自分と向き合う①過去を振り返る

気づいたら数か月、noteからご無沙汰していました。

今日は、この三か月の振り返り、感じていたことを書いていこうと思います。


昨年末に司書を目指す傍らの収入源・社会の中で仕事をする免疫維持のためにしていた市役所での会計年度の仕事を、契約満了により退職しました。

覚えること・考えることは少なく、来庁者対応がメインの仕事でしたが、私にとって、利用者に説明する内容については簡単すぎて退屈で、人間関係や利用者対応が長引いているときの小さい子との会話などは難解でした。また、私の職場だけではないのではないかと思うのだけど、会計年度という立場で働いている人は精神的に余裕のない人・理性的でない人が多いですね。それは待遇的な不安であったり、正規職員との扱いの差だったりも影響しているでしょうが、自分の身の回りの人間関係や置かれた環境の違いといった小さな世界で満足している人が多いように感じました。例えば、本を読まない人が多く、読んでも近現代小説なのです。決して近現代小説を否定するわけではありません。人の心を眺め、現実の人間関係の理解に繋げることができますし、起伏に富んだ物語、斬新な設定の物語は世界の見方を広げてくれる感じがします。私も物語の自由な世界、深く人間心理を観察した小説を読むのは大好きです。漫画も読みます。10代の頃、万城目学や伊坂幸太郎、宮部みゆきの『ブレイブストーリー』など、わくわくしながら読んでいました。中学生の頃、太宰治の『人間失格』に深く共感したこともありました。『人間失格』は、繰り返し読んだ跡が窺えるぼろぼろの単行本が実家に残っており、懐かしく、5年前に買った装丁の違う新しい文庫と並べて本棚に残しています。

でも、それだけでは足りなくなってこないのだろうか、と思うのです。面白いけれど、同時代に生き、社会背景も言語も同じである読み手に取って読みやすく書かれた近現代小説は、簡単に理解できてしまう。私は、それでは物足りない、読み解くのがもっと難しいものはないかと思い始め、初めはいわゆる文豪と呼ばれる明治から昭和にかけての名作を読んでいましたが、中学生になった時、古文・漢文に出会いました。初めは、文法、単語を覚えなければ、何もわかりません。でも、それらを頭に入れて実際の文章に触れていくと、意味不明の記号の羅列が言葉として形になっていくのです。そうして「大体の内容を把握できる」段階を越え、更に読み慣れていくと、現代と違う語彙大系(一語の網羅している意味の範囲が違う。古語は現代語より語彙が細分化されておらず、一語の守備範囲が広い場合が多い。そのため、細かなニュアンスまで捉えるには、文脈の理解が肝要となる)に気が付きます。更に、和歌では、序ことばなる時代背景(当時の人々の物の理解の仕方)の理解まで求められる修辞があり、歴史とも繋がっていくのです。時代背景だけでなく、詠歌の場、読み手の境遇、人生観なども関わってきます。古来、和歌は学問でもあり、本歌取りといって、古歌をアレンジし、元々の歌の持つ世界を利用して三十一文字に込められる世界を広げることが続けられてきました。名歌は幾百年本歌取りされ、後世の詠み手によって多彩な顔を持ちます。1つの歌、たった31文字の言葉でも、同じ目線で、できるだけ同じ気持ちになって、詠み手の描いた景色・感情を理解するのは、結構幅広い読書経験(特に古典文学、日記文学、歴史)が必要となるんです。

私は実用的ではない歴史(中世以前の日本、唐宋を中心とした中国、東西の書物・図書館史など)や古美術、伝統芸能(特に能・華道・香道)、古典文学、書誌学、漢字や言語の由来・故事成語などに関心を持っています。年齢とともに範囲は広がっていますがこれは中学生の頃からで、遠い時代の姿・時代を乗り越えて今に残っているものに心惹かれてきました。これらに関する知識は、重い鬱で消えてしまったけれど、心が回復してきた今学び直している、私とは切っても切り離せないものたちです。私は大学生の頃、自分が打ち込めること、長い時間を共にしたいことは仕事にならない、諦めなければならない、でもそうして生きていくことに価値が見いだせない、けれど退路を断つ覚悟も実用的でない学問に生きられるだけの経済的・学問的能力に対する不安もやまない、でも、でも・・・と揺れ動いていました。「中世和歌文学」という実用性を重んじる社会と逆行する学問を続けて食べていけるのか、そういう事を心配するような感性の人間に成果は出せないのではないかなどと悩み、決断が付かずに、就職活動にも進学にも振り切れず、中途半端になってしまいました。

話が遠回りしてしまいましたが、私はずっと、自分の好奇心を満足できるものを探し求めた子供の頃から進路に悩んだ大学生から今まで、良くも悪くも内向的で、関心が自分に向かっています。進路だけでなく、その時々の人間関係にも深い関心を持つことがありませんでした。高校時代はゴシップ的な人間関係に興味のない人が周りにも多く、それぞれに好きなことを追求しつつ、休み時間や学校行事の時に話をする関係でした。あっさりしていますが、大事なものが他にある人との距離感は、私には重たくなくて非常に居心地の良いものでした。私は古文ばかり読んでいて、休み時間も半・図書館の住人だったのですが、そうした個性も排除するのではなくて面白がる風土があったように思います。非常に居心地がよかったです。大学以降も、接客のアルバイトが全然うまくできなくて悩むことは多かったですが、人間関係に深く悩んだことはありません。割合、私の周りは平和でしたが、仮に揉めごとが多くても感情が動かされることはなかったでしょう。そんな自分には人間として何かが欠けているのではないかと思い、人と深く付き合うため恋愛をしようとしたこともありますが、関心の弱いことは続きません。25歳の今でも、恋愛経験はありません。大事に思う友達は(今連絡が途絶えている子も含めて)数人いますが、何かあった時には助けになりたいと思うけれど、頻繁に話さなくてもいいと思っています。

そんな私なので、身近な人間関係が関心の大部分を占める人たちの中に馴染むことができませんでした。雑談もうまく交われなかったですが、業務連絡・引継ぎでも、ただ事実を伝えたつもりなのに感情が入り込む人がいて、困惑していました。そうした時に対応できなくて、「あの時どうすればよかったのだろう」とよく落ち込んでいました。小さい子と他の職員が親御さんに対応している間の待ち時間を過ごす時も何を話したらいいのか困っていました。小さい子に関しては人生経験もあると思いますが、基本的に私は、感情的な人が苦手です。相手の感情に配慮したいと思うけれど、私は人に対する感情の起伏が小さいので、なぜそんなに感情が動くのか、どういう言葉が逆鱗に触れるのか、想像できないんです。予想していないところで摩擦が起きるので、言葉を発するのが怖くなりました。しかし、会計年度職員は暇な時間も多く人間関係も仕事のうちだったので、市役所での仕事はなかなか辛いものでした。

1月は司書に未練も残りつつ、自分の特性を活かせるものとして校閲や翻訳の道があるのではないかと考え、求人を見たり、第二外国語に取っていた中国語を勉強しなおしてみたり、漢検準1級の勉強をしたりしていました。しかし求人はほぼなく、未経験可と書いてあっても校閲の求人には書類で落ち、翻訳はすぐにできる力がないので他の仕事を探さなくてはと思いつつも、エージェントさんに「今未経験から正社員就職できるのは販売か営業がほとんどだ」と聞き、正社員で生活は安定していてもその2つの分野だと私は成果を出せないし、頑張って人並みになれてもまたすぐ精神を持ち崩すだろうと思いました。そうして選択肢を削っていくうちにどんな道があるのかわからなくなり、鬱々と過ごす時間が増えました。1月の後半から2月の初めにかけては、横になることが多く、1日に1~2食空腹を感じた時々でばらばらの時間にご飯を食べ、寝ている時と起きている時の境目も曖昧で、時間の感覚もなくなっていました。これではいけないと思いつつも、何もやる気になれず、暗い気分で目を閉じていました。

2月に入ると、家事を毎日できるようになりました。洗濯と料理、洗い物、庭の水やりくらいですが、毎日こなす役割を持てていることで自己否定が減りました。両親が私が家事をすることを喜んでくれていたのも、意味のある仕事をできているという実感に繋がりました。生活のリズムができてくると、一人で過ごす日中がひどく長いものに感じられ、鬱病の中でできなくなっていた読書を始めたり、今の何もわからない状態でもまたキャリアカウンセラーさんと話をしようと思うようになって毎週キャリアカウンセラーさんとの面談予定が入り、曜日感覚も戻ってきました。2月は3年間の鬱病生活の中で初めて得られた、仕事ができていない不安や焦りを感じていない一か月でした。

3月に入り、大学の友人と連絡を取ることがありました。その子の「もうアラサー」という言葉や堅実な仕事観に触れたこと、コロナ渦で職を失い、一人暮らしで必死に働いている人の苦しみをネットで知ったことで、年齢的な焦り、自分の中にある甘さ、仕事をしていないのに平穏な気持ちで過ごしていることへのほのかな罪悪感を感じました。鬱の波と付き合いながらアルバイトをしたりしなかったりの生活を3年間(うち働いたのは1年半)送っていて、今も働いていなくて、世間と感覚がずれてきているのだろうと思うのですが、速い流れの中で生きている人の一般的な視点を入れられて良かったです。2019年、大学を卒業して最初の年とは精神状態が全く違っていて、厳しい現実や鋭い言葉も取り乱さずに受け止めることができています。むき出しの神経が皮膚で覆われたように、確かに私の中に言葉は入ってきているのですが、痛みは伴っていません。図書館で働き始めた時も、市役所で働いている時も精神は落ち着いていると思っていましたが、今思うとまだまだ不安定でしたし、仕事のストレスに耐えられる状態ではありませんでした。退院してすぐ図書館で働き始めて急いだ部分は否めないけど、アルバイトという働き方は正解だったのだろうと思います。そして、今が本当に寛解している状態なのだろうと思います。しかし、まだ頭がぼんやりしている(麻痺したように動かないときも多い)ので、3か月ぶりに精神科に相談に行きました。主治医の先生から見ても今は安定しているのですが、思考力や集中力、記憶・判断力などは精神的に落ち着いて後から戻ってくるもので、数か月は今の落ち着いた精神状態を維持してくださいとのことでした。私も、3年もストップしていた脳が活動を再開するにはそれくらいはかかるだろうと思います。じっくり回復できる今の環境、周りの人の温かい思いやりに感謝しながら、日中の運動量を増やし、睡眠の質の向上、頭の働きの改善を目指していきます。具体的には、その日に勉強したことや読んだ本の内容、起こった出来事を夜に日記に書き起こせるくらいの記憶力、単行本1冊を途切れず読み切れるくらいの集中力、口頭でのコミュニケーションが成り立つくらいの速さの思考力は最低限取り戻したいです。そのためには、自分に甘いくらい積極的に自分を褒めるところを見つけていこうと思います。昨年は司書試験を受け続けた一年でしたが、教養・専門・論文どの試験でも筆記は一度も落ちませんでした。これだけ頭の働きが鈍くなっててその結果はなかなかではないでしょうか。まあ、面接は頭が回らなくてダメダメだったんですが。

また、noteを書き始めた2019年から自分の記事を読み返していて、「頭が働かない」と同じことを繰り返し書き残していました。不安だったのだろうと思いますが、継続的な改善の試みが見えませんでした。これからは同じことを悩み続けるのではなく、変化を加えていきたいです。正解かはわからなくても、その時必要だと考えたことを考えすぎずに取り組めるような行動的な人になりたいです。行動する勇気を持ちたいと思っています。そのために、小さなことでも自分の感情を言葉で認識するよう意識し、迷ったら行動してみるようにしようと思います。私はなかなかしっかり転んでしまっていますが、人生、転んだり一般道路から外れてみないと見えないものもあるものだと実感しています。行動した結果、思ったような結果が得られなくても、一生懸命に何かに取り組めば、次の道も見えてくるものなんでしょう。そして、すぐには実を結ばなかったそのことも、数十年後、その後に続けてきた経験と結びついてより豊かになって返ってくることもある。色々な人のインタビューとかnoteとか諸々、人生を覗き見させてもらって、もっと気軽に、実になるか、結果が出るかとか考えずに物事に取り組めばいいのだと思うようになりました。アルバイト先で普通じゃないと言われて、仕事ができない扱いで自信を失っていた大学生の頃、同じような経験をしてきた人はたくさんいること、就職活動をして正規で働く以外にも生き方はいろいろあることに気づけていたらよかった。この間診察を受けた時に主治医の先生から「あなたは発達障害の特性で一つの考えに囚われる傾向があって、「頭が働かない」というのも、障害の特性で出来ないことが明らかになったタイミングで意識しだすようになって、その考えに囚われて意識し続けたことがストレスになってそれまで出来ていた記憶や思考も働かなくなっていったんじゃないでしょうか」と言われたのですが、こうして今思っていることをnoteに上げて色々な立場の人と話したり、周りを見渡すことで改善されると思いました。あと、ハードルを高くしないよう気を付けたいです。自分の中で「これくらいは出来て当たり前なのに」という基準が強固だったような気がするので。


とても長くなってしまったのですが、この3か月の振り返りをしました。この日記を書くのに6時間かかりました。明日は、価値観の整理とこれからどうするのか、今の考えを記録しようと思います。

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