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78回目の終戦記念日を振り返ってー戦争の本質を見抜き、平和な世界へ

過去の戦争と現在の安全保障環境を語る論壇が年々貧しくなっているように感じるのに、何とももどかしく感じます。

戦争体験者の減少も大きいですが、社会でパワーを持つ人間が戦争という現象と真剣に向き合っていないことも大きいのではないかと感じる今日この頃です。
そう思わせるのは、元内閣官房参与の高橋洋一氏のこの記事です。

《引用記事》
『唯一の被爆国だからこそ、日本の政治家と左派メディアは核廃絶の「お花畑議論」をやめるべきだ(現代ビジネス)』

ウクライナ戦争の国際情勢を背景に、中国と北朝鮮という核保有国による脅威に直面する日本の合理的選択は核武装しかなく、核抑止論の破綻などという「お花畑の議論」をやめよ、という筋立ての記事です。

ゲーム理論を基盤として整然と主張が述べられますが、この記事の主張はいくつか補助線を引くと、見え方が大きく変わります。ここでは、4つの論点を挙げさせていただきます。

①抑止が破れることを見落としている
ケース1】台湾有事
詳細は運営する団体「道しるべ」での拙稿に譲りますが、存在の根幹を揺るがす安全保障環境下では、抑止を働かせ続けることは深刻な紛争を招きます。

中国が「核心的利益」と言ってはばからない台湾については、麻生副総裁の「戦う覚悟」発言は、安定よりも日米中を一つの島で心中させるリスクを高めることとなります。
高橋氏は記事末尾で我が国のシーレーン確保のためにも台湾有事への備えを訴えますが、台湾で米国の影響が増すほど中国が自身のシーレーンを脅かされると感じるジレンマを見落としてはなりません。全紛争主体が許容できる海洋秩序が、アジアの平和の鍵です。

【ケース2】ウクライナ戦争
米国がウクライナへの軍事介入を否定したことは本戦争の引き金の一つとなりましたが、米軍とロシア軍が直接交戦する事態が発生した時、果たして核を伴う戦争を回避できたのかという難問が残ります。(下記の柳澤元内閣官房副長官補論考より)

また、ウクライナ戦争開戦までに核抑止力があるNATO加盟国がロシアを仲介したにもかかわらず、NATOは開戦を阻止できませんでした。これはコミットメントの不足のみならず、NATOがロシアの根幹に関わるニーズを保証できなかった可能性を示唆しています。

さらにロシアの当初の開戦目的が一時的軍事介入によるゼレンスキー政権の斬首作戦であったと分析されていることに照らしても、「核兵器は核大国同士の核戦争を抑止できても、核大国周辺の地域紛争を抑止できない」という戦略論で指摘されてきた問題の証左であり、本戦争は核兵器で抑止できる性質の戦争ではなかったと言えます(「安定と不安定のパラドックス」)。核抑止は破綻しえます。

実際の戦争を机上の理論で語る「お花畑な議論」は慎まれなければなりません。それは国家資源が不足しているとわかっていても、「仕方がないから」と戦争に突入したかつての我が国の空気を招きかねません。

②国際法体制との整合性が考えられていない
核兵器の拡散を防ぐNPT体制との整合性が全く取れません。(日米同盟、ガイドラインとの整合性も同様)このスタンスで北朝鮮に非核化をどう求めるのでしょうか。

「バスに乗り遅れるな」という時代精神のもと、満州での戦線拡大や南部仏印進駐などで国際法秩序を踏みにじってしまったかつてのわが国の歴史を顧みていない、現代日本のある意味「お花畑」な言論空間が垣間見えます。

③北朝鮮、中国とのセキュリティジレンマへの洞察がない
北朝鮮が核ミサイル開発に走る背景は、米韓両軍との通常兵器の格差を考えると新たな理解を得られます。
米韓両軍は、数日程度で平壌を機能停止に追い込めるレベルの兵力をすでに備えています。2002年の核保有国インド・パキスタンによるカールギル紛争では、アメリカの仲介があるまで、パキスタンは係争中のインド軍に対して核兵器を使用する寸前でした。北朝鮮はすでに核兵器を戦闘手段に織り込まなければ、戦争で生き残れない国家となってしまっているのです。

中国の威圧的対応の構造的原因は、米国との覇権争いです。
第一列島線上に位置付けられたわが国が緊張を強いられるのは、米国との繁栄を謳歌する中で、米軍の行動の自由が紛争をエスカレーションさせない制度を構築する努力を怠ってきたからではないでしょうか。米軍の駐留国は数あれど、同盟国の同意なしに出撃できる国は日本しかなく、他方から見れば紛争リスクです。

ドイツ、イタリアとの三国同盟が国際的な分断を決定的にすることに目をつぶってしまった、我が国の歴史が思い起こされます。

④権力政治への想像力が欠けている
日本核武装は必然的に韓国の核武装を招き、朝鮮半島を核兵器国が包囲することで核兵器の排他的な優位性が失われます。わが国の核武装が緊張を緩和する外交環境を著しく損ないます。

また一国の防衛力強化は、放射状に周辺国の国家認識を変化させます。不信感を抱く国は反射的に防衛力を強化することで両国の軍拡競争となり、セキュリティジレンマに陥ります。
一定の抑止効果を担保する実力の存在意義を否定しませんが、それは仮想敵国との緊張の真因を見極める度量のある国家、国民に与えられる資格であるべきです。

戦争はかつてクラウゼヴィッツが説いたように、「敵の自由意志」の存在により予測不可能なパワーの応酬を招きます。
米軍の機械化部隊と物量を背景とした軍隊による進撃に対し、日本軍は洞窟状の塹壕や捨て身の白兵戦で米兵に想定外のダメージを与えました。日米の戦闘はやがて硫黄島や沖縄本島を巡る数か月の死闘に発展し、最後にはアメリカに原爆の使用を決定させるまでの殺戮の応酬となりました。
国際政治と抑止力を担保するパワーは切って切れないものですが、その取り扱いにはパワーのもたらす作用への想像力も欠かせません。

わが国では先の戦争から、長らく「戦争」という現象の考察が難しい学術環境でした。しかし、しかるべき研究者からいかに戦争の不幸を回避するヒントを歴史に学ぶか、ヒントを得られます。私はそうした教えで、戦争の性質に照らして議論を見極めることができるようになりました。

高橋氏におかれてはぜひとも、8月16日から太平洋戦争に至る歴史をよく振り返っていただけることを願うばかりです。

きな臭いニュースばかりのご時世ですが、唯一の被爆国が展開する核廃絶の取り組みは、国際世論において核兵器使用のブレーキとして機能します。インド・パキスタンが核戦争寸前に至ったカールギル紛争の調停に当たったパウエル元国務長官は、第二の広島・長崎を回避することを訴え、核兵器のスイッチを取り下げさせたそうです(*)。
パウエル、キッシンジャー元国務長官やオバマ元米大統領はテロリストなど非国家主体に核兵器が渡るリスクを懸念して、「核なき世界」を現実の世界において提唱しました。
高橋氏には、過去の戦争のみならず、最新の動向を踏まえた議論の展開を期待いたします。

現在国際社会はロシアのウクライナでの核兵器使用、さらには中国の核軍拡、イラン核合意の停滞という難題に直面しています。しかし、課題があるからこそ市民社会は解決の希望とチェック機能を絶やさず、歩むことが求められているのではないでしょうか。

そのためにも、わが国で戦争という現象の洞察に基づいた平和の論壇が発展し、平和な国際環境をリードすること、そうした流れに道しるべが寄与することを願い、79年目の終戦記念日に向け歩んでまいる所存です。

*『安全保障論ー平和で公正な国際社会の構築に向けて』吉田文彦『パウエル「核不要論」からみる核抑止の転換点』P.167-168

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