です。
小売業であるが故、小売をし続ける意味を考え続けないと破綻します。電化製品の移り変わりを見ても、たった20年単位で人間の消費行動は激変しています。スマートフォンが絶対的に売れ続けることはあり得ないでしょうし、冷蔵庫が当たり前にあることが絶対的でなくなることもあるかもしれません。買うという行動そのものが消失する可能性も否定できません。消費行動は消費行動として残ったとしてもいつまで「お金で買う」のかは、今のところわからないのです。
現在のところの消費行動を大体に分類したところで、一旦わざわざに何が足りないのか考えています。去年から段々と変わったのが、「投資」の部分を販売ベースとして増やしたことです。わざわざ会という社内ミーティングを販売したり、クラウドファンディングに挑戦したり、倉庫改装ボランティアを募集したり、倉庫イベントを行ったり、コミュニケーション自体を販売することに挑戦しています。
最後にお決まりのご挨拶で
ということで、今回もまた長くなってしまいました。数えたら5600字ありました。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。今回も無料で公開します。もう課金できません。笑。無理です。
ということで、またわざわざオンラインストアでの消費行動をオススメして終わりたいと思います。みなさん、またnoteでお会いしましょう!
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