過去の戦争と現在の安全保障環境を語る論壇が年々貧しくなっているように感じるのに、何とももどかしく感じます。
戦争体験者の減少も大きいですが、社会でパワーを持つ人間が戦争という現象と真剣に向き合っていないことも大きいのではないかと感じる今日この頃です。
そう思わせるのは、元内閣官房参与の高橋洋一氏のこの記事です。
《引用記事》
『唯一の被爆国だからこそ、日本の政治家と左派メディアは核廃絶の「お花畑議論」をやめるべきだ(現代ビジネス)』
ウクライナ戦争の国際情勢を背景に、中国と北朝鮮という核保有国による脅威に直面する日本の合理的選択は核武装しかなく、核抑止論の破綻などという「お花畑の議論」をやめよ、という筋立ての記事です。
ゲーム理論を基盤として整然と主張が述べられますが、この記事の主張はいくつか補助線を引くと、見え方が大きく変わります。ここでは、4つの論点を挙げさせていただきます。
わが国では先の戦争から、長らく「戦争」という現象の考察が難しい学術環境でした。しかし、しかるべき研究者からいかに戦争の不幸を回避するヒントを歴史に学ぶか、ヒントを得られます。私はそうした教えで、戦争の性質に照らして議論を見極めることができるようになりました。
高橋氏におかれてはぜひとも、8月16日から太平洋戦争に至る歴史をよく振り返っていただけることを願うばかりです。
きな臭いニュースばかりのご時世ですが、唯一の被爆国が展開する核廃絶の取り組みは、国際世論において核兵器使用のブレーキとして機能します。インド・パキスタンが核戦争寸前に至ったカールギル紛争の調停に当たったパウエル元国務長官は、第二の広島・長崎を回避することを訴え、核兵器のスイッチを取り下げさせたそうです(*)。
パウエル、キッシンジャー元国務長官やオバマ元米大統領はテロリストなど非国家主体に核兵器が渡るリスクを懸念して、「核なき世界」を現実の世界において提唱しました。
高橋氏には、過去の戦争のみならず、最新の動向を踏まえた議論の展開を期待いたします。
現在国際社会はロシアのウクライナでの核兵器使用、さらには中国の核軍拡、イラン核合意の停滞という難題に直面しています。しかし、課題があるからこそ市民社会は解決の希望とチェック機能を絶やさず、歩むことが求められているのではないでしょうか。
そのためにも、わが国で戦争という現象の洞察に基づいた平和の論壇が発展し、平和な国際環境をリードすること、そうした流れに道しるべが寄与することを願い、79年目の終戦記念日に向け歩んでまいる所存です。
*『安全保障論ー平和で公正な国際社会の構築に向けて』吉田文彦『パウエル「核不要論」からみる核抑止の転換点』P.167-168