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選ぶ

 
 たとえば色とりどりのケーキが詰まった箱を誰かが差し入れしてくれた時、あなたに最初に「どれでも好きなの選んで!」と誰かが声をかけてくれたら、
 「じゃあ私これ!」
 と、ケーキを取り出すことができるか。


 わとりは選べない。
 わとりの選んだケーキは、もしかしたら誰かが大好きなケーキかもしれない。だから
 「どれにしよう迷うね、先に選んでいいよ!」
 って言ってしまう。

 みんなが大体選んで、行き渡った頃安心してひとついただいたりする。
 それが自分の好きなケーキかどうかは考えない。

 遠慮深いとか、優しいわけじゃない。選べない自分のなかにあるのは、恐怖だ。
 誰かに恨みを買うかもしれない。真っ先に選べる立場なわけない。
 選ぶのが怖い。

 優柔不断だとか優しいとか外からは見られていそうだけど、怯える私はただただ卑屈なだけなのだ。(そして加害性のある人間はそれをすぐ見抜く)



 わとりが小学校の頃、家ではよく2斤のパンを購入していた。
 このパンには2枚、パンの耳だけのカットができる。かたい耳部分を家族のだれも食べたがらなくて、子供の私はみんなが嫌がるなら私が引き受ければいいやと考えた。
 「パンの耳はわたしね、パンの耳すきだから。」
 本当は別に好きじゃない。
 でも誰かがそれを引き受ければ、みんな美味しい部分だけ食べられて幸せだなと思っていた。
 幸せになる「みんな」に自分は含まれていなかった。
 わとりが何かを選ぶときは、わとり以外の人たちが得になるようにしてきた。


 思い返すとこれは、母親の躾によるものだ。
 真っ先に手を出すのははしたない。自分の分は最後にしなさい。
 美味しい部分は人にあげなさい。質の悪いものは自分に取りなさい。

 家の中でカースト最下位だったわとりはみんなが残すものを選び、それに傷つかないように自分はそれが好きだと言い聞かせていた。

 選ぶのが苦手だ。
 自分にとって良いものを選ぶことができない。
 ケーキを選ぶなんてささやかなことだけでは済まないほど人生に染みついている。


 生きている間はずっと選択を迫られる。
 どれを着るか、どの道を行くか、どこに住むか、何をするか。
 その様々な選択肢のなかで、自分のために何かを選ばないということがどんな結果をもたらすかなんて、簡単に想像つく。

 残り物には福があるなんて、本当にそんな現場を見たことがあるか。
 わとりはない。
 それなのにそんな幻想みたいな言葉に縋っていることもあった。

 選ばなければいけない。
 あらゆるケーキが詰まった箱から、自分のために自分が喜ぶものを。

 でもその前に、まず自分が何を好きなのか知らなければいけないなぁ。

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ありがとうございます!ほんとに!
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トラウマと性の世界に立ち向かうアカウント。セキララに書いていく予定ですチッチッ。
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