宮崎県国富町の本庄剣柄稲荷神社は、代々宮永家が神主を務めており、この宮永家からは宮永真琴、宮永真弓らを輩出している。
真琴は、幕末の討幕運動に関わったが、維新後は、神社の神職を継ぎ、稲荷信仰の本拠としての名を高め、伝統行事の継承と充実に努めた。
真弓は、新聞記者から始まり、昭和37年に宮崎日日新聞社長となり、文筆家として活躍した。
この宮永家から出版された祈祷書などが刊行されていたことは知っていたが、20年以上前に確認した宮崎県立図書館所蔵の『新撰神道祈祷全書』『神傳秘法禁厭祈祷寳鑑』の2冊をざっと目を通しただけであった。
この祈祷書は、宮永正卜館から宮永雄太郎が刊行している。まずは、この宮永雄太郎の著書を整理しておく。国会図書館で「宮永雄太郎」を検索すると5冊あった。●はインターネット公開である。
①宮永雄太郎『吉凶ます鏡 : 遁災開運』宮永正卜館、明36年6月●
②宮永雄太郎『古伝秘法祈祷宝典』宮永正卜館、明治36年(西村大観・宮永雄太郎『交霊祈祷宝典』さわね出版、1993年)
③宮永雄太郎『まじなひの研究 施術自在』宮永正卜館、明44年3月●
④宮永雄太郎『新撰神道祈祷全書』宮永正卜館、大正3年●
⑤宮永雄太郎『神伝秘法禁厭祈祷宝鑑 神通自在禁厭祈祷の秘訣』神秘研究会編、さわね出版、1986年
⑥『古伝秘法続祈祷宝典』
⑦『天真神術太占初段奥段伝書』
⑧『即座霊験法秘記』
⑨『神通力即座霊験法秘記』宮永正卜館、1904年(『(禁厭 祈祷 太占)神道秘密集伝』八幡書店、1989)
「日本の古本屋」によると八幡書店から復刻されているようで、八幡書店を検索したところ、復刻本4冊が紹介されている。うち2冊は再録されている。
現在手元にある4冊から書誌情報を見ていくこととする。
まず明治36年の『吉凶ます鏡 : 遁災開運』を見ていく。奥付には、宮永雄太郎、及び宮永正卜舘の住所は、日向国東諸県郡本荘村大字南本荘とあり、国富町に居を構えていたことがわかる。「天真神術太占開祖 宮永正卜舘」と称し、占術の広告も記され、依頼方法、金額の表記がある。刊行物『古伝秘法 祈祷宝典 上下編』と『天真神術太占初段奥段伝書』の2冊が紹介されているが、前者は八幡書店から復刻されたものと同様である。
明治44年の『施術自在 まじなひの研究』には、「天行 宮永雄太郎著述」と記され、奥付には『吉凶ます鏡』同様、住所は日向国東諸県郡本荘村大字南本荘とある。p254には「川上サチ神女」が紹介されている。p274「著者の実験」、p278「著者の妻の実験」、p281「著者の門人の実験」では、宮崎県内での巫者の活動を詳細に知ることができる。
大正3年の『新撰神道祈祷全書』では、宮永正卜舘の住所が同じ本荘村ではあるが番地が変わっている。「宮永正卜舘発行書目」として6冊が紹介されているが、上記に紹介されていないのは『即座霊験法秘記』(非売品)のみである。
大正11年の『神伝秘法禁厭祈祷宝鑑』では、住所が宮崎県宮崎郡宮崎町上別府に変わっており、活動の拠点が国富町から宮崎市内に移ったことがわかる。巻末には、「天鏡式霊威術開祖」「天鏡式霊威術 予言料一件 金一円前金」とあり、様々な依頼を受け付けている。
宮永雄太郎の著書にざっと目を通し、解ることをメモしておいたが、今後、宮永真琴や宮永真弓の資料から宮永雄太郎の活動について調べてみたい。
官報 明治38年(1905)8月18日 大蔵省印刷局
には、宮崎県東諸県郡本荘村大字嵐田の嵐田神社社掌とあることから神職を経験していることが分かる。