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うぇいの哲学

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哲学みがある記事のまとめ
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#脳神経科学

祈りの「効用」——自己の関心の明確化と願いを遂行しようとする意志の強化

「ご利益」ばかり気にする利己主義者の皆さまこんにちは😆 うぇいです。 本記事ではお祈りの「メリット」について考えたいと思います。というのも、最近神社に行ってお願い事したりおみくじ引いたりしたときに、そもそもなぜ人は祈るのかを疑問に思ったからです。 「祈っても何も変わらない!」と言う人もいますが、祈っている当人には何かいいことがあるから祈っているのでしょう。ほんとに何の役にも立たないもの・単なる時間の無駄だったらすぐにその習慣はなくなるはずだからです👍 本記事は、世俗的な

プロポーザル(提案)としての哲学

「わー、ずっと悩んじゃう😥」という思考の沼に陥ることが誰しもあると思います。例えば、自分の進路を決めるとき、突然不幸に襲われたとき、また漠然とした不安を抱えたときなどです。 解決の糸口が見えない難問(アポリア)に直面したとき、哲学で提出された議論を参照して何らかの立場を採用してはどうか――これが、本記事の結論です。つまり、哲学者たちの概念や議論に触れることで、一見何も手掛かりがなさそうな問題に対してうまく「付き合える」かもしれないという話です。 1. 哲学は思考の整理に「

生きている人間を「状況の産物」として眺める

遺伝か環境か――このような二分法は適切ではなく、「遺伝も環境も」という言い方が適切だろう。 「自らは自由に意思決定している」。このような信念を抱く者は多い。現行の社会制度もこの考えを下地につくられている。 けれども、個人の選択によって影響を与えられる範囲は限りなく狭い。なぜなら、当人は、物理的な身体及びその身体をとりまく環境に大きく規定されているからである。 現代の脳神経科学が示すところによれば、行動をする直前にそれをしないか否かを決定する程度の選択しか私たちはなしえな

「詩」としての哲学——理性ではなく「想像力」重視の哲学

「哲学って、難しいことをゴチャゴチャ言ってるだけじゃないの?」と思っている方もいるかもしれません。まぁ正直そういう側面もあります。「真理探究」の学(Wissenschaft)としての哲学(Philosophie)においては、かなり込み入った議論が行われているからです。 ただ、そのような自分の意思には関係なく定まった対象(例えば客観的真理)を把握しようとする哲学以外にも、哲学の活動領域は拡げられるはずだと僕は思うのです。 本記事は、冨田恭彦『詩としての哲学』を頼りに、「可能

生きること、死ぬこと、応えること

昨日、バイトの同期の一人が亡くなったことを知った。死因は、不整脈による心停止であるらしい。突然の死だ。 彼とは知り合って2年以上経つが、雑談をするようになったのはつい最近のことだ。というのも、彼は深夜で僕は早朝のシフトであり同じ時間に一緒に働くことはほとんどなく、事務的に仕事を引き継ぐことが多かったからである。 1か月ほど前になってようやく、砕けた話をするようになった――そんな矢先の出来事だ。 現代における「信仰」僕を含めて多くの現代人は、「明日以降もしばらく生き続ける

「豊か」でいるための思想——「満たされてる感」のレベルを下げること。過剰であることに喜びを感じること。

豊かさとは何か?——この問いを抜きにして、「豊かな人生」や「豊かな社会」を語ることはできないように思われます。 なぜなら、豊かさについての意味内容を曖昧にしたままでは「豊かな〇〇」に向けた具体的な行動を「あなたがする意味」を考えることができないからです。 例えば、「これが豊かな社会を実現するための仕事だ」と言われる仕事はたくさんありますが、その中であえて「あなた」が特定の仕事に従事する意味は何なのでしょうか。すなわち、社会貢献できる仕事がたくさんある中である特定の仕事を選

ため息、諦め、パラドクス

お酒はあまり飲まなくなったが、一方でタバコを吸いたいと感じる瞬間が増えてきた。ただ、僕の趣味はランニングだから、ランニングの心地よさを減じてしまうようなタバコにハマるわけにもいかない。 というわけで、今は友人が喫煙者だった場合に数本もらうという状態で落ち着いている。 (以下、本記事の内容はとてもネガティブなものです。したがって、「幸せになるために人は生きている」という信念を抱いている方には読むことを勧めません。他の楽しそうな記事を読んでいただければと思います。) ふつう

賢者とは誰か?

賢者といえば、髭をはやした老人男性がまず想起される。(このイメージはもちろん、今まで触れてきた物語に影響されているのだろう。) 経験を積み思考を巡らせることで、人は老成する。そのような人が、賢者と一般に呼ばれてきたのであった。 だが、いま僕たちが生きる現代社会にあっては、賢者=髭をはやした老人男性ではないだろう。場合によっては、賢者だと思われていた人のアドバイスが役に立たない、さらには害になってしまうということも見られるようになった。 なぜだろうか。理由を挙げるとすれば

素朴に生きている人々の人生を擁護できるか?

僕の創作活動の目的の1つに、泥まみれで、つまり素朴に苦労して生きている人の人生を学問の知見から応援するということがある。 少なくとも、学問には大きく2つの力があると思われる。すなわち、学問の知識が個人の思い込みを事実でもって破壊するということ。そして、地域や時代や文化を横断することで、他なる視点を身につけられるだろうということだ。 学問は、直接的に人生をより良くさせるものではない。けれども学問は、人生を間接的な仕方で豊かにしてくれるのではないかと僕は考えている。 さまざ

「人生の意味」を問うてしまう人のための、5つの考え方

僕の記事で一番読まれている記事が、以下のものになります。今回は、下の記事を加筆したよというお知らせです。 要約です ↓ 人間社会は非常に複雑ですが、その根本には生殖=再生産という事実があります。社会や共同体のルールが定められている理由は、人々が平和に暮らすため、言い換えれば人々の「生存」と「繁殖」のためと言えます。では、人類の生存と繁殖の先には何があるのでしょうか?... そもそも、このような問いを立てること自体が、生物学的には「バグ」であるように思われるのです。 生き

Ayase「幽霊東京」から哲学的に思考する

人は自分と向き合い続けることはできない、と僕は思っています。なぜなら、自分について深く考えれば考えるほど「自分」という存在がいかに不確かで不安定であるかが自覚されてしまうからです。 人は、自分の存在の重さ(Last)に耐えられない。 重さに耐えられない人間は、そこから逃避します。どのような仕方で? 一言でいえば、気晴らしです。不定形で掴めない存在から逃れるように、忘れられるように、何か別な物事で置き換えるということ。 僕は、哲学的な思索に耐えられなくなったら、散歩に出か

「人生に意味があるのか」という問いに向き合うための、2つのアプローチ

記事の要約 人生の意味について、どのように考えるべきなのでしょうか。究極的には「個人の人生の意味」が問題になってくるのでしょうけど、まずは「一般的に生きる」ということがどういう事態なのかを考えることから始めようと思います。なぜなら、私たちはさしあたり他の人と同じように生きているからです。一般的な生について考えた後で、「自分の人生の意味」にアプローチしたほうがよいでしょう。 そもそも、人生の意味を問うてしまったのはなぜなのでしょうか。現代日本の構造上、人生の意味を考えざるを

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生存と繁殖の先に何があるのか?(人生の意味への問い)

記事の概要人間社会は非常に複雑ですが、社会が存続するためには生殖活動が行われ、新たな個体がこの世界に参入し続けなくてはならないという事実があります。 社会や共同体でルールが定められている理由は、人々が平和に暮らすため、言い換えれば人々の「生存」と「繁殖」のためなのです。 では、人類が生存し、繁殖した先には何があるのでしょうか?...  しかしそもそも、このような問いを立てること自体が、生物学的には「バグ」であるように僕には思われるのです。というのも、「生存と生殖」を円滑

言葉が過剰な時代に、どのように言葉を紡いでいくか※旧版

※本記事は古いバージョンの記事になります。加筆版及び、その加筆版をもとにしたラジオコンテンツは以下です。 1. 話し言葉と書き言葉人間の生活と言葉は不可分の関係にあるけど、従来の関係とは少し変わった付き合い方になってきているのではないかと思うんです。 いま人間と言葉は「新しい関係」にあると言える。なぜなら、書き言葉が話し言葉の影響を強く受けるようになっているからです。 インターネットの存在が大きいと思うのですが、この僕のnoteみたいに「誰かに語りかけている風」の文体の