間取り図で遊ぶー南側が無い部屋の詩学
素人が間取り図を空想する。
「暇なのか」とお叱りを受けつつ、引き続き描いてみる。
ユングの「塔」
かの集合的無意識で知られるC.G.ユングは、自ら「塔」を建設した。構想、そして実際に石を積み上げていく過程で浮かび上がる形態。そこに無意識とリンクして、無意識から意識へと「登ってくるなにか」の目に見えるパターンを探ろうとした(らしい)。
ユングといえば、東洋の「曼荼羅」の構造にも着目し、そこに無意識とリンクしたなにかを見ようとしたことでも有名である。
「どのような無意識なまた意識以前の神話がわたしを形成したのか、すなわちどのような地下茎からわたしは生いたったのか」(第四版 序)
といった序文から始まる『変容の象徴』。夢のイメージを「象徴」として理解する(一義的信号としてではなく)、といった構想から始まる同書は、将来ぜひ子どもたちに読むことを薦めたい一冊である。
無意識から立ち上る間取り?!
さて、話が外れてしまった。間取り図である。
ユングは塔を建設した。
迷惑を承知で、それに勝手にあやからせていただき、こちらは間取りプランを描いてみる。
そのプランを描くという行為が、意識的で明晰さを装っている「私」が自分自身では気づかない、無意識の、集合的無意識の「構造」を垣間見る一助になるのだろうか?
無意識が「言語のように構造化」されていると仮定すると、それはいくつもの二項対立の関係たちが重なり合った姿として観察されるはずである。(実際に実体としてそうだということではなく、として観察できる、ということ。)このあたりの話は、下記のnoteに整理させて頂いた。
そんなことを問いながら描いてみるのである。そこで描くということから、「描いている私」がどんどん薄まっていく。
「私が描く」というよりも「それ」が描く。
「それ」は、「方角」「壁をつくって」「穴を開けて(ドア・窓)」「外光を入れて」「風を通して」など、いくつかのシンプルな「命令・司令・制約条件」の一覧という姿をしているのである。そこから単純な構造がうまれ、複雑な構造へと増殖していく(かもしれない)。
北角住戸
さて、今日の制約条件は「北角住戸」である。
マンションのような建物の北の端の区画のつもりである。
南側には、別の住戸がある。東西と北は開いている。
というところで黙々と線を引いてみた。
出来上がったものを、突き放して分析すると、だいたい次のようなことが無意識に意識されていたことがわかる。
・東西の張り出した部分、僅かにある南向きの面には窓を開ける。
・北向きの窓は採光用に限る(冬は寒そうなので)
・西側の区画は西日が暑そうなので、閉鎖可能にする。
・東西の開口部を開け放つと、風が吹き抜ける。
風の流れる道と、光の通り道。
無意識の配慮はこのあたりに集中している。
構造物は流体の「流れ」を妨げるものでもある。空気や光の流れは、強すぎでもダメだし、シャットアウトしすぎてもダメである。空気や光の通過は「適度」にコントロールしたいところである。
静と動、流体と固体、通り路と障害物
この対立関係を、付かず離れず媒介すること。それが人工物、人工の構造物、つまり人間とその「外」を媒介する呪物のひとつである「部屋」の、神話的な役割でもある。
と、このあたりを考えるには、ガストン・バシュラールの『空間の詩学』あたりがヒントになりそうである。
またル・コルビュジェの設計思想もヒントになりそうである。
おわり
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