2022.5.1

時が止まったようだ。

過去を思い出そうとしても靄がかかるし、今の実感もない。
何を見ても聞いても感想が湧かないし、五感の情報が頭に届かないような感覚がある。

鬱病と診断された当初、2年半前と違って、斬りつけるような思考に囚われることもない。ただ、何も考えられない。感じない。力の抜けた体を横たえて、長い時間が通り過ぎていくのを待っている。時間の感覚すら薄らいで、何にも囚われずにこの世の片隅を漂っているようだ。

ふと年齢を意識したり、時間を空費することに焦りを覚えたりするけれど、その気持ちもすぐに霧散する。正負どちらの感情であれ、強い気持ちを持ち、持続するエネルギーが切れているような感覚。

そんな生活をしていると、頭はどんどん鈍くなって、常に眠い。簡単な言葉も浮かばなくなりつつある。もう病名を考えるのも面倒くさいし、鬱病だ、発達障害だ、と形作っても、私と全く同じ状況の人はいない。抗鬱薬もそれほど効かなかったし、診断されることに意味があるのだろうか。こんなに頭がフリーズしているのは、この世で私だけなんじゃないかと思える。LINE NEWSをよく見るんだけど、世の人が泣いたり笑ったりしながら変化していっているのに、私は無だ。苦しみすら感じられなくなった。

時を進めたいと思うこともある。でも、具体的なことを考えようとすると、脳が固まる。なんで、シンプルに考えたらいいだけなのに。私は「自由になりたい」とよく言うけれど、立場や働き方よりも何より精神的に自由になりたい。自由に物を考えられるようになったら、気力も湧いてくるような気がする。自分の心が感じられないまま、まとまった思考ができないまま、何かを決断したり、社会の中に交わっていくのが怖い。


そろそろ頭を使いたい、何か勉強したい気持ちもあるけど、具体的に何の勉強がしたいのかはわからない。すべてが漠然としている。

ありがたいことに、大学時代の友達など、私が実家に戻ってきて遠距離になっても連絡をくれ続ける人が何人かいる。そのうち2人とこのGWに会うことになった。
一人は大学が近くて、大学2年生頃かな、中国語を勉強していた頃に知り合った4歳くらい年上の人で、元・中国人留学生、現在会社員の人。5年近い付き合いになると思う。深い関係ではないけど、京都にいた頃は二人で日帰り旅行をしたこともあった。今回は私の生活圏内でお茶でもということになっている。

もう一人は、Tinderで知り合った、理系の研究員の男性。出会いはTinderだけど、真面目で向上心の高い人。大学を卒業してそのまま京都に残って就活をしていた頃に知り合った人で、3年ほどの付き合いになる。この人は一度も会ったことがなくて、Tinderを消して1年近く連絡しないこともあったが、去年からまた連絡を取るようになった。今回は車で一時間ほどの観光地を案内することになっている。

2人とも穏やかで肯定的な人で、何も怖がることはないのだけど、今の私で面と向かってのスピードで会話ができるのか、絶対ぼんやりして言葉が浮かばないだろうという不安がある。

2人とも遠くから私に会うために来てくれて嬉しいと思う反面、会話ができなくて心の中で引かれるかもしれない、もし会うことで縁が切れたらそういうことだと思うと、結果が出るのが怖くて逃げ出したくなる。

学生時代から人の集まる場所、長く会話をするような場は避けてきた。でも、社会と接するハードルをこれ以上上げないためにも、思い切って会ってみようと思う。


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