もののあわれと微分

隈研吾の本を読んでいたら、「微分」という言葉が登場してきた。しかも概念を抽出して用いられている。何を言ってるのかさっぱりだ。

そういえば、落合陽一さんも最近、「微分」という語を用いている。こちらもさっぱりわからん。


これは、微分をわかる機会が巡ってきたのでは? という動機による。


入りは、隈研吾文脈の「微分」についてだが、すぐに落合陽一文脈へと移る。

隈研吾の建築は「いろいろな対立物を微分を通して一体化させる」と[本の中で]評されました。微分を通して一体化とはなんでしょう。そこでは、微分の例として、牛乳が挙げられていました。

隈研吾の建築が「いろいろな対立物を微分を通して一体化させる」と評されることは、彼の設計哲学やアプローチを表しています。ここでの「微分を通して一体化」という表現は、対立する要素や要素の変化を柔軟に結びつけ、調和を生み出すという意味を持っています。

微分とは、数学的には関数の変化率を表す概念です。これを隈研吾の建築に応用すると、建築の要素や概念が異なる変数として捉えられ、それらの変数の微小な変化や対立が、建築全体の調和や一体感に寄与するということです。

牛乳の例を考えてみましょう。牛乳は液体であり、その濃度やテクスチャは微妙に変化します。しかし、それらの微小な変化が全体の牛乳の味や質感に影響を与えることがあります。隈研吾の建築でも同様に、異なる要素や要因が微小な変化を通じて建築全体に影響を及ぼし、独特の調和や統一感を生み出すとされています。

この設計哲学によって、対立する要素や概念を取り入れながらも、それらを融合させて独自の美や意味を創り出すことが隈研吾の建築の特徴とされています。

もののあわれ感知装置としての微分

微分を関数の変化率と捉えた場合、「微分可能」とはどのような概念なのでしょうか。落合陽一は次のように述べています。[以降、次のnoteの引用]

微分可能(Differentiable)とは、関数が微分可能であるということは、その関数が各点で接線を持ち、微小な変化に対する変化率が存在する状態を指します。言い換えれば、関数が滑らかで連続的に変化し、微小な変動に対して適切な変化率を持っている状態です。

落合陽一さんが述べている「微分可能HCI(Human-Computer Interaction)」のアイデアは、人間とコンピュータの相互作用を微分可能な形で表現し、解析することで新たな洞察を得るというものです。このアプローチにより、人間の行動や意識を関数として捉え、その微小な変化や変化の速度を解析することで、人間とコンピュータのインタラクションのダイナミクスを詳細に理解しようとするものです。

具体的には、微分可能HCIでは、人間の行動や意識を連続的な関数としてモデル化し、その関数の微分を計算することで、人間の変動や変化のパターンを解析します。これにより、人間とコンピュータのインタラクションがどのように進行するか、人間の行動や意識がそのインタラクションにどのように影響を与えるかといった観点をより深く理解することができるようになります。

また、微分可能HCIは、モデルを機械学習に適用することで、人間とコンピュータのインタラクションのダイナミクスを予測するためのツールとしても活用されます。これにより、より効果的なユーザーエクスペリエンスや人間中心のデザインが実現される可能性があります。

総じて、微分可能HCIは、数学的なモデルと解析を通じて、人間とコンピュータの相互作用をより深く理解し、より洗練されたユーザーエクスペリエンスを提供する新しいアプローチを示唆しています。


[…引用するnoteとして適切でなかった気がする。全然掴めない。それに、微分を掴んでいない状態で、微分可能を掴もうとしたのも失敗]

まだ、微分についてよくわかっていません。落合陽一さんは次のように述べています。微分・微分可能についてもっと教えてください。[以降、次のnoteの引用]

微分と微分可能について、落合陽一さんの説明から派生した内容について詳しく説明します。

微分 (Differentiation): 微分は、関数の変化率を表す数学的な操作です。具体的には、関数がどれだけ急速に変化しているかを示すもので、関数のグラフ上で点における接線の傾きを表します。微分は、ある瞬間の変化を表現するためのツールであり、関数の値が微小な変化を受ける際のその変化の速度や方向を理解するために使用されます。

微分可能 (Differentiable): 関数が微分可能であるとは、その関数が連続的な曲線を描き、任意の点で接線が存在する状態を指します。微分可能な関数は、微小な変化に対して適切な変化率を持ち、滑らかに変化する特性を持っています。

落合陽一さんが述べている「微分可能オントロジー」は、この微分可能な特性をオントロジー(概念の体系)に適用するアイデアです。すなわち、現実世界の多様な事象や対象を微分可能な関数として捉え、その変化や関係性を数学的にモデル化することを提案しています。これによって、物質と非物質、異なるコンセプト間の関係性、変化の速度や方向などが連続的に捉えられ、抽象的な概念を数学的に理解しやすくなります。

落合陽一さんが述べている「ものを落とす」行為の例も微分可能オントロジーの一つのアプローチです。物体が地面に落ちる際の速度や軌道を数学的にモデル化することで、現実の物理現象と数学的モデルが結びつき、新たな理解が生まれる可能性があります。

また、微分可能オントロジーは計算機自然における言語や解析、シミュレーション、実験などのアプローチを統合し、新しい自然観を探求するための枠組みを提供します。このアプローチは、人間の認識と計算機の演算が交わる領域であり、物質と非物質、計算機自然と人間の関係性を新たな視点から理解するための道を開くものとなります。

総じて、微分可能オントロジーは、連続的な変化や関係性を数学的に捉えることで、物理的な現象や抽象的な概念をより深く理解するためのアプローチを提供するものです。

落合陽一さんは、「AIが音を聴いて反応する(意訳すれば、AIが音楽を楽しみ感動する)」音楽会[2023年8月23日の帰納する音楽会のこと。]を主催しました。そこでは、オーケストラの演奏をAIが聴き、その波を感知して、AI自身がAIの思考空間にある画像をセレクト・映像化するというものでした。これは、微分行為なのかもしれません。

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