飢饉、疫病、戦争から不老不死、そして「生きる意味」へ ―ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』が問うこと
『サピエンス全史』に続くユヴァル・ノア・ハラリの著書『ホモ・デウス』を読む。
『サピエンス全史』は「虚構の力」という一本の軸線の周りに人類の数万年に渡る歴史を再構築しようという一冊であった。
それに対して『ホモ・デウス』は歴史の終着点である現在を扱う。
「虚構の力」は私達ホモサピエンスが「言葉(話し言葉)」で考えることを可能にした。そして虚構を共有し、まだ見ぬ未来のために時空を超えて協力することを可能にした。
認知革命、農業革命、書字の発明、そして科学革命と人類史上の大転換はいずれも虚構の力の使い方が最規模に再編成されたイベントだ。
そして科学革命後の今日の私たちもまた、未だなお「虚構の力」に貫かれて生きている。
虚構の力は昔話ではなく、現在の人類をも捉えて離さない。そしてその力は創造する力であると同時に破壊の力でもある。
人類は虚構の力を何に使うのか?
ユヴァル・ノア・ハラリ氏が『ホモ・デウス』で提起する問題とは次のようなものである。
すなわち、今日の人類はその漲る虚構の力を何のために使おうとしているのか?
『ホモ・デウス』の冒頭でハラリ氏は人類がこれまでの全歴史を通じて苛まれ続けてきた三大問題を挙げる。飢饉、疫病、戦争である。
飢饉と疫病と戦争は数千年に渡り20世紀の半ばまで個々のサピエンスにとって切迫した脅威であり、多数の、というかほとんどのサピエンスはこの三大要因によって死亡した。そして今日でも世界は飢饉と疫病と戦争のリスクに苛まれている…。
ところが、今日と過去とではひとつ大きな違いがある。
かつて人類は、その長い歴史において飢饉も疫病も戦争も人間の力ではどうしようもない制御不能な宿命、運命、天罰あるいは神の意志的なものとして、「あきらめ」てきた。
しかし20世紀の後半以来、今日にいたる私たちは飢饉や疫病や戦争を「どうしようもない」と「あきらめ」ることはしない。今や飢饉や疫病や戦争はテクノロジーを用いて予測され、コントロールされ、抑制されるべき事柄だと考えている。飢饉が広がり疫病が流行し戦争が起こるのは宿命でも天罰でもなく人間の政治的で技術的な失敗だ。
飢饉も疫病も戦争も人間が技術的にコントロールする”べき”事柄だと考えられる。
もちろん、飢饉を完全に回避したり疫病の流行をゼロにしたり戦争を絶対にさせないようにするには最新の技術や制度でもまだまだ不十分である。
しかしそのうまく制御できない不十分さは、宿命としてあきらめるべきコトでは全く無く、むしろより高度なコントロールのための技術や制度の開発への研究投資を促すものだと考えられる。
今日では飢饉にせよ、疫病の流行にせよ、戦争にせよ、大概残念な政治的指導者たちの決断ミスと、残念な指導者を一時の熱狂で歓迎してしまう大衆のミスに依るものだと考えられているとハラリ氏は指摘する。
飢饉も疫病も戦争も依然として地球上から消えて無くなってはいないが、しかし過去と比べればはるかにうまい具合にコントロールできるようになっている。
※
それは良かった、めでたしめでたし、と言いたいところである。
が、この人類史上の三大宿痾の解決が、何を隠そう次なる大問題の出発点になる。というのが『ホモ・デウス』の問いかけである。
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