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ハラリ『サピエンス全史』&『ホモ・デウス』を読む

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『サピエンス全史』を中心に、ユヴァル・ノア・ハラリの著作に関するnote+αを集めました。
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#ユヴァル・ノア・ハラリ

『サピエンス全史』の幸福論―感情から意味、意味の生成へ、虚構の力を引き受けること

ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読んでいると、下巻の240ページに興味深い一節を見つけた。 そこには次のように書いてある。 「感情は自分自身とは別のもので、特定の感情を執拗に追い求めても、不幸に囚われるだけであること[…」もしこれが事実ならば、幸福の歴史に関して私たちが理解していることのすべてが、じつは間違っている可能性もある。」(p.240) 「特定の感情を執拗に追い求めても、不幸に囚われるだけ」とある。なかなか強烈な一言だと思う。下巻のこのあたりでハラリ

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飢饉、疫病、戦争から不老不死、そして「生きる意味」へ ―ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』が問うこと

『サピエンス全史』に続くユヴァル・ノア・ハラリの著書『ホモ・デウス』を読む。 『サピエンス全史』は「虚構の力」という一本の軸線の周りに人類の数万年に渡る歴史を再構築しようという一冊であった。 それに対して『ホモ・デウス』は歴史の終着点である現在を扱う。 「虚構の力」は私達ホモサピエンスが「言葉(話し言葉)」で考えることを可能にした。そして虚構を共有し、まだ見ぬ未来のために時空を超えて協力することを可能にした。 認知革命、農業革命、書字の発明、そして科学革命と人類史上の

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信じられる「未来」についての虚構をどう描くか? ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』が問いかけるもの

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏による『サピエンス全史』。上下二巻にわたり人類の歴史を一掴みにしようというおもしろい本である。 様々な人々の無数の経験が織りなす複雑な人類の歴史を、わずか二冊の本で一掴みにする。そのための方法としてハラリ氏が選んだのが「虚構の力」という概念を軸に設定し、その軸の周囲に人類史を記述していくというやり方である。 だからこそ7万年前ほど前の人類に起こったコトバの力の獲得、虚構を音声や物に置き換えて他者と共有する力の獲得から、『サピエンス全史』の記

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人間の崇拝から科学革命へ 『サピエンス全史』が問うものとは?

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏による『サピエンス全史』。ハラリ氏はコロナ後の社会についても積極的な提言を行っている。 『サピエンス全史』の原著の刊行は2011年、もうすぐ十年経つところであるが、その問題提起は全く古びていない。それどころかコロナのもとで、むしろより切迫した課題を捉えているとも言える。 さてベストセラーになった『サピエンス全史』だが、読んだという人たちに話を聞くと次のような答えが帰ってくる。 冒頭の「認知革命(「虚構の力」の獲得)」や、「農業革命」あたり

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「私」を作り上げるのは周囲の他者たちが繰り出す言葉 ーユヴァル・ノア・ハラリの「意味のWeb」

ホモ・サピエンスが、他の動物や他の人類との競争に勝ち、地表のほぼ全体をその生息領域にするまでに至ったおよそ7万年くらいの歴史。 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』はその歴史を一挙に捉えようとした試みである。 ではなぜ人類は、他の猿たちの一種に留まること無く、特別な動物になったのか? その勝因としてハラリ氏が上げるのは人類に特有の「協力」する力である。 サピエンスは初対面の相手と協力できる「協力」ということについては、ハラリ氏は『ホモ・デウス』の第三章でさらに

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