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資本主義め

例えば、満員電車に乗って30kgから40kgほどある鋼材を肩に食い込ませて6Fまで階段で運び続ける一日を終えて稼いだ1万数千円でスニーカーを買ってあげたりご飯を奢ってあげたりすると結構感謝してもらえるんですよ。

で、人を駅まで送迎してあげたりしても結構感謝してもらえたりするんですよ。

これ逆もそうでね。
僕がしてもらっても結構感謝しちゃうんです。

だから、、、僕がプレゼントをもらう時はなるだけ想像力を働かせる様にしています。

相手が上司にどんな怒られ方をして、どんな汗をかいて、早く帰りたいと思う先に何が待っていてそれを我慢して稼いできたお金を僕に使ってくれたのか。

だけどいつもこのお金ってとこが邪魔なんです。

その行動一つ一つを僕のためにやってくれたんだ。って考えると送迎の数倍凄いじゃないですか。だけどお金を挟むとなんだか薄まってしまうような感覚で。

みんなよく言うじゃないですか。

相手がそのプレゼントを悩んで選んだのを知ると嬉しいだとか、そこに相手の思いを感じ取れるだとか。

そんなカップルの話を聞くと寂しくなるんです。

それを選ぶよりもずっと前からだよ、思いを込めてるのは。

僕にとっては使い勝手がいいんです。僕の感謝を相手に伝えたい濃度に薄めてくれるから。

だけど相手から僕には薄めないで欲しい。

あなたの思いの原液を下さい。

そう願ってしまう僕はわがままなのはわかってる。

だけど小さな事から全て取りこぼしたくない。

大切に受けとめたい。

だから、、、



やっぱりお金ってシステムが好きになれない僕です。

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