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新潟シティマラソン奮闘記な話

鶴ヶ城ハーフに続いて、新潟シティマラソン、フルマラソンに出場してまいりました。
日々、老いを感じる体にムチ打っての42.195キロ。
この日のためにこの1年のすべてを捧げてきた!…と行っては過言ですが、やはり走る目的があって、走る目標があって、いろいろ葛藤があって、いろいろ思いがあって挑んだフルマラソン。
その奮闘記です。今週のポッドキャスト📻

今年に入って1月の赤羽ハーフマラソンで、なんとなく膝の違和感を感じ、その後3月のさいたまマラソンで撃沈。
思うように走れず迎えた新潟での春のマラソンシーズン。
出ようか出まいか思い悩み、それでもお金を払っちゃったし、マラソン仲間も出場するというので、膝サポーターをつけながらちょぼちょぼ走る。
新潟でのマラソン大会も走るのを控えればいいものの、
「いや~大丈夫。サポーターつけて、ゆっくり走れば大丈夫~」
と自分に言い聞かせ、まぁ、この無理がたたったのは当然で、4月にひかえていた佐渡トキマラソンはあえなくDNS。

それから、5月6月7月となかなか走れない時期が続き、8月は「暑い!死ぬ!」と思いそんなに走り込んでいなかった。

ようやくなんとなく違和感はぬぐえた感じがした9月から、本格的にこの新潟シティマラソンに向けて取り組もうと、膝にお伺いを立てながら、ポテポテ走っておりました。

本調子!とまではいかないまでも、9月のたいない高原マラソンではあの激坂を越え、先週の鶴ヶ城ハーフでも、目標の1時間40分以内でゴールというのは叶わなかったけれど、1時間41分でゴール。
30キロ走もやって、なんとなく感覚をつかんで挑んだ今回の42.195キロ。
その奮闘っぷりは、ぜひポッドキャストをお聴きください。

目標はサブ4。4時間以内でゴールを目指していたんです。
新潟シティマラソンはこれまで2回挑戦し、1回目は4時間9分。
この数字であれば近いうちにサブ4は行けるだろう!
そして挑んだ前回のフルマラソンは、30キロ手前であえなく撃沈。
河川敷の道をゾンビのようにユラユラ歩き、40キロ地点で両足が攣り、ここまで来てリタイアはしたくないと決死の覚悟で何とかゴール。
もちろん記録は無残なものでした。

そんな反省を生かし、今回は状態を整えて挑んだつもりでした。

そして何と言っても今回は、ガーミン先生を味方につけ、1キロのラップを見ながらしっかりペース配分…と思いきや、当初の思惑とは異なり、まったく加速しない。

ネットで調べたんです。サブ4達成のためには、1キロのペースを5分30秒から5分40ペースで走るのが良いと。
ところが3キロ過ぎても1キロのペースは6分台。
10キロを超えたところで1時間5分。1時間を超えてしまった。
それならハーフの時点で2時間を切っていれば、サブ4圏内だ!
と思って、21キロを過ぎたところでガーミン先生曰く、2時間6分。

ムリだ…やっぱりサブ4なんて、自分には実現不可能な夢物語なんだ…

しかし!今年のようじろう選手は違う。
20キロから30キロの10キロを、駆け抜けて、それでもし30キロ越えて限界ならばもうしょうがない。
勝負の時は今だ!この20キロからの10キロを加速させろ!
1秒を削り出せ!
と自分に発破をかけて、駆け抜けてみました。

30キロの壁とは言いますが、しんどいのは35キロ付近。
体力はなく、あとは気力でゴールを目指す!
昨年の鬼門であった40キロ付近でのテレビ局の横も、足を止めずにひた走る。
ゴールの陸上競技場のナイター照明は目にとらえてはいるものの、競技場のなんと遠いことか!

それでも、なんとか、無事に、ゴール!
結果はコチラ。

ハイ!めでたくサブ4達成!
いやぁ、グロスタイムだとギリギリでしたね。

そんなわけで、レース後はおにぎりとお餅を食べて満足。
あれから2日経った今、両足のふくらはぎ痛に悶絶しているのでした。

ナンバーカードに記された『ようじろう』の文字。
沿道からの「ようじろう!がんばれ!」の声には励まされました。
スタッフの皆さんもランナーの皆さんもお疲れさまでした!

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