否定

1番苦しかったときのことを思い出してしまった。前に進むと決めたんだから、沈もうとする気持ちは振り切らないといけないのに。noteで自分の方向性や本音を書くことは、そんなに見られていなくても、社会に考えを宣言する勇気と、気持ちを共有する嬉しさがあった。暗い気持ちも否定されない社会に安堵感を得た気がしていたのに。ぐるぐるぐるぐる、とどまってる。


高校生までも集団生活や雑談ができないせいで感じていた普通に振る舞えない不安に、大学生になってからは、アルバイトもスマートにこなせなくて小さな世界で自信を持っていた思考力もなかったという落ち込みが加わったこと。不安に取り込まれて、憧れだった古典研究にも手が付かなくなってしまったこと。目標を見つけ、なんとか卒業して、既卒で探した仕事も決まらなかったこと。今年中に決めなくちゃ後がなくなると思っていたのに決まらなくて、不安に押しつぶされそうだったこと。私自身お気楽なんじゃなくて深刻になっていたときに、「正社員にならなくたって生き方は色々ある」と社会の明るい面を感じさせてくれる母だったら良かった。不安を煽るのではなく、苦しいときは休んでもいいと言ってほしかった。自分で生活できていれば、正社員にならなくても居場所が感じられる家だったら、鬱にだってならなかった。正社員・正社員…呪文のように唱えてきて、ゲシュタルト崩壊しそう。



その時々で理由は違うけど、10何年も不安が緩む間がなくて、張り詰めて切れた弦が柔らかな肉をえぐり、柔らかなところに錆びた弦が当たるような痛みにに、涙が止まらなくなったのは去年の8月のこと。典型的な進路から外れて、周りからの否定に混乱していた。

今日思い出してしまったのは、その頃、死にたいと考え続ける私を「自分勝手で自分に甘い」「悲劇のヒロイン気取り」と責めた姉や、正社員は絶対条件としてそれ以外の選択肢を認めてくれなかった母のこと。自分が苦しいと思うことも人の感情的満足のために我慢しろと言うなんて頷けない、と姉には怒りが湧いた。でも、感情が纏まらなくて伝わらず、口の立つ姉に私の人格問題までヒートアップされて、深く傷ついた。姉の物の見方の方が一般的でないとか、自分が甘えではなくて本当に心から苦しくて動けないんだということは自分が一番わかっていることとか、悪影響のある人とは身内であっても離れていいということが思い浮かびもせずに、真正面から斬られていた。姉の言葉は傷つけるばかりで、ただでさえ弱っていた心にとどめを刺されたようなものだった。なのに姉は、心配させた私が悪いと言った。人に判断を委ねているとも。人の心配に感謝して受け入れない私に問題があると言い、私は人格否定意識が強くなった。

今となってはわかるけど、あの時はそれまで続いていた失敗経験で、人の言葉の是非を自分で判断することができなくなっていた。否定の言葉に表面抵抗していても、弱い犬が必死に噛みつくように、自分を守るためのことだった。自分を信じられているわけではなくて、“事実は認めなければいけない、耳に痛いことを聞き入れないのは自分に甘いということ、私は人に攻撃される性格なんだ、スマートに反論できる頭がない”などと自己否定が膨らんでいった。


母も、何事も安全であることが前提条件の人で、生きるために生きよ、と繰り返し言っていた。人生は辛いもので、希望を持っちゃいけない気がした。正社員に絞った就活が上手くいかず、派遣で興味のある図書館の仕事を始めようとしていた私にとって、私自身の心の健康や生きがいが大切に思われていなくて、自分のことは自分で決める意志の自由がないことは、生きる自信や期待、勇気をまた削った。義務のように生きるために生きて精神の自由が持てないのに生きる意味など感じられなかった。


この2つは本当にひどく傷ついたことで、8月のあの時にすぐに療養したり始めやすい仕事から始めることを応援してもらえてたら鬱もすぐに抜けられていたかもしれないのに、とその後の入院生活で頻繁に思い出しては苦しく、恨みにも思った。あんなにひどいことを言ったのに、今も姉は自分の正しさを信じている。母も、就活に失敗して鬱になった娘を献身的に支えていると思っている。意思は尊重しないのに、失敗は私個人の問題で自分のせいだとは考えてもいない態度に、気持ちの整理がつかなかった。

退院してからも、母はすぐに仕事のことを言い始めた。正社員になるための就活を再開すべきと。それは、私がすぐにアルバイトを始めたり、庭いじりをするようになって元気に見えたからだと言ったけど、これまで心安まらずに生きてきて、少し遊んでいるとすぐにそんな権利ないと警告されるような、私には心を休ませる時間が許されていないんだというような悲しみや諦めに似た気持ちで、また家にいるのが苦痛になっていった。

とにかく、否定されたくない。

正しいことを言わないと、居場所がない。

そんな不安でまた物事が見えなくなった。

自分を護ろうとするばかりで、職場では摩擦が起きた。それを対人調整能力と誤解してまた自信を無くした。

思い返してみれば、ずっと、否定されることへの恐怖というものが鍵になっていたように思う。母は「昔のことをいつまでも言う」と言うけれど、小さい頃に母に「我が強い」と言われたショックで自分を抑え続けて自由な感情が持てなくなったこと、怒鳴り声のないまともな生活をさせてくれなかったこと、就職を自分で決めさせてくれなかったこと。たった一度の過去の出来事ではなく、私自身の意思や精神的な健康を大切にされず、従わないのは私の自我が強いからだと否定されるという刷り込みは長年に渡ってのものだった。家族や仕事から離れた人間関係は恵まれていて尊重されることが多かったけど、私の意識は母に囚われていて、私自身が自分の意思に従って生きることに引け目を感じるようになっていた。その一方で“なんで自分の意思を通しちゃいけないの”と不満があった。自分なんか、と思え、というような圧力があって、そんな強制に屈して卑屈に振る舞う自分がもっと嫌いになっていった。

自閉症スペクトラムの要素はあるし、ストレス要因の一時的な重い鬱を経験したのも確か。それに元々鬱気質があるとも思うけど、精神的自由と行動の自己決定権が感じられなかったことが本当に苦しかった。

姉も母も、理解し合いたいともう思えなくて、ただ、もう自分の意思は私が尊重しようと思うだけ。誰が否定しても、正解の生き方なんてないんだから、無理なく、大事なものを守って生きるだけなんです。

ただ、反射的な拒否感がすごくて、私が二人にどれだけ傷つけられたかとか二人の行動が間違っていたかということは伝わらないまま表面的に仲良く振る舞う自分がいやになる。どうして伝わらない。

自分が尊重される環境の方を大切にすることができなくて、否定の声ばかりに反応して、記憶しているのがいやになる。

自然に自分を大切にできるように、心を強くしないといけないと思う。それは乗り越えないといけないことだと思う。

でも、今は、誰かに理解されたい。

優しいサポートありがとうございます。これからも仲良くしてくださいね。